下準備
王都に夜の帳が降り始める。
仕事が終わり露店を畳み始める商人の前を様々な様子の人々が行き交っていく。
給仕服の女はこれから仕事へと赴くのか、通りを歩く人の間を急ぎ走り抜け、
その女が向かう少し先では仕事が終わり同僚と飲みに行くのか、徒党の雰囲気を醸し出す野蛮な男集団の姿があった。
その集団とすれ違う野蛮な雰囲気とは対照的な笑みを浮かべた男は、家族へのお土産なのか果実の入った紙包みを持っていた。
男がぶつからないように避ける際、その袋から林檎が一つこぼれ落ちる。
それに気づいた、男の後ろにいた台車を引く一行から子どもが走り拾い上げ、男へと手渡す。
「ありがとう。んじゃその林檎は心優しいお嬢ちゃんにあげるよ」
そんな、いいから、と押し問答を繰り広げる二人を遠巻きに見守る子どもの母親らしき人物から声がかかり、子どもは折れて勢いよくお辞儀をし戻っていく。
親と手をつなぎ、振り返って手を振る子どもとお辞儀をする親に男は手を振り返す。その際に片手で支えた袋から別の果実が一つこぼれ落ちた。
上手く体制を整えながら落ちた果実を拾い上げる時、淡い月あかりを掻き消すように雲が月を覆っていった。
※ ※
「狙ったかのように月が隠れたな」
「天は我らに味方せりってか? いや、今回は明るい方が良いのか?」
紅蓮華騎士団の練兵場で荒ぶる気持ちを発散させるために軽く汗をかいたアマビスカとシュテルンは地べたに座り夜風に当たって涼を取る。
「グレタ姉が居るとはいえ、一癖も二癖もある柘榴が暴走しないか心配だ。その上インゴさんも暴れ出したらと思うと」
「そこはヴァーノン兄貴の出番じゃないか? よそのチームより自分の任務に集中しろよ。そろそろ出発だろ?」
「俺は特段やるべきことがある訳じゃないしな。二泊三日の大規模キャンプをするだけだし」
「英雄と寝食を共にするリフレッシュ休暇だろ。しっかり励め英雄様」
「お前は――いいのかよ」
アマビスカは言葉を濁し、視線を逸らす。シュテルンは優しく苦笑して意図を汲む。
「ガキの頃、俺は身分って奴が大嫌いだった。どんなに努力しても、認められても、大切な友人とは一線を画するソイツが恨めしかった。何かがあれば周りの大人は其れを理由に俺を責めた。父はその最たる例だ」
アマビスカは苦しそうに顔をあげる。その心優しい友人に幼馴染は笑顔を見せると、寝転がり空を見上げて月を握るように手を突き上げる。
「確かにそれは存在し、時には夏の日照りのように民を苦しめる。だけど月明かりのように足元を優しく照らすこともある。今のように見られたくない表情を隠してくれたりもな」
シュテルンはアマビスカに戯けて片目を閉じると勢い良く飛び上がり歩き始める。アマビスカも少し遅れて立ち上がる。
「今は純粋に嬉しい。大切な友人達はその身分って言う壁に扉をつけて隣に行けるようにしてくれた。扉の先で無限に広がる空間に行き場のない人々を迎えてくれた。そんな事は俺には勿論、他の国だって簡単には出来ない」
シュテルンは歩みを止めて振り返る。
「俺はお前らの影になる。お前らが光り輝く太陽なら月になって夜を照らす。輝き過ぎて大地を、民を焦がすなら雲になって雨を降らす。それが俺のやりたい事だ」
シュテルンは柄にもなく無邪気に微笑んだ。
※ ※
森の中、生物の鳴き声に紛れてガツガツと地面を抉る音が響く。
「なぁインゴさん、あんたらしくもねぇ。落ち着こうぜ」
ヴァーノンの呼びかけにも返事はない。途方に暮れたヴァーノンは何度目かの魔術基礎鍛練を行う。意識を集中し鳴き声が聴こえなくなりかけた頃、前方から草を分ける音がした。
「二人とも気合入ってますね。少し怖いです」
「おかえり。他にやることなくてな。お爺ちゃんは耳が遠くて話しかけても返事しないし」
「黙れ小童。娘子、変わりはないか?」
「そんな言い方してもう。お爺ちゃん、さっきも会ったでしょ」
「お主ら戯れるのはよせ」
「インゴさん、貴方もです」
クセニアのいつに無く真面目な雰囲気にインゴは戦斧を地面に叩くのを止め、剣呑な雰囲気を醸し出す。
「インゴさんらしくありませんよ。いつもの孫を見守る雰囲気でお願いします。気配が鋭すぎますよ」
クセニアに諭され俯きながらそっと眼を閉じる。顔をあげた時には悪戯好きな好々爺と化していた。
「可愛げの失せた主らなど要らぬわ。孫だけ置いてさっさと帰れ。顔も見とうないわ」
「俺とクセニアの子どもみたいになってるからやめてもらえる?」
ヴァーノンの戯言にクセニアは汚物を見る眼を向けた。
「それで状況はどうじゃ」
「はい。上層エリアに表立った事はありません。一般の職員は帰路についてますし捜索は不要かと。」
「んじゃ俺も地下組だな」
クセニアは頷き話を進める。
「協力者の情報通り地下エリアへの通路を確認。鍵は魔力認証の様です。こちらも開錠は可能です。ただその先は確認するすべがありませんので戻ってきました」
「上々。予定通り地下エリアを封鎖する。小童と姫将軍らが待機。先導は主に頼む」
「どうしてもインゴさんは潜るのですか?」
無言でキリッと睨むインゴには恐れおののくオーラがある。
クセニアはヴァーノンに目配せし、ヴァーノンは答えるかのように肩をすかせる。
「グレタ様にもお考えがあるでしょうし、団長達が合流してから練り直しましょうよ。勝手にやると私が怒られます」
「妖狐の意なんぞ知ったことか。誰がなんと言おうと儂は行く」
「まぁ男勝りの姫様なら血気盛んに先陣を切り嬉々として破壊の限りを尽くすだろうよ。インゴさんでなきゃサポートはだめかもしれない。いや、もしかしたら誰も姫様の横には並び立つことはかなわぬかも。鬼神すら恐れ平伏し、道を譲って――」
「おいこら」
うんうんと頷くヴァーノンのすぐ後ろに、火炎を纏い鬼の形相のコニィアと怪しいオーラを放つグレタが仁王立ち。コニィアは逃げ出すヴァーノンの襟を掴み地面に倒す。眉間に皺を寄せながらガミガミと文句を言うコニィアとは逆に、グレタはさながら頭から狐耳が生えてそうな意地悪さでインゴに近づく。
「穴掘り土竜が何か仰っておりましたが、確かに土竜の性分ゆえ地下に地下にと潜りたくてしょうがないのですね。ですがお目が悪い土竜さんは月明かりの下で穴掘りの続きをしていてくださいませ」
グレタは優雅なしぐさでインゴが戦斧で抉った地面を指し示す。それだけでインゴの精神状態を看破していると暗に示した。インゴはぐうの音も出ない。
木国と土国は『やや仲が悪い』ためか一部の種族間には多少の隔たりはある。だがこの二人に関しては口が達者なグレタが一方的に有利、事あるごとにインゴをオモチャとする。グレタ曰く、『一人ぐらいは苦手な人が居ると愛嬌が沸くから』だそうだ。
そんな諍いを起こしている四人をオドオドハラハラしながら見守るモーナの頭をクセニアは優しく撫でる。くすぐった層にしているモーナに気が付いたインゴとヴァーノンはモーナを迎えるべく両腕を広げて走り出した。




