守護獣はもふもふ狼
そして次の瞬間、私の頭の中に声が聞こえてくる。
(よくぞ来た、封印の守り手の末裔よ)
「え、しゃべった!?」
私が思わず声を上げると、殿下や騎士たちは変な目でこちらを見る。言われてみれば彼の声は狼の吠えるような音である。私の中に響いている声は私にしか聞こえていないのであろう。
(何と、我が言葉が分かるのか! そのような者は初代の守り手以来であるぞ)
守護獣ケイロンの声(?)にもどこか喜びが混ざっている。
精霊たち同様、話し相手がいなくて物足りなかったのだろうか。
「何と……精霊だけでなく我が国の守護獣の声も聞こえるとは」
私も驚くやら申し訳なくなるやらである。この国の人をさしおいて私が話してしまうのは何やら申し訳ない。
とはいえ、特に何かした訳でもなく会話出来てしまっているのですごいことだと言われてもいまいち実感が湧かなかった。
(確かに邪竜の封印は緩みつつある。わしも封印強化の儀は行うべきだと思っていたところだ。共に封印の地へ向かおうではないか)
「何と言っているのだ?」
ケイロンが吠えているのを見て殿下が私に尋ねる。
「封印が弱まっているので共に向かおうと言っております」
私は通訳(?)する。するとケイロンは私たちの前まで歩いてくると、脚を折ってその場に伏せのような姿勢をとる。
(乗るが良い)
すると殿下がひらりと守護獣に跳び乗る。
あれ、てっきり私が乗る流れだと思っていたんだけど、と思っていると。
「さあ、後ろに乗ってくれ」
「え?」
思っていたのと違う展開に私は思わず間抜けな声を上げてしまう。まさか他国の王子とケイロンに相乗りすることになるなどと誰が思うだろうか。
私が戸惑っていると殿下は怪訝な顔でこちらを見る。
「そなたは馬に乗ることは出来るか?」
「いえ、無理ですが」
「獣に乗るというのは訓練しなければ出来ぬものだ。馬と同じ速さで走っている獣に一人で乗ることは経験がない者にはかなり困難なことだろう」
(安心せよ、初代の守り手も精霊の力を持つ娘を同乗させていた)
ケイロンもフォローしてくれる。それを聞いてようやく私は、初代の方もそうだったのならまあいいか、という気分になる。
「分かりました。それでは失礼します」
そう言って私は守護獣の美しい毛並みにまたがる。その質感は今まで座ったどんな高級なクッションよりもふかふかで、思わず毛並みの中に吸い込まれていきそうになるぐらいだ。ついつい毛並みにさわってもふもふ感を堪能してしまう。
(乗ったら守り手の腰に掴まるが良い)
「え、そんなこと出来ません!」
ケイロンに私は思わず叫んでしまう。一国の王子相手にそんな馴れ馴れしいことが出来る訳がない。
(だがわしは馬と同じ速さで走る。そうでもしなければ振り落とされてしまうぞ。それに初代の者も同じだった)
「えぇ……」
とはいえ、そう言われてしまえば私に選択肢はない。先ほどから初代の王がやったというのが全ての免罪符になっているな。
「それでは失礼いたします、殿下」
私はおそるおそる殿下の腰に手を回す。魔法の知識に優れているという評判から私が勝手に思い描いていたすらりとした体形とは違い、殿下の身体はしっかりと鍛えられていた。
「もっとしっかり掴まないと振り落とされるぞ」
嫌がられるかもしれない、と思っていたが全くそんなことはなくて私は少し安心して力をこめる。後ろから殿下の腰を抱きしめるような形になってしまったが、ごつごつとした感触は私に頼もしさを感じさせた。
こうして私は殿下のがっしりした腰に掴まりながらもふもふの毛並みに跨るというありえない体験をすることになったのである。
その後私たちはマナライト王国でもとりわけ人があまり棲んでいない、東方の山々へ向かって進んだ。だんだんと周囲が平地から荒れ地、そして緩やかな勾配へと変わっていく。その中を訓練された騎士団が馬を走らせ、それに合わせてケイロンが疾走する。
周辺の風景があっという間に流れていく様は圧巻だったが、私は振り落とされないよう殿下の腰にしがみつくのが精いっぱいであまり景色を楽しむことは出来なかった。殿下にあまり強くしがみつくのは申し訳ない、という遠慮があったのは本当に最初の一瞬だけだったと思う。すぐに全力でしがみつくようになってしまった。
男性は皆簡単そうに馬を乗りこなしているが、まさかこんなに大変だったとは。私は密かに馬に乗れる男性への評価を改める。
昼頃、目的地に近づいたため私たちは一度休憩を挟むことになった。
しかしケイロンはぴんぴんしており、まるで「馬に合わせなければもっと速く走れる」とでも言いたげであった。
「疲れた……」
一方、ただ後ろでしがみついていただけなのに私は疲れ果てていた。それを見た殿下は苦笑する。
「最初は誰でもそんなものだ」
「男性は皆、よく乗れるようになりますね……」
あと私は狼のもふもふな背中に跨っていたから良かったけど、馬に跨っていたらお尻も痛くなりそう。
「力を入れるところと抜くところのコツを掴めれば大分楽になる」
言われてみれば、私は恐怖のあまり全身にガチガチに力が入っていたのかもしれない。道理で腕や足以外も疲れていると思った。
(わしの背中で休むが良い)
そんな私を見かねたのか、不意にケイロンがささやく。
「ありがとう」
疲れ切っていた私はその大きくてふかふかな背中に横たわる。実家のベッドですらここまでのふかふか感はなかったと思う。まるで体がどこまでも沈んでいくようだ。しばらくあおむけになったりうつ伏せになったりしてもふもふを堪能する。
だが、すぐに時間は過ぎていき無情にも殿下は宣告する。
「さて、そろそろ出発しよう」
私は思わず不満そうな表情をしてしまったのだろう、殿下は苦笑する。
とはいえ寝心地が良かったので短時間でも疲れはほぼ回復していた。
「あまり遅くなると日没までに帰れなくなってしまう」
「……分かりました」
さすがにそれは嫌だ。名残惜しかったが、私はケイロンの毛並みから体を起こして再び背中に跨るのだった。




