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死神伯の生贄、冬桜 〜誰からも恐れられている伯爵に溺愛される話。〜

 

 クスリ、クスリと私を笑う声が聞こえる。

「可哀想に」という言葉は哀れみや同情ではなく、嘲笑と好奇心だろう。


 まだ話したこともない「夫」との結婚式は、私が参加したことのある他の結婚式に比べて……どこか、外側だけを真似たような味気なさ。


 かつて見た記憶のように笑えばいいのか、今来てくれている人たちの期待に応じて泣けばいいのか。適切な感情が分からずに流れていく言葉を聞き流す。


「おめでとう」と、嗤う人の顔。……ああ、そう言えば、まだ夫の顔を見ていなかったと横目で見る。


 遠目からでも目に入った真っ白い髪、私などよりよっぽど嫌な注目を浴びているはずなのに揺れることのない赤い瞳。

 歳は私よりも多少年上程度なのに、堂々と前を……自分達を嘲笑う参列者達を見据えていた。


 後になって思うと、私は彼に見惚れていたのだと思う。式の途中から、彼の顔を覗いたその瞬間から……結婚式の間中ずっと見惚れ続けていたのだと思う。何故かは、分からないけれど。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「やや、すみません、すみません。まさか奥様がひとりで歩いて来られるとは思っていなかったもので、寒い中、立たせてしまいましたね」


 枝切りハサミを持ったメイド服の少女がトコトコとやってきて、私の手元に手を伸ばす。


「あ、いえ……すぐそこまでは送っていただけたので」

「あー、うちの敷地には近寄りたくないって話ですね。いやぉ、うちの旦那は嫌われ者ですもんね。死神伯なんて呼ばれて、ははは」


 メイド……というか、貴族の使用人には思えないような、からからとした笑い方。枝切りハサミを肩に乗せながら私の荷物を持とうとして、私はゆっくり首を横に振る。


「大丈夫ですよ。自分で持っていきますから」

「そうです? まぁ、じゃあ旦那のところに案内しますねー」


 彼女が肩に置いている枝切りハサミを見てから、広い割にがらんとした庭を見る。

 地面には草が生えないようになのか白い石が敷き詰められていて、広いのに木が一本だけしかない。


「……桜の木」

「あ、咲いてないのに分かるんですね。奥さんも好きものですねぇ」

「好きもの……。……身内に桜が好きなものがいたので。……枝を切るんですか?」

「あ、はい。夏場は石を敷いていても雑草が生えてくるんでそっちの作業でてんてこ舞いなので、今のうちに剪定しちゃおうとね」


 あなたがですか? という言葉を飲み込む。

 手に持つハサミを見たら聞くまでもないことだったのもあるがらそれ以上に無礼なのではないかと思ったからだ。


「……剪定方法は知っているんですか?」

「えっ、適当に切ったらダメなんです?」

「桜は腐りやすいので……」

「詳しいんですね。手伝ってくださいよ。奥さん? ……夫人?」

「呼び捨てで構いませんよ。……実家でもそうだったので」

「じゃあ、奥ですね。私はメルラです。気軽に呼んでくださいね。奥」


 それは違うんじゃないだろうか……。と私が訂正するのよりも前に彼女メルラは前を歩いていく。

 貴族の使用人には珍しい対応だけど、悪い気がしないのはメルラさんの表情や声色が歓迎を示しているからだろうか。


 でも……あまり、ちゃんとしたメイドではなさそうだ。

 そもそも庭師みたいなことをしているぐらいだ。


 不思議に思っているとメルラさんは振り返って子供みたいな笑みを浮かべる。


「オク。旦那は無愛想ですけど、アレで優しい人なので……」


 と、言おうとしながら扉を開けた瞬間、真っ白い髪の長身の男が私達を見下ろした。


「うおっ! び……っくりしましたぁ! 旦那ぁ、扉の前に立たないでくださいよ」

「……俺も開けようとしたんだ。……ああ、君か、本当に来たのか」


 気やすいメルラさんに比べて無愛想な彼はむっすりとした目を私に向けながら、そんなことを口にする。


「……ご迷惑でしたでしょうか」

「帰りたくなれば彼女に言え。御者の真似事ぐらいなら出来る」

「ええー、私いやですよ。せっかく仲良くなったのに」

「仲良くって……。……まぁいい。入れ。冷えるだろう」

「あ、は、はい。失礼します」


 家の中は薄暗く、あまり人の気配を感じない。


「いやぁ、この家って私と旦那しか住んでないんですよ。こんなにだだっ広いのに」

「余計な話ばかりをするな」

「二人で……ですか。他の人は」

「みんな旦那にビビっていなくなっちゃいました。誰も来やしないのは気楽でいいんですけどね」

「……それは……いいですね」


 私の言葉を聞いた彼はほんの少し怪訝な表情を浮かべながら扉を開けて中に私を案内する。


「……同じ部屋に入るんだな」

「えっ、あ、すみません」

「そうじゃない。……俺の風聞を知らないわけじゃないだろう。あの式でもいくらだって聞こえてきたことだ」

「……根も葉もないような噂、気にしてなどいませんから」


 嘘だった。アレだけ多くの人からの嘲笑の目を受けて気にせずにいられるほどの強さが私になんかあるはずもない。

 むしろ誰もよりも「死神」の悪名を気にしているからこそ、このような婚姻に頷いたのだ。


 私の嘘を受けて、まだ名前も知らない「死神伯」は血のように赤い目を細めて、低く、臓腑に染みるような声を出した。


「……離婚ならいつでも受け入れよう」

「えっ、あっ……私は、何か失礼を……」

「根も葉もない噂と勘違いしているらしいが、事実として、俺は死神と呼ばれるだけの咎がある。……好きに逃げればいい」


 どこか淡々とした事務処理のような言葉。

 死神伯の手から紙の束が渡され、それに目を落とすと家の間取り図やら物の置き場が事細かにまとめられていた。


「えっと、これは……」

「使用人に書かせた。俺は仕事場にしている北棟で寝泊まりをする。この屋敷は好きに使えばいい」

「えっ……い、いえ、その……」

「……この家は曽祖父の代に医術に多大な貢献をしたこと、それから俺の代に至るまでそれを続けていることにより爵位を渡されている」

「……それは、もちろん知っております」

「医術に貢献というのは、つまりは人の身体を解き明かすということだ。どうやったら解き明かせると思う? 単純なことだ、人間を解体するんだ。死体を、あるいは生きたまま。腹を明かして臓腑を取り出す。あるいは切って貼って入れ替える。まるで人体をおもちゃかのようにな」


 死神……と、呼ぶに相応しい言葉。淡々とグロテスクなそれを語る姿はまさしく死神伯の噂通りのものだったが、けれども、その言動に矛盾を覚えた。


「……気にしていない風に話していますが、本当にそうなら、今、語るというのは不思議です」

「っ……」


 彼はほんの少し眉を顰め、迷うように目を背ける。


「何にせよ。噂は事実だ。この家は死神と呼ばれる理由があり、故に人から忌まわれている」


 やはり、彼の言動は矛盾しているように思えた。

 去っていく後ろ姿を見てから先程もらった紙の束に目を落とし、それからその紙をメルラさんに見せて首を傾げる。


「……書きました?」

「んー、私は書いてないですよ」

「……変わったひとです」

「ん。ご飯にしましょうか。手伝ってくれます?」

「あ、は、はい。何をしましょうか?」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 私の新しい生活は、変な旦那様と少女のふたりとともに始まった。

 朝起きて身支度を整えて、メイドのメルラさんと二人で朝ごはんを用意して食べ、本を読んだり服の洗濯をしたりして過ごし、お昼ご飯を食べたあとは屋敷の中の掃除や庭の手入れなどをして過ごす。


 かぽん、と広いお風呂の湯船に浸かりながら膝を折り曲げる。


「……こんなにゆっくり過ごして、バチが当たらないのでしょうか」


 思い出すのはついこの間まで実家で……あまり、思い出したくないような扱いを受けていた。妾の子であり、末子でもある私は利用価値がないと判断されたが、いつまでも家に居座られると風聞が悪いということで半ば捨てるように死神伯との縁談を決められたけど……。


 噂されていたような恐ろしいところでも、恐ろしい人でもなかった。


 まだほとんど話してもおらず、窓から敷地内の別の棟の窓に彼がいるのを見たぐらいだけど……あまり怖くない。

 なんだか分からないけど、仕事を頑張ってるんだなぁって思うぐらいだ。


 来た当初はあまり歓迎されていないのかとも思ったけれど、蓋を開けてみればわざわざ新しく私用の物を用意しておいてくれて、生活をしやすいように配慮してもらっているように思える。


「出ていっていい……かぁ」


 ちゃぽんとお湯に身体を預けて天井を見る。……もしかして、優しさなのだろうか。

 窓から外の空気が入り込み、雪の匂いがする。


 ……雪は嫌いだ。冷たく、寂しい匂いがする。


「…………お姉ちゃん」


 と、私がつぶやいた瞬間、脱衣所の方から「んー?」と声が聞こえて身体がぴくっと震える。


「あ、い、いたんですか」

「いましたよー。お姉ちゃんって言ってましたけど、ホームシックですか?」

「いえ……姉はもういませんから」

「あー、もう先にどこかに嫁いだんですか?」

「…………いえ、もう亡くなりました。こんな雪の夜だったので、つい思い出してしまい」


 窓の外を眺めて、月明かりに照らされる雪を見る。


「……お姉さん、桜が好きだったんですか?」

「えっ……なんで」


 なんで分かったのか。それを尋ね終わる前に、扉越しにメルラさんが話す。


「それぐらい分かりますよ。あんまり、いい家じゃなかったんでしょう。でも……わざわざ桜の木をお手入れを覚えるぐらい好きな人もいた。それで、ひとりでこうして思い出していたってなると、まあ、そうなんだろうなって。きっといいお姉さんだったんですね」

「……はい。いつも私に笑いかけてくれて。……私は、いい妹ではなかったのに」


 こんな暗い態度をとったら彼女は面白くないだろう。もっと明るく振る舞わなければと考えるのに私の口は意に反して弱音を話す。


「……桜が見たいと言っていたのに。……あの春、姉の体が心配だと言って……外に連れ出してあげられませんでした。……そのまま、桜を見ることが出来ずに」


 脱衣所の方から返事はない。急にこんな話をしても困らせるだけと気が付き「すみません」と口にすると、彼女は「平気ですよー」と言ってパタパタと去っていく。


 ……困らせてしまっただろうか。

 お風呂から上がり、湯に熱された身体を冷ますために屋敷の中を散歩していると、夜なのに庭の方で桜の木に何かの作業をしているメルラの姿を見つける。


 何をやってるのかは分からないけれど、何か頑張ってるみたいだ。……夜食でも持って言ってあげよう、と考えていると窓の外に別の棟からも灯りが見えた。


 あの人……確か名前はデインさん……私の夫である彼に持っていっても怒られないだろうか。

 特に「ここには来るな、あそこには立ち入るな」ということは言われていないけど……まだ初日以来、あの人と会っていない。


 避けられているのに食事なんて持っていって嫌がられないだろうか。そう考えながらふたり分の食材を取り出してしまって調理を始めてしまう。


 メルラさんが作るものよりも不恰好で、味もそんなに美味しくない。


 いっぺんには渡しにいけないからと自分に言い訳をして先にメルラさんに渡しに行き、それから残ったもう一食分を見て手を止める。


 ……怒られたら嫌だな。けど……何だか頑張っているみたいで放っておけない。

 よし、と気合を入れて、渡り廊下を渡って灯りの方に向かう。途中、緊張のせいかカタリと転けかけてしまいながらも明るい部屋の前に来て、トントンとノックする。


「す、すみません。その……お夜食をお待ちしたのですが、よろしければ……」


 そう声をかけるも返事はない。何度かノックしても反応は返ってこないが人の気配はあり、特にそれを隠すような様子もない。


「あの、失礼します」


 と、ゆっくりと扉を開けるとカリカリという音が聞こえて、白い髪をした男の人、デインさんが机に向かっている姿が見えた。


 無視していた……ではなく、よほど集中しているということに気がつく。

 ほんの少し、何かを頑張っている姿に見惚れたあと、チラリと部屋を見る。書斎なのか仕事場なのか、難しそうな本が棚に敷き詰められていた。


 その中の本のひとつに見覚えのある単語を見つけ、目を向けていると、彼は「……メルラか」と言いながら振り返った。


「……君か」


 一瞬だけ驚いたような表情を浮かべて、それから困ったように頭を掻く。


「あ、そ、その、お夜食をお持ちして……」

「……無理はしなくていい」

「す、すみません」


 デインさんは私の持つお盆を手に取り、置く場所がないからか先程まで仕事をしていた机に置き、それからそのお盆を少し見て扉の方に歩く。


「謝らなくていい。……暗くて足元が見えにくいだろうから、あちらの棟まで送ろう」

「そ、そこまでしていただかなくて……家の中ですし」

「……一度躓いたのだろう。お盆に少し飛び散っていたぞ」


 あ……気がつかなかった。扉を開けた彼は羽織っていた上着を私にかけて少しだけ前を歩く。

 ぶっきらぼうな様子に少し不安に思ったけれど、こうして短い距離なのに送ってくれたり上着をかけてくれたり……不思議だ。


 聞いていた恐ろしい「死神伯」の姿とは違って暖かくて物静かな、そんな人だ。


 私に合わせるような小さな歩幅、段差のあるところだと少し気にしたように振り返る。

 ……怖くない人だ。と認識したからか、一人でに私の口が開く。


「あの、お医者様なんですか?」

「……どちらかというと解剖学者だが、まぁ、少し医者の真似事もしている。……どうかしたか?」

「いえ……その、本棚に私の知っている病気のものがあったので。……詳しいのかと」

「…………その病気に関しては、詳しくない」

「えっ」


 何で私が見ていた本が分かったのだろうか。

 それにあんな難しそうな本まで持っているのに詳しくないなんてことはないだろう。


 少し不思議に思っていると、彼は渡り廊下を渡った先で足を止める。


「……そう言えば、先に料理を食べて味の感想を述べるべきだったか」

「あ、い、いえ、大丈夫ですよ。差し出がましいことをしただけなので」

「いい匂いだった。ありがとう」


 薄暗い中、月明かりに照らされた彼は微かな笑みを浮かべる。

 こんな風に、優しそうに笑うんだ……。あんなに多くの人から敵意を向けられても平気な強い人なのに。


 デインさんは渡り廊下を戻っていく。その背中を見て、何か思い出しそうな感じがしたけれど、その理由が分からずにぼーっと見つめていた。


 また、持っていこうかな。

 この日から、私の生活に日課がひとつ増えた。


 夜遅くまで何かをしているデインさんに夜食を持っていき、渡り廊下を送ってもらう。その間にほんの少しだけお話しをする。

 そんなほんの少しだけのやりとりを、私は不思議と楽しみにしていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「オクー、最近旦那と仲良しですね」

「そうですか? ……一日少ししか話さないので、夫婦にしては少ないぐらいだと思いますけど」

「めちゃくちゃゆっくり歩いてるの見ましたよ。話している時間はそうでもなくても、話す時間を増やしたいってなるのはそういうことかと思います」


 ……そんなにゆっくり歩いているだろうか。話しながら歩いているだけなので、あんまり自覚はない。


 メルラさんが毎日作業をしていた時間、今日だけは珍しく私と話していた。

 いつの間にか桜の木を覆っていたシートの前に連れられて、メルラさんは「ふっふっふ」と笑う。


「ついにです。ついにですね、私は偉業を成したのです!」

「ほー、ぱちぱち」

「こら、適当に反応しない! ……ほら、ちょっと前にお姉さんに桜を見せてあげられなかったって落ち込んでいたので、それを励ますために頑張ったのです!」


 メイド服の彼女は私の手を引き、夜の庭に連れ出す。

 よほどテンションが上がっているのか上着を羽織る間もなく連れ出されたせいで少し冷える身体。


 桜の木を覆っているシートに彼女が手を掛けて「そうらっ!」とそれを引っ剥がそうとして、思ったよりも重かったのかヨタヨタとよろめきながらシートをズルズルと引いていく。


「旦那にも色々教えてもらって……ついに出来たんです!」


 パッと、シートを剥がした中には、冬の桜にはありえない薄いピンク色……桜の花がポツリポツリと枝を飾っていた。

 雪に混じりながらの桜の花……満開ではないけれど、幻想的と思うには十分な不思議で美しい光景に思わず目を奪われる。


「……冬なのに、桜が」

「ふふー、どうですか。すごいでしょう。これでオクのお姉さんも……」


 と、メルラは口にしてから「んんっ?」と自分で首を傾げる。


「あ、あれ? ……オクが悲しんでるからって勢いでここまでしたんですけど……これはあんまり意味がない……いや……あれ……?」


 幻想的な空気の中、メルラは自分の行動に首を傾げて少しずつ表情を変えていく。


「……あの、もしかして私、感情だけ突っ走って変なことしました?」


 自分の行動に首を傾げて困惑するその姿が不思議で、雪と桜に見惚れていた目が彼女の方に向いて、クスリと笑ってしまう。


「ふふ……とても綺麗です」

「そ、そういうのではなく……あ、うあ……こ、これは、これは旦那が悪いんです! 使命感から変な方向に突っ走ってしまった私を止めなかった旦那が! 何で桜を咲かせたいとかは伝えませんでしたけど!」

「じゃあ、デインさんは悪くないじゃないですか。ふふふ、でも、嬉しいです。私のことを思って……こんな綺麗な、幻想的な桜を咲かせてくれて」


 ここに来た日、歓迎されていないと思っていた私は本当に馬鹿だ。メルラさんも、デインさんも、こんなに優しくしてくれているのに。


 思わず涙が溢れ出そうになっていると、メルラは「ん、おほん」と仕切り直すように咳をする。


「……ともあれ、喜んでくれたのなら、成功です」

「はい。こんなに綺麗な桜……ありがとうございます。こんなによくしていただいて、私は、幸せものです」

「どういたしまして。あっ、旦那だ! おーい、見てください! すごいでしょう! 桜、咲きましたよ!」


 私達が騒いでいたからかいつもの仕事場から出てきてデインさんに、メルラさんはぴょんぴょんと跳ねて話しかける。

 彼は桜の木を見上げて感嘆の声を漏らす。


「……雪に混じった桜というのも、どうしてなかなか、風情がある」


 彼は上着を私に被せたあとゆっくりとその姿を眺めて、白い吐息を吐き出した。


「ふふふ、旦那もオクのことを口説いていたようですが、私の勝ちみたいですね」

「い、いえ、口説かれてはないです……」

「夫が妻を口説いて何が悪い」

「えっ、く、口説かれていたんですか!?」


 ふ、普通に仲良くお話しをしてるつもりだったんだけど……と思っていると、メルラさんはふんすとばかりに勝ち誇る。

 ……でも確か、ふたりで一緒に咲かせたって言ってなかっただろうか。


 そんなことを思っていると、デインさんは桜に目を向けたまま口を開く。


「……割によく出来た方とは思うが、考慮が足りていない」

「なぬっ!? この、冬に桜を咲かせたという偉業を成した私に嫉妬ですか? 旦那ァ!」

「……私が教えた方法で、私の金を使ってな。まぁ、君の様子を見ればよくやったというのは間違いないだろうが」


 デインさんの目は何かを確かめるように細めた目ですっと私を見て、軽く頷く。

 それから小動物に接するかのようにおっかなびっくりとした様子で私の方を見て、落ち着いた低い声を出す。


「……まず前提が正しいかどうかの話がまだのはずだ」

「……前提?」

「君の姉が桜を見れていなかったのか。……ということからだ」


 急に何を言い出すのだろうと思っていると、彼は私が冷えていないかを確かめるように首筋を軽く撫でる。優しい手つきに思わずぼーっとして、それから不思議と愛おしそうな目を私に向ける。


「……君の姉が亡くなったその日、雪はゆらめくように降っていたが、雲は月を覆っていない。部屋の中は暖かくしているだろうが……優しい君のことだ、意識していなくとも寒い窓側の方に座り、ほんの少しでもあたたかくしてやろうとしたことだろう」


 その言葉を聞き、かつての記憶が鮮明によみがえる。

 彼は手招きをしてメルラさんを呼び寄せたかと思うと、彼女に何かを渡しながら話を続ける。


「時期と時刻、それに君の実家の間取りからして、おおよそ、今の君が立っている場所が姉の位置で、彼女が君のいた場所にいる」

「どうしたんですか、旦那。もしかして私がオクと仲良くしてるのを見て悔しくなっちゃいました? 嫉妬ですかぁ?」


 揶揄うように笑う少女に「まぁ。そうだな」と頷く。


「羨ましくは思う。メルラにも、お姉さんにもな」


 それはどういう……と尋ねる前に、死神伯は私の目を手で覆い、それから私の手に何かを握らせる。


「え、えっとこれは……」

「君のお姉さんの病気は、悪化すると目の周りの筋肉が上手く働かずに視界が掠れる。君に持たせた眼鏡はその視界を再現したものだ。つまり、それをかけて目を開くと、お姉さんが最期に見た光景が見れるということだ」


 それから彼はほんの少し寂しそうな微笑みを浮かべる。

 離れていく手、私は意味が分からないままその眼鏡をかけて……その瞬間、思わず息を飲んだ。


 ボヤけた視界の中、月灯りに照らされた桜の木が私の目の前に現れた。綺麗な薄い桜色の花弁が風に揺らされて、冷たいはずの空気が温かく感じる。


「……桜」


 メルラさんが咲かせた桜の木ではない。けれど、確かに私の目の前には桜のような美しい薄い桃色が咲いていた。

 思わず声を上げると、死神伯と呼ばれている誰よりも人から恐れられている彼は、低く落ち着いた声で私に語りかける。


「……同じ程度の光量、角度、視覚の状況。……目の前にいる彼女に被ったウィッグも君の髪の色と似せたものだ」


 突然私が声を失ったことに、目の前にあった桜の木が「えっ、えっ、何ですか!? なんです、この空気は!?」と騒ぎ、私がメガネをずらすとメイドの少女が不思議そうに慌てていた。


「……あ、ああ……」

「ど、どうしたんですか? 泣きそうになって……だ、旦那にいじめられましたか!? 私が旦那を倒すので安心してください! あちょー!」

「ち、違います。……その、えっと」


 もう一度メガネをかけると、桜の木が暴れてぽこぽことデインを叩いている姿が見えて笑ってしまう。

 笑ってしまっているのに目尻からはボロボロと涙が溢れて、お礼を言おうとした唇が震える。


「……ボヤけた視界。君の美しい桜色の髪は……まるで桜と見紛うようだった……。だろうな」


 ちゃんとお礼を言わないと、そう思っているのに、口は上手く動いてくれない。


「……あ、あの、えと、えっと……」

「君の抱く罪悪感の前提は間違えていた。病気の姉に桜を見せてやれなかった。……というのは、間違いだ。君の姉は、君が彼女に付き添ってあげていた間、ずっと見つめていたことだろう。夏でも、秋でも、冬でも。何ものよりも美しい桜の花を。……よく、頑張った。君はどんな医者よりも……私なんかよりもよほど……心を救っていた」


 泣いてはいけない。ここまでしてくれたのに、みっともなく泣いてこの場を台無しにしてはいけない。

 そう思っているのに涙は勝手に溢れてきて、私の頬を濡らしていくし、鼻水までぐちゃぐちゃに出てきてしまう。


綺麗な光景……あまりにも美しい、冬に咲く桜の景色……。それを前にして、私はただ泣き出してしまっていた。


「わ、わた、私は……お姉ちゃんに……何も、してあげられなかったって……」

「間違いだ。君は誰よりも、姉の心を救っていた。……俺がそれを保証する」

「あうぅ……うわああああ!! お姉ちゃん……お姉ちゃん……あぁ……!」


 ここまでしてくれたふたりに、迷惑をかけてはいけないと思っているのに涙は止まらない。彼の手が私の頬を撫でて、そのまま私の背中に手を回して抱きしめる。

 その手が温かくて、大きくて、安心してしまって、余計に涙がが出てしまう。


 迷惑なはずなのに、嫌に決まっているのに、彼は私から離れることはなくずっとずっと身体が冷えるほどの時間そうしてくれた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「すみません。その……落ち着きました」


 月が動いていることが分かるぐらいの時間、抱きしめ続けてくれていた彼は自分の頭に積もった雪を軽く払ってから私に微笑みかける。


「……ああ。部屋に戻るか」

「……あの、その前に、ちょっと聞いていいですか?」


 私が彼を引き止めると、少し意外そうな表情を浮かべて立ち止まる。

 気になっているのは、私を慰めてくれていたときの言葉だった。


「なんで姉の病気を知っていたんですか。それにその日の天気とか……。……ほとんど話したこともないのに私のことを優しいって」


 白い髪と赤い瞳が揺れる。


「お姉ちゃん……姉の、治療をしてくれていたんですか?」


 実家で冷遇され、人から隠すように扱われていた私は姉の医者に会ったことがなかった。

 けれども、彼は姉のことを知っていなければ分からないようなことを口にしていた。


「……寂しそうな顔をしていたのは、私に対して思うところがあったからですか? ……私と結婚してくれたのは、姉を救えなかった……償いだったんですか?」


 揺れていた瞳がすっと私を捉えて、その手を握る。


「償いのつもりはない。君を幸せにしたいことと、俺が間に合わなかったことは関係がない」

「……じゃあ、何で」


 私が問うと、デインさんは私を引き寄せながらその赤い瞳で私を見つめる。


「桜色の髪をした君は、その容貌もその心根も誰よりも美しい。だから……だとダメか」

「そんなことを……私なんかに言っては」

「夫が妻に「惚れている」と「好きだ」と……「愛している」と言ってダメな理屈があるか」

「そ、それは……その……」


 顔が熱くなる。照れなのか、羞恥なのか、それとももっと別の何かなのか私の顔は熱くなっていき、心臓が早鐘を打っていく。

 それから顔を上げて、赤い眼を見て気がつく。


 あ……この人のことが好きなんだ、と。

 気がついた瞬間、顔に火がつくような感覚がして、心臓が爆発するように跳ねる。


 まずいと思って走って逃げようとして暗い中で足元の段差に気が付かずに躓くと、倒れるよりも先に彼の手に掴まれて支えられる。


「平気か?」

「へ、平気では……ない、です」


 すぐ近くに彼の顔がきて私の精神は限界を突破する。

 本当に恥ずかしすぎて火を吹くのではないかと思っていると少女がパタパタと追いかけてきて「こらー」と彼に怒る。


「またオクをいじめてるんですか! めっ! めっ!」

「い、いじめられては……ないです。たぶん」


 彼は困ったような表情をしてから私から手を離し、それから「おやすみ」とだけ言って離れていこうとする。

 思わず「あのっ!」と引き留めて、振り返る彼の顔を見て、何を言おうとしていたのかが頭からすっぽ抜ける。


 あ、そうだ。

 お礼を言わないと……と思いだしたときには数秒経っていて、私が慌てているのを見ていた彼は薄く笑う。


「……あ、あの、その……は、春、また、桜を一緒に見ましょう! 夏も、秋も次の冬も……その、一緒に……何か、見ましょう!」

「ああ。俺は君ばかりを見てしまうかもしれないが」

「そ、それは……は、はい」

「流石に冗談だ。けど、やっぱり……俺は君に、めっぽう惚れ込んでいるらしい」

「あ、え、えっと……」


 私が困っていると、彼はそれを面白がるように口元に笑みを浮かべてから私の頭を優しく撫でた。


「おやすみ。愛している」


 きゅ、急に……ぐいぐいと来すぎではないだろうか。


 手元の変なレンズの眼鏡に意識を向ける。

 いや、たぶん、ずっと好かれてはいたのだろう。こんな大層なものを、私が落ち込んでいると思って手作りしてくれるぐらいだ。何日もかかったことだろうし、きっと私が落ち込んでいるのを知ってからずっとかかりきりで、私がそれに気がついていなかっただけだ。


 歪んだレンズのメガネをかける。


 ガラス越しに見えるぼやけた視界はまるで涙でぼろぼろになった世界のようで……それをかけたまま彼の背中を見て、思い出す。


 お姉ちゃんの葬儀で、多くの人が「やっと終わった」ばかりに安堵していた中……心底、辛そうにしていた背中を。


 葬儀の間中、涙で歪んでいたうえに遠目だったから今まで気が付かなかったけれど……。

 この涙のようなレンズ越しに見れば、彼の背中と同じであることがよく分かった。


「ぁ……」


 と、声が漏れ出て、顔がみるみる赤くなっていくのに気がつく。


「どうしました? だ、大丈夫ですか?」


 思わずしゃがみ込んで、それを心配する少女にこぼす。


「わ、私……ず、ずっと……あの人のこと、ずっと好きだった……らしいです」





 死神と呼ばれる伯爵との結婚。

 話したのは結婚してから、私的な話はまだまだしていなくて、顔を見たのも結婚式の最中が最初。

 けれども……きっと、恋をしていたのは、ずっと前に。


 死神の生贄は、不思議な偶然と運命で……どうやら世界で一番幸せな結婚だったようだ。

 お読みいただき誠にありがとうございます。


 現在、今後の作品の方向性に迷っておりまして、読者さまからの感想やコメント、☆の評価などを参考にさせていただきたく思っております。

 なので、もしよろしければ感想・コメント・☆などいただけたらありがたく思います。

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