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オリジナル短編集

三人が見たもの

作者: のなめ

「であるからしてこの試験管は――」


授業中、いつもと変わらない日常だがアクシデントは突如として起きる。


「まずい...なんだか猛烈に腹が痛くなってきた...」


時計を見ると授業の残り時間はおよそ三十分。とてもじゃないが我慢できるような時間ではない。腹が痛すぎてもはや先生の声が解読不能な呪文のように聞こえ、それが自分を蝕んでいるかのような感覚にさえ陥ってしまう。と、そんなことを少しの間考えていると、若干腹の痛みが和らぎ、先生の話を聞き取れるくらいに戻ってきた。


「いやぁ先生は見ての通りだが年寄りでね、君たちの若さが本当に羨ましいよ。最近はよく死について調べていてね、しかも年々それを強く意識してしまっている。おそらく今一番恐いものは何かと聞かれたら迷わず死だと答えるだろう。今まで生きてきたこの世から自分が跡形もなく消えることを考えるととてもじゃないが恐ろしくて居たたまれんよ。ちなみに先生は死ぬ間際は死神が迎えに来てあの世へ連れていかれると勝手に思っているが、そんなのがもう少しで現実になると考えてみたまえ。今か今かと不安で落ち着いて眠れやしない。まあ、この年になると体のあちこちが痛み出して不安がなかったとしてもぐっすり眠れるなんてことはあり得んがなハハハ」


どうやら先生はかなりリアルでヘビーな内容の雑談をしているらしい。何より先生にとって年齢的に全く笑えない話なのがクラスの雰囲気の重さに拍車をかけている。そしてそれを聞いたせいかまた腹が痛くなってきた。もっと明るい話題を提供してほしいものだ。それか理科の先生らしく、面白い実験の話などをしてほしい。この腹痛を忘れさせるくらいに。しかし流石にもう我慢できないと思い、弱々しく手を挙げた。


「先生、お腹が痛いのでトイレに行ってきます...!」


彼はそう言うと、腹に負担がかからない程度の速さで急いでトイレへと向かった。幸運なことにトイレとの距離はさほど遠くなく、間に合いそうだ。彼は痛み以外何も考えられないほどの極限の状態で入り口にあるトイレの電気をつけ、中に入った――


「グルルルルルルッッ!!!」


その音は決して限界を迎えた自分の体内から鳴った音ではない。彼は目の前でこちらに向かって鬼の形相で睨みつけながら威嚇している、大型犬を見たのだ。


「――――なんで...?ここ、トイレだよな?」


頭の中が疑問で埋め尽くされていく。左右に目を移せばそこは間違いなくトイレなのだが、どうしてか大型犬がいる。誰かがここに置いて行った?それとも窓か何かから侵入した?誰か呼んだほうが良いか?そしてそれらの疑問は徐々に恐怖へと変貌していく。何故なら大型犬は何かにつながれている状態ではない、つまりいつ飛び掛かってきてもおかしくないからだ。もっと言えばまだ普通に佇んでいるだけならいい。だが、こちらに敵意を剝き出しにしている。それだけで十分襲い掛かる理由にはなるだろう。


「これ、動いたら絶対襲ってくるよな?めちゃくちゃ恐ぇ...あの時みたいになるのは勘弁してくれ」


あの時――それは彼がまだ小学校に上がったばかりの頃、通学路を歩いていたら突然、すれ違った犬が飼い主の手元を離れ、吠えながらこちらに向かって飛び掛かってきたこと。犬と彼が接触する寸前になんとか飼い主は首輪を引き事故は起きなかったものの、彼はその日以来犬に対してトラウマを持ってしまった。それが今回は大型犬で首輪もない、こちらに敵意剥き出しなのだから恐ろしくてたまらない。彼は犬を刺激しないように静かにゆっくりとその場を離れると、もはや腹痛など忘れ急いでこの事を伝えようと教室に戻った。しかし、教室には自分以外の男子生徒一人以外誰もいなかった。


「おい、みんなどこ行ったんだ!?」


彼が聞くとその生徒は


「実験するからって理科室に行ったよ。俺は忘れ物を取りに来ただけ。というかお前、そんなに青白い顔してどうしたんだ?」


と驚きつつも心配そうに言ってきた。


「信じてもらえるか分らんが、実は今トイレにめちゃくちゃ大きな犬が威嚇しながらいてさ、そのせいで中に入れなかったんだよ!!お前ならそんなの恐くないと思うかもしれないけど俺はトラウマだから無理なんだ...!頼む、どうにかしてくれ!!」


「...は?犬が...?いや、ちょっと待て。そんなことあるか?だってここ二階だぞ?そもそもお前、そういう事考えられるほど頭回ってたか?絶対苦しすぎて幻覚見てただけだろ」


「あー…」


なるほど、確かにそうかもしれない。事実として言われるまでここが二階だという事すら忘れていた。そのくらい今思うと頭も回っていなかったし焦っていたんだろう。だが引き返してもう一度確認するほどの強心臓は持っていなかった。


「まあじゃあ一応俺が見に行くよ。それでいなかったらお前のただの幻覚、いたらいたで先生を呼べばいいだけだしな」


その男子生徒はそう言うと、さっさとトイレに向かって行ってしまった。


「本当にいたんだって...あー、それにしてもまだ足が震えてる...」


彼は腹の痛みよりも先ほどのことで思考が埋め尽くされていた。それから数分たちそろそろ戻ってくる頃かと思ったその時、教室の扉が勢いよく開かれ血相を変えてその男子生徒は戻ってきた。


「おい!やっぱりいただろ!?どうなった!?」


彼は確かめるようにそう聞くと


「いや、大型犬とかそんなかわいいもんじゃねぇって!!マジでヤバいヤバすぎる――殺人鬼がいる...!!」


そう男子生徒は言った。いや、何を言ってるんだ、自分以上に頭がおかしくなってるじゃないか。少し時間が経ち冷静になった彼は


「いやいや普通に考えてそんなところに殺人鬼なんているわけないだろ。というか俺が言ったのは大型犬だぞ?俺以上にヤバい幻覚見えてんじゃん...確かにこれはヤバいな...」


と言った。なんだかあまりにも現実離れしすぎていて本当に幻覚のような気がしてきた。しかし男子生徒は


「いや幻覚なんかじゃないって!俺見たんだよ!そのトイレには大型犬なんていなかった。でもその代わり、仮面を被って血の付いたハンマーを手にした大男が、仮面越しにこっちを睨みつけながら奥からゆっくりと近づいてきたんだ!!嘘でもねぇよ!その光景があまりにも恐ろしくて少しの間体が動かなかったけど、なんとか手が届く前には逃げ出せた...。つか俺だって幼い頃映画で見て以来、恐いものは何か聞かれたらいつも真っ先にそれを答えるくらいなもの...あぁこういうのトラウマって言うんだっけか?何にせよそんなのが現実に、しかも目の前に現れて俺を睨んでくるなんてあまりに恐すぎて生きた心地がしなかったわ...」


と、立っているのもやっとのような状態なのか震える足に手を置いて自分を支えながら、すっかり青ざめた表情でそう言った。最初は殺人鬼が学校のトイレにいる、などというあまりにも非現実的な話をしだしたので疑ったが、恐怖にかられながらも必死に自分に訴えかけてくるその姿勢と目から、流石に演技ではこうはならないだろうと彼は本能的に感じた。だからこそ、冷静になった今出来ることはあのトイレで起こった自分達の体験をいち早く先生に報告することだと思った。自分達の胸にしまっておくこともできるが、あまりにもリアルで二人も連続で体験している、仮に幻覚だとしてもそれをこういった形で見るのは何か理由があるに違いない。それに次、トイレに入った人が被害を受けない保証はどこにもない。とにかく自分達の力が及ぶ話じゃない。そうこう考えていると――


「はぁ参ったねぇ...理科室が使用できるのは今回じゃなくて来週だった。今回は他のクラスが授業で使うみたいだね」


そんな先生の声とともに自分たちのクラスメイト達が賑やかに教室に入ってきた。彼はその先生に


「先生、実は、さっきあのトイレの中で僕ら信じられないものを見たんです。僕は今にも襲い掛かってきそうな大型犬、そしてそこにうずくまっている彼は血の付いたハンマーを持った殺人鬼を見たんです...。信じられないと思いますが、全部本当の話なんです...」


と言うと先生は


「......は?いやいや、急に何を言い出すんだね君は。大型犬?殺人鬼?そろって居眠りでもしてたんじゃないか?そもそもここは二階だし、学校は高い塀で囲まれていて防犯カメラもある。普通に考えて不可能だよ。だからそんなつまらない冗談で先生をからかうのはやめなさい。今はこんなヨボヨボだが若い頃は恐かったんだぞ?ハハハ」


と言い、まるで相手にしてくれない。当たり前だ。むしろこんな話を真に受ける先生が居たら学校よりも精神科に通っていることだろう。だが、自分達が見たという事実は揺らがない。信じてもらえないのなら、先生にも行ってもらってその目で確かめてもらうしか方法はない。


「まあ、そうですよね...ただ、僕らがそれらを見たというのは事実なんです。嘘だとおっしゃるなら先生がその目で見て確かめてから言ってください。僕らは本気です」


彼は先生の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。先生はいかにも訝しげな目をこちらに向けてくると


「ふーむ、まあそこで蹲ってる彼とその目の君を見ると嘘のようにも感じないが...大型犬、殺人鬼、か...。まあそうだな、行くだけ行ってみるとしようか。だがそれでいなかったらどういう訳だったのか後でじっくりと話を聞かせてもらうからな?いたらいたで大問題だが所詮それはあり得ない話だろうから考えるだけ無駄だろうな」


と言い、先生は渋々そのトイレに向かって行った。果たしてあれは幻覚だったのかそうではないのか、先生は何を見るのか、それとも何も見ずに帰ってくるのか、自分達は何故あんなものを見たのか、あれらはどこから現れたのか、あの体験で自分達に共通しているものは何か。彼はそんなことを考えながら先生が帰るのを今か今かと待っていたが、どれほど待っても、それきり先生が帰ってくることはなかった。















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