どうして、人は竜を必要としてしまうのだろう。
貴方には聞こえるか、今も私の声が。
大空を捨てた竜の啼き声がー。
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ザフィーア王国の北東に位置する都市ネルケは、その昔、世界の台所とも謳われた商人たちの街である。東西のあらゆるものが一度ここに集められ、世界中に散っていく。様々な国の人々でごった返す市場の中で、ミーナは今日も声を張り上げていた。
「さぁ、見て頂戴!今朝、入った特上の茶葉だよ!紅蓮帝国で今大人気、ユノ茶だよ!」
足を止めたお客たちに、色とりどりの茶葉を見せていく。
「いくらだ?」
「1キロ、50ターラー。」
「何?!いや、高すぎる。普通の茶葉なら、30ターラーもしないだろう。」
「何言ってるの。お客さん、これはあの紅蓮帝国の皇女様も美容の為に毎日飲んでるっていうユノ茶だよ。向こうでだって、中々手に入らないのに。なんなら、これでも良心的な値段だよ。」
ミーナの強気な物言いに、男は唇を噛んだ。
「30でどうだ。…それなら2キロにしよう。」
「45。2キロで90ターラーね。」
ぴしゃりと言い切ったミーナに、男は乱暴に頭を掻いた。
「2つで70!」
「80よ。これ以上は無理。」
「…わかった。」
「まいどありー!ありがとうね。」
男は懐から渋々財布を取り出す。ミーナは極上の笑みでそれを受け取ると、商品を袋に入れ手渡した。重そうに肩に担いで去っていく男を見送っていると、後ろから拍手が聞こえる。
「やるようになったじゃない。ミーナ。」
店の奥からやって来たエプロン姿の女性は、重そうな体を椅子に預け、からかうようにこちらを見ている。
「そりゃ、エマおばさん仕込みの私ですから。」
「仕込み甲斐あったからねぇ。来た頃のあんたは、根性なしだし、よく泣くしで大変だったけどねぇ。」
「やめてよ、何年前の話よ。」
「それが、まぁこんなに立派になって。今や、銀行家の息子と良い仲なんて。」
「ちょ!それは違うから。」
感慨深げなエマにミーナは慌てて首を振る。
「いいじゃないか。相手は、幼馴染でお金持ち。玉の輿だろ。借金も肩代わりしてくれて、何の持参金もなく嫁に来てほしいなんて、羨ましいねぇ。」
「いやいや、単に自分の家の自慢がしたいだけなのよ。あいつは。」
その時、店の裏口から呼び鈴が鳴らされた。ミーナは顔をほころばせると、エプロンの紐を解く。エマは「お迎えが来たね。」と呟くと、椅子から立ち上がった。
「ご苦労さん。これ、今日の分ね。それから、これ持っていきな。」
ジャガイモの袋を受け取るとミーナはとびがった。
「いいの!…こんなに沢山!ありがとう。」
エプロンを壁にかけて、コートを羽織り、鞄を掴む。そのまま裏口から出ると、イルハンが壁にもたれて待っていた。通りを歩く女性からちらちらと視線を投げられることに少しも気づかない様子で、彼はミーナに近づいてくる。
「お仕事、ご苦労様です。」
「イルハンもご苦労様。見て見て、エマおばさんからこんなに貰っちゃった!今夜はご馳走よ。」
イルハンは微笑むと、さり気なくミーナから袋を受け取り歩き出す。太陽が傾き、西日が2人の長い影を作った。ミーナは高く結っていた亜麻色の髪をほどき、鬱陶しいそうに宙にはらう。まだ少し寒い3月の風の中で、ミーナは力一杯伸びをした。
「何かありましたか。」
「え?」
「何か落ち込んでいるような気がしますが。」
背が高いイルハンを見上げると、ミーナは照れたように笑った。
「イルハンには何でもお見通しね。…結構あの噂が回ってるっみたい。」
「ああ‥。」
「何で、私があんな奴と結婚しなきゃいけないわけ。しかも、やたらと皆から勧められるし。」
「…外堀を埋める作戦ですかね。」
「なーにが、お前はろくな縁談もこないだろうから。仕方がないから、貰ってやってもいいぜ、だ。」
不穏な笑顔を浮かべながら、ミーナはちゃらちゃらと気取った幼馴染の姿が脳裏に浮かべた。昔から気にくわないお坊ちゃんだったが、まさかこんな事まで言ってくるとは思わなかった。
「大体、私のことが気にくわないなら、放っておいてくれたらいいのに。結婚なんて、意味分かんない!」
「…そうですね。」
何故か気の毒そうに相槌を打つイルハンをよそ目に腹を立てながら、通りを進み路地を抜けると小さなアパートが見えてきた。所々、外壁が剥がれツタがこれでもかと巻きついたその建物を見上げて、ミーナは溜息をつく。このアパートの1階部分が、ミーナ達の部屋だ。
「…ま、うちにお金がないのは事実なんだけどね。」
落ち込んだ姿を見て、イルハンはそっとミーナの肩に手を置く。細身の体には不似合いな分厚い手であやすように叩いた。
「…大丈夫ですよ。私のお給金も、もうすぐ上がりますし。もう少し暖かくなれば、隊商宿から用心棒の日雇い仕事も舞い込んできて臨時収入もできますから。ね、お嬢様、大丈夫ですから。」
「うん…イルハン、ありがとう!」
そのままイルハンの腰に抱きついた。頭を振りながら、抱きしめる力を強める。
「ごめんね。元はといえば、おばあちゃんが作った借金なのに。イルハンにまで負担をかけて…。でもね、無理はしなくていいのよ。も、もしもっと良い奉公先があったら、そっちに行ったって全然いいんだからね。」
「何を仰っているんですか。お嬢様のことは、亡き大奥様より頼まれているんですから。それに身寄りのない私に、他に行く当てなんてありませんよ。…さ、早く夜ご飯にしましょう。」
小さな路地とはいえ、人通りのある場所で若い娘に抱きつかれている図は目立たない訳がなく、イルハンは視線を感じるとそそくさと歩き出した。恐らく、明日にでもまだ変な噂が回るに違いない。
「あれ、何あの人。」
錆びついたアパートの門を抜けると、入り口に見知らぬ男が立っていた。黒いマントにきっちりと白手袋をつけ、几帳面そうに懐中時計を拭いている。この辺りでは見かけない紳士然とした姿に、ミーナは眉をひそめた。イルハンは思わず、ミーナを背中へ隠す。
男はミーナ達の姿を見つけると、早足で近寄ってきた。そして、目の前で立ち止まると、ミーナを無遠慮な視線で上から下まで確認する。
「ミーナ・ミュラー様でいらっしゃいますか?」
「…はい。」
その瞬間、ミーナの手を取り男は跪いた。無造作に雑草が咲き乱れるアパートの庭に、格好の良い紳士が妙に浮いて見える。ミーナは目を瞬かせて、手を引き抜こうとした。何だか、嫌な予感がする。
「あの…何か?」
「ずっと探しておりました。屋敷で、ビルシュタイン男爵がお待ちしております。」
「ビ、ビルシュ…?」
聞きなれない名前に首を傾げていると、男は立ち上がって目を輝かせた。
「ビルシュタイン男爵、あなたのお父様でいらっしゃるお方です!」
「は、はいーー?!!」
アパートの庭で、見知らぬ紳士に跪いて求婚を受け、それはもう腰を抜かすほど驚いていた。次の日、市場では昨日の様子を見かけた人々によってミーナのこんな噂が出回っていた。




