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少年と老人と海

作者: 瀬川弘毅

 熱い砂の上に、ランドセルが無造作に投げ出されている。


 坊主頭の少年は砂浜に座り込み、打ち寄せる波をじっと見つめていた。


「どうした、少年」


 そこへ、白髪頭の老人が通りかかった。顔には深い皺が刻まれているが、少年の元へ近づいてくる足取りはしっかりしていて、体が健康そのものであることを窺わせる。


「学校、サボったのか?」


「違うよ」


 少年は首を振った。しかし、老人は「こらこら、嘘をつくな」と笑った。


「今日は九月一日。小学校の始業式、二学期が始まる日だろう。おまけに、ランドセルも背負って来てるじゃないか。大方、学校に行く途中でサボりたくなって、抜け出したんじゃないか?」


 坊主頭の小柄な男の子は、黙り込んでしまった。図星なのだろう。


 老人は彼の隣に並んで座り、一緒に海を眺めた。


 残暑厳しい今日この頃だが、午前八時から海で泳ぐほど体力がありあまっている者はいないようだった。海辺にいるのは少年と老人だけで、聞こえるのは波の音とカモメの鳴き声だけだった。



「この海辺は、わしの毎日の散歩コースでな。たまたま少年を見かけたんで、心配になって声を掛けてしまった。まあ、そんなに固くなるな。な?」


 少年を安心させようと、老人はしきりに話しかけた。坊主頭の男の子は目を逸らしているが、構わずに続ける。


「最近の子は、怪しい人がいるとすぐに防犯ブザーを鳴らしたり、親や警察に連絡したりするからな。一応、説明しておかなければと思っただけだ。わしは、不審者じゃないぞ」


「分かってるって。通報したりしないよ」


 無視するのも鬱陶しくなったのか、少年はぶっきらぼうに言った。


「ていうか、そんなことをしたら、僕が学校をサボったことがお父さんやお母さんにバレるじゃないか。するわけないよ」


「いやあ、ハハハ。言われてみればその通り。少年、頭が良いな」


 白髪頭の老人はからからと笑った。それから、ふと首をかしげた。



「しかし、少年は最近の子にしては珍しいな。学校をサボってゲームセンターに入り浸っている悪ガキは時々見かけるが、海を見に来る子は初めてだ。少年は海が好きなのか?」


「海よりはプールの方が好きだな。水を飲んじゃっても、しょっぱくないから」


 大真面目に答える少年が、何だかおかしかった。


「じゃあ、どうしてまた、海辺なんかに?」


 老人が尋ねると、彼はまた口をつぐんでしまった。ややあって、恐る恐る老人の顔を見上げる。


「別に海に来ようと思ったわけじゃないんだ。学校に行きたくなくて、あてもなくふらふら歩いていたら、いつの間にかここに来ていたんだよ」


「ふむ」


 老人が腕組みをする。


「それじゃ、質問を変えよう。少年はなぜ学校に行きたくないんだ?」


「……友達が死んじゃったんだ」


 刹那、少年は目を潤ませた。



「二、三日前に連絡があったんだ。学校で一番仲の良かった友達が、交通事故に遭って死んじゃったって。僕、まだ気持ちの整理ができなくて、何だか学校に行きたくなくなっちゃったんだ」


「……そうか。大変だったな」


 目を細め、白髪頭の老人はためていた息を吐き出すようにして言った。


「うん。僕、その子と同じソフトボールクラブに入ってて、いつも一緒に練習してたんだ。勉強を教えてもらったこともある。これから僕一人でどうやって生きていけばいいのか、分からなくなっちゃったんだ」


 めそめそと泣き出してしまった少年。その肩へそっと手を置き、老人は難しい顔をした。


「少年はまだ若いから、分からないかもしれないけどな。わしくらい歳をとると、身近な人の死を何度も経験することになる」


 少年がはっと顔を上げた。


「身近な人?」


「ああ。わしの妻と息子も、ずっと昔に事故で亡くなっている。……もしかしたら、わしが少年に声を掛けたのは、死んだ息子の面影をどこか重ねていたからかもしれないな」


 老人は自嘲気味に笑い、肩から手を離した。そしてもう一度、今度は強く肩を叩いた。



「少年。生きていれば、悲しいことやつらいこともたくさんある。ときには、自分の力ではどうにもできないことも起こる。残された者は、すべてを受け入れて、乗り越えていくしかないんだ」


 少年の目を見て、老人は喝を入れるように言った。


「しっかり生きろ、少年。友達の分まで生きて、生き抜け。そうすることが、彼にしてやれる最大の供養になるはずだ」


「……うん。分かったよ、おじいさん」


 はたして、少年は涙を袖でぐいと拭い、立ち上がった。


「僕、頑張って学校に行ってみる。天国にいるあいつの分まで、生きるよ」


「偉いぞ、少年」


 よっこらせ、と腰を上げ、老人がにっこり微笑む。



「けれど、今から向かったので間に合うか?」


「ダッシュで行けば問題ないよ」


 そう言って、少年はランドセルを背負って駆け出した。走りながら振り返り、老人に向かって手を振る。


「ありがとう、おじいさん。僕、なんだか元気が出てきた気がするよ!」


「おお、そうかそうか。そりゃあ、良かった」


 少年の姿が見えなくなるまで、老人は笑顔で手を振っていた。

 


 八月が終わり、九月が始まった。今はじりじりと照りつけている夏の日差しも、徐々に弱まり、じきに秋の涼しい風が吹くようになるはずだ。


 時間の流れと、周りの人々の温かく優しい心が、いずれ少年が負った心の傷を癒してくれるに違いない。


 季節の変わり目に海辺で起こった出会いを、彼はきっと忘れないだろう。


本当は9月上旬に投稿したかったのですが、色々ありまして10月になってしまいました…笑

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