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いい加減、僕はぼろぼろだ。
早く……早く「呪い」を解かないと。
ああ、また夢の中だ。
「桜生くん、桜生くん」
誰かが僕を呼んでいる。聞き覚えのあるような、無いような、でも懐かしいような声。
少しずつ目を開けると、そこは暗闇の中だった。いつかの夢で来たことのある暗闇。夢の中だからか、手足も軽い。軽すぎて宙に浮いているような感覚だ。
「桜生くん」
今度は鮮明に聞こえたその声のする方を振り返る。光の霧の中で浮かび上がる人影……。それは、いつだったか見たことのある人物だった。
「美佐さん……?」
この間より、若く見えるが間違いない。前世の夢で僕が体験する人物そのものが目の前にいる。
「桜生くん、いつも貴方を苦しませてごめんなさい」
「でも、美佐さんのせいじゃないでしょう?」
それは、お互い様だろうか。そう思ってしまい、返答に困りながらも、美佐を責めるわけにはいかない。
そうだ、彼女が悪いのでは無い。悪いのは……義父だろう。
彼女は首を左右に振って違うと言う。
「貴方を『呪い』と化したのは私。私以外の何者でもない。ごめんなさい」
「謝らないでください。だって……」
だって、貴女は僕で、僕は貴女でしょう? 魂は繋がっているのに。
「悲しませている上に、厚かましいのだけど……貴方にお願いがあるの。もうこの『呪い』の負の連鎖を止めなきゃいけないから」
僕はうんと、頷いた。それは僕の願いでもある。だから、僕は彼女の言った事をすんなりと受け入れた。
「僕はどうしたらいいですか? もう……もう、僕には時間がないんです」
ふわふわしたこの不安定な空間の中で、僕は意外にも体を安定して保ちながら、しかも冷静に彼女と会話をしていた。
「方法は……分からないの」
「えっ?」
俯き加減で答えた彼女の言葉に、愕然とした。もしかしたら、彼女なら、とあの時———暗闇の中で会話した時から少しだけ彼女に希望を持っていたからだ。
「でも、分かり合える……はずだから……たぶん」
「……」
分かり合える?
生きている内に分かり合えなかった者と、今更分かり合える、と言うのか?
何を言っているのだこの人は。
僕のそんな思いが顔に現れていたのだろう。美佐は、僕を説得に掛かる。
「人ってそういうものでしょ。
どちらかが向き合おうとすれば、きっと答えてくれる。私にはそれが出来なかったから、それを悔やんでるの。でも、今の私だけじゃどうすることもできない。だから、君に手伝ってほしいの。
私と義父で話し合いをさせて欲しいの」
「話し合い……」
呟く僕に彼女は続けた。
「君がいつも泣いてるのが、私のせいだって分かってるから」
「ちがっ……」
「違わないッ! 君の大事な人とお別れしたのも、君の幸せを捨てたのも、全部この美佐が悪いのッ!! そうでしょう? 違わないよッ!」
「やめて……やめて下さい。そんな風に言わないで下さい。全部自分で決めた事です。後悔は……してないです。それに、今の生活が好きだし、幸せだとさえ思っているんです。それを否定しないで欲しいです」
今の桜太郎との気ままな生活が好きだ。僕は幸せなんだ。それは、間違いない、嘘偽りのない事実だ。
最近は度々泣いてしまうけど、それは前世の僕の……美佐の感情がそうさせるだけだ。今生の今は、決して不幸ではない。いつも桜太郎が傍にいてくれる。それだけでも贅沢なほどだ。
「わ、分かったから、泣かないで桜生くん。とにかく、私は貴方から私の『呪い』を解いてあげたい。それだけなの」
ふう、と一息ついた彼女は「だから」と続けた。
「今更だけど、私と義父が話し合い出来るように繋いでほしいの。難しいかもしれないけど、繋がりさえすれば、後は私がなんとかする! ね、桜生くん、お願い出来る?」
「補償はできませんが、どうにか頑張ってみます。僕も『呪い』の解決策を探していますし、貴女との利害は一致しますから」
———しかし、あれから数日経っても僕と桜太郎の魂を繋ぐ糸口は見つからなかった。
「最近、以前にまして俺にくっつき過ぎじゃないか?」
桜太郎にそんなことを言わせてしまう程、僕は色々試している。悪夢を見るであろう夜に彼の手を握ったり、抱きついたりもしてみている。
「だって、夜寒いから」
そんな風に誤魔化しては、実験を繰り返す。
美佐と話をしてからというもの、義父と体を重ねた夢は見なくなり、身体が少し楽になった。もしかして「呪い」が薄まっている? とも考えたりしたが、毎夜前世の夢を見ている事実から、それはあまり正論とは言えない気がする。
それはともかく、体を動かす事が出来る体調の良い今日は、久々に桜太郎の湯浴みを手伝っている。桜太郎は相変わらず、肩から湯をかける度に傷の痛みに「うッ」と呻き声をあげる。その度に僕の心は痛み、辛いが彼の役に立てる事は嬉しい。
そして、湯浴みを終えると、僕が傷付けた肩や背中の傷に、こうして僕自身でしっかり薬を塗ってあげているのである。もちろん、桜太郎に術を施して貰った後で、だ。
薬を塗ったその傷の上から清潔な布を巻くと、その上に片手を乗せた。そして、目を閉じ、僕は念じた。
———この傷が早く癒えますように。
薬を塗って治療をしても、悪くはならずとも、いつまでも治癒には向かわず、大きく赤く開き、腫れているその傷を案じた。
———本当にごめんなさい。
さらに念じると、彼の逞しい大きな肩に着物を掛けた。
それにしても桜太郎が術を使える人物で良かった。おかげで、こうして彼の傷の手当てをすることができる。手当ての効果がいまいちで、もどかしくもあるが、とりあえず手当て出来るだけでも僕の気持ちは満たされるのだから、それだけで十分だ。
「次はお前の番だぞ」
着物を着ると、桜太郎は僕に言う。僕は「うん」と返事をし、鍋にお湯を沸かしに向かった。
湯浴み用のお湯は、決して大きくない二人用の鍋に沸かしたお湯を水で温度調整して使用する。薪ももったいないため、沸かした貴重なお湯はいつも大事に使う。
しばらく寝込んでいた僕にとっては、久しぶりのきちんとした湯浴みだった。
「お前はその血まみれの布でも剥ぎながら、休んどけ、湯を沸かすのは俺がやるから」
桜太郎はそう言って、火の前から僕を追いやった。僕は桜太郎の言われた通りに敷居に腰掛けると、自分の右腕の布を剥いでいった。布の上からも毎夜容赦なく締め付けるこの染め紐のせいで、血に塗れ爛れている。ここに今からお湯をかけていくのかと想像すると、先ほどの唸り声をあげた桜太郎の気持ちが分かった。しかし、この染め紐を取って仕舞えば、僕はたちまち桜太郎を傷付け、そして彼を簡単に死に追いやるだろう。そう考えながら、湯沸かしに精を出す桜太郎の背中を眺めた。
再び、自分の傷に目を落とした時、一つ嫌な感覚を思い出して、はっとした。
以前、僕が桜太郎の肩の手当てのために術なしで直接彼の傷に手を触れた時の事だ。「呪い」の恐怖にまみれた全身は、小刻みに震え出し、「呪い」に支配されそうになった。あの時は、そんな僕に気付いた桜太郎がすぐに術を施してくれたため、「呪い」から解放されたが。あの時、桜太郎の術がなかったら、僕はどうなっていたのだろう。考えただけでも恐ろしい。
恐ろしいけれど、これは使えるかもしれないと思った。
「兄さん、私の傷に触れてみて」
「は?」
僕の体を流し終えて、着物を羽織り、僕の右腕に軟膏を塗ろうとする桜太郎にそう言うと、意外とばかりに彼は固まった。
「いいから、触れてみて」
「お前は、何をいいだすんだ?」
桜太郎の目は真剣でいて、かつ怒りも秘めていた。
「……実験かな」
桜太郎を落ち着かせるために、目を細めた僕はなるべく柔らかい口調で話す。
「ッ! 『呪い』を解くためか?」
「そう!! さすが桜太郎兄さん!」
明るく答えた僕に桜太郎は、僕から目を逸らす。
「お前が……苦しむのは見たくない」
「もし、そうだとしても『呪い』が解ければ、私はもう解放される。普通に生活出来るんだよ。これが最後だと思えば、ね、お願い。成功すれば、だけど」
かなりしばらく考え込んだ後、桜太郎は渋々首を縦に振った。
しかし、桜太郎が僕の右腕の傷に手を触れても何の変化も起きなかった。
あ、そうか。
「兄さん、術を解いてくれなきゃ」
「……。嫌だと言っても無駄なんだろうな」
「そうだね」
桜太郎の「呪い」封じの術は半刻(一時間程)は効果が継続する。それの効果が残っていたのだ。
桜太郎が僕の額に二本の指を軽く触れる。「解いたぞ」という彼の言葉で、二人の間に緊張が走る。
染め紐があるから、桜太郎を傷付ける事はない、と思う。それを信じるしかなかった。
「じゃあ、兄さん、もう一度」と桜太郎に促すと、頷いた彼は傷に恐る恐る触れた。
徐々に全身を「呪い」の恐怖と悲しみと苦しみが駆け巡る。
これにしばらく耐えなければならない。
……のに、プツリとそれが突然途絶えた。
不思議に思い、目を開けると、桜太郎は僕から手を離していた。しかもありがたいことに、また、僕に封印の術を掛けてくれたらしい。
「兄さん、中断しちゃダメだよ」
「……お前を見ていられない」
「僕は大丈夫だか……」
僕は言葉の途中で、目を疑った。
動揺している桜太郎がかきあげた前髪の下には赤く爛れた額が現れたからだった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ここまで、読んで下さった皆様に感謝申し上げます。
一話一話時間がかかってしまい、自分でも、もどかしいですが、次話も頑張ります。
宜しくお願い致します。