決着
その瞬間、闇の精霊から大量の魔力が彼女の体に流れ込む。その量はこれまで私が精霊から借りていた魔力の比ではなかった。
そして彼女から見えない魔力の膜のようなものが周囲に広がっていく。あれは言うなれば魅了の上位魔法のようなものだろうか。
真っ先にそのオーラに飲み込まれたクリストフの目から光が消え、振り上げた剣をそのまま床にぽとりと降ろす。次に飲み込まれた護衛の騎士たちも生気を失ったようにその場に立ち尽くした。
まさに一瞬のことだ。そしてその膜は私や殿下にも迫っていく。
「カウンター・マジック」
殿下が呪文を唱える。殿下は魔法のおかげか、膜のようなものに取り込まれても正気を保っているようだった。私も精霊に魔力をもらっているため影響はない。
それを見て殿下は言う。
「私は大丈夫だ。だがあの魔力に勝てるのはそなただけ。申し訳ないがここは任せる」
「分かりました」
精霊の魔力に勝てるのは精霊の魔力だけ。彼女は何としてでも私が止めなければ。
決意を固める私にアイリスは歪んだ笑みを向ける。
「ふふっ、あなたさえ倒せばここにいる全員、もっと強い魅了をかけて全部なかったことにしてやりますよ」
「アイリス……あなたの過去なんて知ったことではないし、興味もないけどどれだけ哀しいことがあっても国を傾けて国民を不幸にすることは許さない!」
「ふん、綺麗事を!」
アイリスも自分の周りに魔力を集め始める。
こうなった以上王宮がどうのとかは構っていられない。
「ファイアー・ボール!」
私は一番威力が高い火の魔法をアイリスに使用する。
目の前に直径二メートルほどもある火球が出現し、直接触れている訳でもない私にまでその熱が伝わってくる。そんな高熱の火球が一直線にアイリスに向かって飛んでいく。
「ダーク・シールド」
するとアイリスは先ほどと同じように闇の魔力を盾のように展開して防ぐ。必殺のファイアー・ボールも闇魔法の壁にぶつかって砕け散り、周辺に火の粉が降り注ぐ。火の粉が床に敷かれていた高級な絨毯に焦げ目をつけた。
クリストフと広間の兵士十人以上を魅了しながらなおも魔法が使えるとは無尽蔵な魔力だ。
だが、さすがに辛くなってきたのか、彼女の額には大粒の汗が浮かんでいる。それでも彼女は諦めようとしなかった。
「ここで勝って私は全てを手に入れてやる……」
「いい加減諦めて!」
「ふん、ここまで来た以上やるしかないわ!」
そう叫ぶと再びアイリスの手元に闇の魔力が集まり、球体のようなものが形成されてどんどん大きくなっていく。それを固めてぶつけてくるつもりだろうか。ものすごく魔力の濃度が高まっており、先ほどの私のファイアーボールの威力をも上回るかもしれない。ここまでの魔力を使うのは飽くなき執念の賜物だろう。ぶつけられればさすがの私でもひとたまりもないだろう。
だが、アイリスは魅了、防壁、そして謎の球体に完全に集中力を奪われている。
やるなら今しかない。
「グロー・プラント!」
「!?」
突如としてミシミシ、という鈍い音とともにアイリスの足元の床に亀裂が入り、そこから一本のツルが伸びてくる。魔法に集中していたアイリスが異変に気付いた時はもう遅かった。
ツルはあっという間に彼女の全身に巻き付いて自由を奪う。
「くそっ! くそっ、くそっ、くそっ!」
ツルが巻きつく瞬間、アイリスは手元から魔力の塊を手放す。
極限まで高濃度に圧縮された挙句アイリスの制御を失った闇の魔力はその瞬間轟音とともに爆発した。
「アース・ウォール!」
私はとっさに防御魔法を唱える。すると割れた王宮の床の下から土が浮き上がり、私の前に防壁を形成する。その瞬間、暴発した闇の魔力が壁にぶつかる。
ごりごりという鈍い音とともに土の防壁はみるみるうちに削れていき、私の周囲を魔力の暴風が通り過ぎていく。ただ、私の前方の防壁だけは最後の気合で守り抜く。
もはや防御魔法は防壁というよりは薄い土膜のようになってしまっていたが、やがて魔力の暴発は終わり、周囲はふっと静かになる。
防壁が消えて再びアイリスが視界に入る。
すでに彼女はツルによる動きを封じられていたが、力を使い過ぎて疲弊していたのか、最後の魔法攻撃が失敗に終わったと分かると彼女はふっと意識を失った。
その瞬間、彼女の後ろにいた闇の精霊もアイリスを見放したのか、すっと彼女から離れていった。
すると魅了の魔力も全てがふっと消滅する。もっとも魅了にかかっていたクリストフや護衛の兵士たちは皆先ほどの爆発で広間の隅まで吹き飛ばされていたが。
「はあ、助かった……」
それを見て私はようやく体から力を抜く。
「お見事だったよ、シルア殿」
私以外で唯一この場に立っていた殿下がそう声をかけてくれた。
「いえ、これも殿下がお膳立てしてくれたおかげです」
「そんなことはない。そなたが自分の力で立ち向かったのだ」
そう言って大胆にも殿下は私の体を強く抱きしめてくれた。私は達成感と幸福感に包まれて、しばらく全身から力を抜いてなされるがままにしていたのだった。




