追放
「あの、殿下、それについてはすでにお話していたことだと思いますが」
「例の精霊のことか? 馬鹿な。精霊が見えるというだけならともかく、意思疎通することが出来る者など聞いたことがない! 第一どうやってそれを証明するというのだ?」
いや、その話は婚約前に通しているはずだけど。
「今更そのようなことを言われましても」
「精霊と会話したことがある者はいなくとも、悪魔と会話して闇に堕ちていく者は後を絶ちません。きっとこの者もその類に違いありません! 私は同じ王宮に悪魔憑きがいるなど怖くて夜も眠れません」
そう言ってアイリスは殿下の胸に顔をうずめて泣きじゃくる。
うわあ……という感じだったが、なぜか殿下の方もまるで最愛の恋人を慰めるかのような優し気な手つきで抱きしめている。これではうわあの上塗りだ。
結局のところ悪魔がどうとかはどうでも良くて、そちらが真の目的なのではないか、と思ってしまう。好きな女と結ばれるために、口実としてそのことを持ち出しただけではないか。政略結婚が嫌だというのは分からなくもないが、一国の王子としてその判断はどうなのだろうか。これでは殿下との結婚を我慢して受け入れていた私が馬鹿みたいではないか。
こんな殿下と別れること自体は一向に構わないが、だからといって悪魔と会話したなどという言いがかりで追い出されるのはご免だ。
「とはいえ私としても云われなき罪で糾弾されるのは承知いたしかねます!」
「ええい、今すぐに出ていけば正式な罪に問うことだけは許してやろうと言っているのが分からないのか!」
お前の言うことはさっきから何一つ分からない……と言いたかったがそれは口には出さない。
「それはつまり正式な罪はないのに追い出すということですか!?」
「殿下、さっきからこの女が私を睨んできます、恐ろしいです!」
そう言ってアイリスは殿下の腕の中で涙を流す。夜も眠れない割には血色は良さそうだけど。
先ほどから私が殿下を論破しようとするたびにアイリスが三文芝居でそれを阻止している。アイリスはアイリスで殿下に理がないことを分かっていて、泣いて誤魔化そうとしているのではないか。
が、殿下はアイリスの演技を信じ込み、いよいよ顔を真っ赤にする。
「そもそも精霊と会話できるなどというのが嘘に決まっている! 虚言を弄し、悪魔との交流を試みるような者を王宮においておくわけにはいかない! 今すぐに出ていけ!」
「あの、せめて陛下に確認をとっていただいては……」
こいつはこんな性格だが、現国王である陛下はいたってまともな人物である。私とこいつの政略結婚を決めたのも国の将来を願ってのことだ。子育てだけは失敗したみたいだけど。
陛下がこの件を耳にすれば間違いなくこいつが怒られて終わるだろう。
が、そんな真っ当な私の言葉にも殿下は怒鳴り声を上げた。
「くどい! 陛下は今倒れている! 余計な心労を増やすことは出来ぬ!」
余計な心労を増やしているのはどっちなのだろうかよく考えて欲しい。
とはいえ、こんな奴でもこの国の第一王子。陛下以外に上から物を言える人物はいない。うちは国政への影響力のある公爵家だが、うちの言うことをヒステリックになっている今の殿下が聞くとも思えない。
それに今更誰かが殿下に諫言して考え直させたとしても、ここまで醜態をさらされた以上、今度は私の方がこんな奴に嫁ぐのはご免だ。これまでは上辺だけは取り繕った関係を続けてきたが、今後は社交辞令とはいえ殿下のことを褒めるのは堪えられない。
「分かりました。そこまでおっしゃるのでしたら婚約破棄は受け入れます。特に罪はないけど殿下がそう決めたということでよろしいですね?」
「受け入れるも受け入れないも何もない! 命令だと言っているだろう!」
「殿下、この女は王都にももう近づけさせないでください。私はとても恐ろしいのです」
アイリスが涙声で言うと、殿下は吐き捨てるように言葉を付け足した。
「そして二度と王都に入るな! いや、国から出ていくがいい!」
「はい、分かりました」
私は暗澹たる気持ちになった。
いくら殿下でも公式には何の罪もない人間を国外追放する権利などないと思うのだが、私もいい加減このやりとりを続けることにうんざりしていたこともあって、受け入れてしまった。
こうして私は憤懣やるかたない思いで王宮を出たのだった。