表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/63

41

 その日の昼餉は、緑助と竹吉、僕、そして煌士こうじという四人で食卓を囲うことになった。こんな光景を誰が想像し得ただろうか。

 しかし、こういった場であっても、本来の煌士のコミュニケーション能力が発揮されることによって、意外にも食事の時間は和やかに過ぎた。


「で、二人は恋敵なの?」


 食事の途中、いつもながら唐突に鋭い直球を投げかける緑助に、僕と煌士の二人は同時に喉を詰まらせて咳き込んだ以外はだが。


「恋敵……というのとは違いますね。俺は彼女に全く意識されてなくて、桜生に完敗なんですよ。まさか、この俺がですよ? どう思います? ハハハッ」


 緑助の直球を打ち返し、上手く笑い飛ばしてしまう煌士を尊敬する。

 煌士は、彼の四兄弟の中でも末っ子にして、周囲の評判を一身に受けている存在なだけはある。顔も良し、人当たりも良く、頭もキレる、と聞く。人当たりという点については、僕以外にはだが。

 なぜ、絢が彼ではなく僕に好意を寄せてくれるのかは、最後まで謎な部分でもある。そういう訳で、僕はこの煌士という男に絢を託しても良いと思っていた。というか、そうなって欲しい。


「お前、料理もできるんだな」


 食事の後、「ただ、桜生と話がしたい」という煌士を僕の部屋に招き、二人で広くない部屋の中央に腰を下ろす。物もほとんど置いていない部屋をぐるりと見回すと、煌士はそう口を開いた。


「そうだね。それに今はもう、それぐらいしか出来ないから。……家事もやっとだけど」


「……そうか」


「煌士くんは、本当に僕に会うためだけに南に来たの?」


「そうだけど? ……お前が『もう永くない』とか言うから……」


「ふふっ、絢のことは、もう煌士くんに託したのに」


「絢を物みたいに言うなよ。さっきも言ったけど、絢はお前以外眼中に無いんだからな。悔しいけど」


 すると、煌士は軽く背筋を伸ばすと膝に両手を置いて「桜生」とかしこまった。


「この間は、……悪かった。『絢を守れるのか?』なんて俺が言える立場じゃなかったのに」


「何いってるの? 絢にはもう、煌士くんしかいないでしょう?」


「……そうなったら、どんなに良いだろうな」


 見つめてくる彼の瞳の奥に何か他に言いたい事があるかのように思え、僅かながら不安を覚えた。しかし、その時の僕は、何とか彼に絢を託したいと言う気持ちの方が強かった。


「僕がいなくなれば、簡単でしょう? 絢を悲しみから救ってあげれば良いだけ……ゴホッ、ゴホッ」


 急に捕まれた胸ぐらが、首を締め付け、咳き込んでしまう。「すまない」と我に返った煌士は、すぐに僕から手を離した。


「お前からそんな話聞きたくない。絢が聞いたら悲しむだろうが」


「でも……、絢にとってはそれしかない。絢を想ってるなら、絢を幸せにしてよ! お願い……煌士くん……ッ」


 逆に彼の腕を掴み、溢れそうな涙を抑えながら、僕は必死になる。興奮したせいか、胸が痛み始める。

 その痛みを和らげようと片手で自分の胸を押さえる僕を見兼ねたのか、煌士は「分かったから」と呟き、「絢の事は俺に任せろ」と控えめなトーンで、仕方がないと言わんばかりにではあったが、そう言ってくれた。


「あり……が……とぅ……」


 体を支えてくれる彼の目に向けてお礼を言うと、引き攣りそうな顔面の筋肉を必死に動かして笑顔を作った。



 次に気がついた時、煌士はすでにこの屋敷を去った後だった。緑助によると、今日の便でまた北へとんぼ返りしたらしい。

 彼は結局僕に何を伝えに来たのだろう。ただ僕の顔を見たかった訳でも無いだろうに。


 ———そうなったら、どんなに良いだろうな


 煌士の言葉に今更ながら、嫌な不安を覚えた。しかし、最後に彼は「絢の事は俺に任せろ」と言ってくれた。この言葉を信じるしかない。

 きっと、彼なら絢を……。

 だめだ……最近涙脆くて嫌になる。絢の幸せのための選択なのに……。彼女に会えなくなる寂しさが身体中を支配し、酷く心が締め付けられる。それに、絢が煌士に寄り添う姿を想像すると、耐えられず思わず目を閉じてしまう。

 絢の幸せを願わないといけないのに……。

 枕は次々と流れる水分を吸って湿っていった。



 そして日は過ぎた。

 僕が北山桜生に別れを告げるという日。その日も夕方になると、いつものように二葉が僕の生存を確認しに来た。彼女にとっては何気ないただの日常における習慣の一環に過ぎない行為を、いつも通り順にこなして行く。

 僕の部屋に来たかと思えば、気分はどうだ、食事は摂ったのか、今日は何をして過ごしたのか、と次々に質問をよこし、学校での幾つかの出来事を楽しそうに話す。彼女は半刻ほど僕の傍に滞在すると、「そろそろ帰らないと」と、これまたいつも通りの台詞で帰ろうとする。そして、僕もいつも通りに「いつもありがとう」と返す。

 ただ、それだけだ。平常運転。いつもと違う言動は……しない。……しない。

 なのに、緑助が余計な事を言うから、そうではなくなってしまった。


「二葉ちゃん、もう帰るの?」


 裏口から出て行こうと土間に降りた二葉を、同じく台所の土間で調理をしていた緑助が呼び止める。さらに「ちょっと待ってて」と二葉を足止めする。

 そんなやり取りが自室にいた僕の耳にも聴こえて来た。かと思うと、しばらくして緑助が僕の部屋に顔を覗かせた。そして、緑助は小声で言う。


「桜生ちゃん、少し歩けそう?」


「……あ、はい」


 僕はこの後の計画を知らない二葉に不信感を与えたくなかった。

 いつも通り……別れたい。

 緑助が何かを仕掛けようとしているのを察し、それを断りたい気持ちを抑えながらも緑助の言葉に従った。


「桜生ちゃん、二葉ちゃんの所に着物を取りに行ってくれるかなぁ〜? 一つ頼んでた物があってさ。僕、今はほら調理中で手が離せないし、ね、お願い〜」


 僕を土間に降りるように促し、緑助は呉服屋である二葉の家まで、僕にお遣いを告げた。

 僕に二葉を送って行くように仕向ける口実だな、これは……。

 体調不良が続くようになってからというもの、二葉を道先まで見送る事からもすっかりご無沙汰だった。

 今日を特別な日にしたくなかったのに……。

 そう思っても、横にいる嬉しそうな二葉の表情を見ると、魂胆バレバレな緑助に従わずにはいられない。そして、緑助からすれば、炊き掛けのご飯の窯や、七輪の上の焼き掛けの鯵の様子からも逃れることはできなかった。たとえそうでなくても、僕の立場で緑助のお遣いを断ることは出来ない訳だが。


「……分かりました。二葉さんを送って、そのまま頼まれている着物を受け取って来ます」


 数秒考えたのち、僕は観念した。ただ、そんなに体調も良くない僕は、二葉にガッチリと手を繋がれ、腕まで掴まれるとゆっくり歩き出した。とは言っても、二葉の自宅は三件先の呉服屋だ。二人で歩いて、何を話すまでもなく目的地に着いてしまった。

 緑助の着物が包まれている風呂敷の包みを受け取り、二葉に挨拶をすると、僕は直ぐに踵を返そうとした。

 しかし二葉に掴まれた袂が僕を引き留めた。


「ねぇ、桜生くん……少しだけ上がっていかない? 体……辛い?」


 突然の二葉の申し出に困惑する。

 やばい……目が潤んでくる。

 もし、今日が今日でなければ、お誘いに従って上がっていたかも知れない。しかし、今日は無理だ。今でさえ涙腺が崩壊寸前なのに。

 目の奥の涙を喉の奥にゴクリと飲み込み、一度深く息を吸って吐き出した。


「ごめん、……二葉さん」


 もちろん僕は彼女に顔を見せることもできず、進行方向を向いたまま、やっと言葉を吐き出した。

 これ以上は、……無理だ。


「分かった」


 僕の袂から手を離した二葉は残念そうにボソリと呟いて、続けた。


「そんな事したら、桜生くんの大事な絢さんに怒られてしまうよね」


「……うん。ゴホッ、ゴホッ」


 絢はそんな事で怒らないと思うし、今日はそんな理由で断ったんじゃない。でも、そう言うことにしておこうと思った。二葉がそう思ったのなら、それが一番平和だ。

 「送って行こうか」との二葉の申し出も断り、薬屋までのろのろ歩くと、最後に二葉を振り返った。

 すると、二葉はまだこちらを見ていて、僕が振り返ったのに気付くと、腕を大きく振った。


「また、明日ね」


 口に片手を添えて三件先の僕まで声を張った。そして、僕も腕を振り返した。最大の笑顔を添えて。




 ———その時が来ると、まるでヨシの骸を前にした、あの時のような静寂が屋敷を包んだ。

 着物の擦れる音がして、僕の部屋の前でその音が止むと、「桜生ちゃん、入るよ」と言って、小さなお盆を手にした緑助が入ってきた。

 お盆の上には小さな湯呑みと薬包紙が置かれている。そして、その時、僕は障子越しに外が既に暗くなっているのを知った。


「もうそんな時間になったんですね」


 僕は寝床の上で上半身をゆっくり起こした。

 緑助は、静かに僕の寝床の側にお盆を置くと、長い腕を僕の背中に回し、ゆっくり抱き寄せた。


「…………」


「旦那さんには、この件でご迷惑をお掛けして申し訳ありません。……後の事を宜しくお願いします」


 らしくもなく無言のままの緑助に戸惑いつつ、僕は口を開く。


「桜生ちゃん……今までありがとう。でも、君の体はかなり弱ってるし、体自体は12歳の少年だよ。

 ……本当はもっと命を大切にしてほしい」


「……分かっています」


 僕が答えると、緑助はもう一度、僕を力強くぎゅっと抱きしめ直し、腕を離した。

 そして、緑助は僕と目を合わせると優しく微笑んだ。


「後の事は任せて……」


 それだけ言い残すと、緑助は立ち上がり、それ以上何も言わず、僕に背を向けた。


「これまで大変お世話になり、ありがとうございました」


 僕は床の上で膝を揃え、頭を深く下げた。緑助が静かに部屋を出て行った後も、しばらく頭を上げることが出来なかった。

 その後、側に置かれた薬包紙を手にとり、それを開くと中の粉末を見つめた。

 これで、僕の北山桜生きたやまおうせいとしての人生を終えることが出来る。

 もう決して会うことのない絢、母さん、姉さん、春兄。二葉さん……。

 皆んなの幸せを祈っています。

 心の中で呟くと、薬包紙の上の粉末を一気に口に入れ、水で流し込んだ。




ここまで読んで頂き、心から感謝申し上げます。

これで第一章が完結となります。


何度も諦め掛けましたが、読んでくださる皆様から頂いた貴重なpポイントを励みに頑張ることができました。


もし宜しければ、引き続き、次章も宜しくお願い致します。

たちまち、次話も頑張ります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ