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 そして、さらに数週間が経ったある日のことだった。

 夕飯をすっかり準備し終え、桜太郎の着物の繕い物をしながら、彼の帰りを待っていた。繕い物に集中していたため、外がすっかり暗くなっている事に気付かなかった。

 おかしいな……。

 僕は暗くなっても帰ってこない桜太郎を思うと胸騒ぎがした。津結つゆの船着場の宿で出会った青年のことが頭を過ったからだ。

 あの青年が興味を持っていた右腕の染め紐に目をやる。


 ——-まさか、その染め紐は……ッ!? その染め紐は誰から?


 青年の言葉が思い出される。彼と桜太郎、二人が出会って、良い方向に進むならば良いが……。青年のあの怒りに満ちながらも動揺した表情からは、どう考えてもそうはいかない気がする。

 桜太郎は今、何かに巻き込まれてはいないだろうか。

 いつも必ず夕飯には帰宅する桜太郎が帰って来ない非常の不安は考えれば考える程膨らんでいってしまう。

 しかし、この小屋にいて今すぐ彼のために出来ることは……僕にはない。

 それから半刻ばかり、僕は小屋の中を彷徨いたり、気を紛らわせるために縫い物の続きに手をつけたりと、落ち着きなく過ごした。


 ガタンッ!


 突然、小屋の戸に何かがぶつかる音がした。肩がビクリと反応してしまい、恐怖で体がすくむ。何の音なの分からないまま戸を開けるのは危険な気がした。そして、もちろんその勇気もない。音のした方角をただ息を殺して見つめるしかなかった。


「う〜め〜! 帰ったぞぉ〜」


「……!?」


 うちでは常に落ち着いている桜太郎からは考えられない、ご機嫌な様子……しかし、桜太郎の声に違いなかった。

 一歩だけ戸に近付き「兄さん?」と少し声を張って呼びかける。


「兄さんだよ〜。梅ちゃ〜ん、開けて〜」


 その時、ハッと気付く。

 そうだった! 暗くなってから念のため、鍵を閉めたんだった。


「い、今開けるよッ」


 引き戸を引いた途端、桜太郎の体が僕に向かってバサリと倒れ込んで来た。そんな桜太郎の体重をひ弱な僕が受け止められる訳もなく、そのまま桜太郎もろとも後ろに倒れ込む。

 お酒臭い……ッ!!

 こんなに泥酔して、よくここまで辿り着けたものだ。

 やっとのことで桜太郎を押しやって起こし、その場に座らせる。


「兄さん、兄さん」


 うとうと目を閉じ始める彼を眠らせない様に名前を呼ぶ。ここで寝られても、僕は桜太郎を運べないからだ。


「兄さん、布団まで行くよ。頑張ってッ」


「……んっ?」


 半目を開けた桜太郎に肩を貸すと、何とか立ち上がってくれた。やっとのことで敷居の上に彼の体を横たわらせると、布団まで彼の体をコロコロ転がしていき、任務完了。


「兄さん、水飲む?」


 傍まで湯呑みを持って行くと、彼は再び半目を開けた。僕の差し出す湯呑みに手を伸ばしはしたものの、その手は途中で止まった。


「きんか……なの……か?」


 桜太郎の虚な目は僕を捉えていた。


「え?」


「きんか……すまなかっ……た……」


 何を言い出したのかと桜太郎を見つめ返すことしか出来ない僕に向かって、さらに言葉を繋げようとした桜太郎は、湯呑みを手に取る前に目を閉じ、力が抜けた彼の体はパタリと寝床へ倒れ込み、寝息を立て始めた。

 きんか?

 「きんか」って、人の名前? だよな。……ということは、染め紐でお世話になった楊先生のところの菫華きんかさん?

 桜太郎兄さんと菫華さん。

 一体どういう……?

 彼ら二人の関係が全く結びつかない。

 ……が、よく考えたら、桜太郎は僕の「呪い」を以前、術で治めてくれた。そして、菫華は楊先生の息子で、先生の元で術師の修行をしている。

 という事は、昔、桜太郎も楊先生の元で術師の修行を……?

 想像だけで他人の事情をあれこれ考えても時間の無駄である。

 明日、もし聞けそうなら桜太郎に話を聞こう。

 いや、もしかして僕には知られたくない事情があるのかもしれない。この二人暮らしにお互いがお互いの事に干渉し過ぎるのもよくない。

 そう考えるに至った僕は、一先ず二人分作った食事に少しだけ手を付け、桜太郎の横に遠慮がちに横になると眠りについた。

 次の日の朝、目が覚めているにも関わらず桜太郎は寝床から起きようともせず、目を開けたり閉じたりしながら寝返りを打ち続けていた。仕事に行く気配もない。

 太陽が高く上りきってもこの調子が続いた。


「兄さん? 昨日かなり飲みすぎたんでしょう? 昼は食べれそう?」


「……」


 朝からこちらが話しかけてもこの調子だ。

 聞こえているはずなのに……。

 何があったのかは知らないが、とにかく、一人にして欲しい、という事なのだろう。

 僕は一人で軽く昼食を済ますと、桜太郎の分を台に残した。そして、小屋近くの畑に行ったり、山の中を散策しながら陽が傾くまで外で時間を潰した。

 山の崖の上からは夕暮れの海が時折崖下の岩にぶつかりザブンと水しぶきをあげる音が聞こえた。波の力強い音を聞いていると、僕の頭の中も波にさらわれるようにすっきりしてくる。

 秋の訪れが近付く山の上から、遠くの水平線や出て行く漁船を眺めていると、いつの間にか海風で体が冷えてしまったようだ。ブルっと身震いをすると、そろそろ帰らなければ、と膝を伸ばし腰を上げた。


「そこにいたのか」


 振り返ると、目を細めた桜太郎が海風に晒されて立っていた。髪は乱れ、顔に覇気もなく疲れ果てた様子だ。


「……兄さん。起きて大丈夫なの?」


 僕も笑顔を作りつつ返した。彼はそれに何も答えず、僕の横に立って肩に手を回すと「帰るぞ」と一緒に歩き出すよう促される。歩きながら冷えた体が桜太郎の体温で少しずつ和らいでいく。


「これからは、お前と毎日一緒に居るから」


 え? どういう意味?

 僕は彼を咄嗟に見上げる。彼は進む先に視線を向けたままだ。


「今までも毎日兄さんと……」


「もう仕事をする必要が無くなった。一日中お前と過ごせる」


 「今までも毎日兄さんと一緒だったよ」と言い終える前に桜太郎に言葉を遮られる。


「そう……なの?」


 それが僕にとって嬉しい事なのか、そうで無いのかは、その時、はっきりと分からなかった。桜太郎はこちらをチラッと見下ろすとまた、視線を前に戻した。


「とにかく、もうお前を一人にはしない」


 彼が仕事をしなくて良くなった理由を聞く権利は僕にはない。


「……じゃあ、明日から何する?」


 僕はわざと胸を躍らせた風に明るく彼に問いかけた。


「お前は一日中何をしてるんだ?」


「ん〜。体調の良い日は、畑に行ったり、今日みたいに山の中を……」


 あれ? 何で涙が出てくるんだろう?

 桜太郎と一緒に暮らし始めてからの自分の一日を振り返っていると、山を降りることも出来ず、社会から置いて行かれた自分の昼間の孤独感が一気に胸の底から溢れ出す。

 一日を一人で過ごす事には、とっくに慣れていたはずなのに。

 夜、桜太郎が帰って来てくれるだけで、それだけで良かったはずなのに……。

 僕って涙もろいのかな。

 とめどなく流れる涙は止まってくれず、僕は歩みを止めてその場で声を殺して泣いた。

 僕の全てを分かっているかの様に、桜太郎は何も言わず、ただ僕の肩をぎゅっと抱き寄せた。

 そしてその時、気付いたのだった。僕は今、これからは桜太郎が一日うちに居てくれる事が心から嬉しいのだ、と。

 一緒に夕食を作るのは久しぶりだった。


「卵、好きだろう?」


 僕が山をうろうろしている間に、桜太郎は買い出しに行ってくれていたらしい。卵に鶏肉、野菜や菓子まで。何のお祝いだろうという程の量だ。


「その……。僕が口出しする事じゃないんだろうけど……、生活費大丈夫なの?」


 並べられた食材を横目で一瞥し、汁物用の大根を刻みながら、隣で卵を大胆に何個も割り続ける桜太郎に話しかける。


「鶏を飼うか?」


「それは、それでもいいけど……」


「大丈夫だ。今日みたいに毎日贅沢は出来ないが、お前と緑助さんから貰った前受け金もあるし……。あれ、殆ど梅の貯金だろう〜? 遠慮すんなよな〜」


 そう言うと、彼は僕に片目を一瞬閉じて見せた。久々に見る営業モードの桜太郎に戸惑いつつも、元気になった彼に安堵した。


「兄さん」


「ん〜?」


「髪、ぼさぼさだよ。それで町に降りたの?」


「……」


「僕、後で湯浴み手伝うよ」


「……それは、自分でやるから。ほら、さっさと手を動かせ」


「う、うん」


 桜太郎に湯浴みの手伝いをやんわり断られて、少しショックを受けながらも、料理の手を動かし、気を紛らわせた。



「うッ……」


 そのうめき声が、夜中に悪夢から目覚めた自分のものであるのか、それとも違うのか、最初は分からなかった。


「ううッ……ッ」


 隣に居るはずの彼の姿がなく、もう一度聞こえた事で、それが桜太郎のうめき声だと知る。

 部屋に置いている灯りのロウソクも見当たらず、僕は壁伝いに外から聞こえる桜太郎の声へ向かって歩みをゆっくり進める。


「うッ……」


 外から聞こえるうめき声に、一瞬足が止まる。

家の戸を開けると、すぐそこに灯りがあり、外で湯浴みをする桜太郎の後ろ姿があった。


「兄さん……その傷……」


 桜太郎の右肩から背中には、二本の大きな切り傷があった。それは、忘れもしない……僕が「呪い」の姿で彼を二度に渡って傷付けたその傷だった。未だに赤く腫れ上がった傷は痛々しく、見るに耐えない。

 桜太郎は、僕に気付くと咄嗟に濡れた手拭いで右肩を隠した。


「ううッ」


 手拭いが触れただけで、発せられたうめき声としかめた彼の顔で、その傷の痛みがどれ程かと焦る。


「兄さんッ」


「来るなッ!」


 駆け寄ろうとする僕を桜太郎は拒んだ。


「梅、起こしてすまない。大丈夫だから、早く寝ろ」


 僕はそそくさと小屋の中に戻ると夜目を利かせて綺麗な布と僕の右腕用の塗り薬を持ち出し、桜太郎の元に急いだ。

 冷たい川の水で湯浴みをする桜太郎の震える体を、乾いた布で後ろから覆い、優しく彼の体の水分を拭き取っていく。


「梅……、いいから寝ろッ」


「嫌だ。もう、こんなの嫌だ」


「……」


 僕はまた泣いた。

 涙って、限りなくあるのか、泣いても泣いても足りる気がしない。


「もう、陰でこんな事しないで。これからは湯浴みは僕に手伝わせて……お願い、桜太郎兄さん」


「……」


 小さな木箱に入った塗り薬を水気を拭き取った傷口に優しく塗っていく。しかし、彼の傷に触れていく事で、徐々に伝わる「呪い」の恐怖が僕の体を巡り出す。

 大丈夫。これを塗り終えるまでは耐えろ。

 自分にそう言い聞かせて、表では平静を装う。

 しかし、それにも限界があるようだ。


「出来たよ。じゃあ、僕は先に寝るね」


 塗り薬を塗り終えると、すぐに桜太郎から離れ、距離を置く。痛み出す右腕、理性を保つのにぎりぎりの体を何とか寝床まで動かし、横になる。

 布団の上でじっと耐えようとするが、四肢は小刻みに震え出す。

 この「呪い」まみれの体をどうしたらいい?

 今にも「呪い」に支配されそうな体を……どうしたら……。

 とうとう自分の理性の限界により、意識が飛びそうになったその時、暖かいものが額に当たり、その恐怖が一瞬で消え去った。

 ぎゅっと閉じていた目を開けると、目の前に桜太郎がいた。


「……良かった。もっと早く気付くべきだった。こんな無茶、もうするんじゃないぞ。

 次、俺が湯浴みをする時は、お前に術を施しながらだ。分かったか?」


「わ、分かった」


 僕が頷くと、桜太郎は優しく微笑んだ。


最後まで読んで頂きありがとうございます。


次話も頑張ります。


宜しくお願い致します。

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