王妃に相応しいご令嬢
最後の方、軽く加糖注意です。
「ルクレツィア!」
「……はい?」
紅茶をひとすすりし、ルクレツィア・トルメインは眉をひそめた。せっかく優雅にお茶会をしていたというのに何の用だろうか。ルクレツィアが振り返った先には彼女の婚約者……王太子、キース・ハイゼンが数名の侍女、そして震えながらもこちらを気丈に睨む、令嬢を伴っていた。
「まぁ、キース様。どうかなさいまして?」
ルクレツィアはカチャリ、とカップをトレーの上に置くと毅然と立ち上がる。一つ一つの所作が洗練されていてとても美しい。キースと連れ立ってきた侍女の数名はほう、とルクレツィアの美しさにため息した。
ルクレツィアは、共に茶会を楽しんでいた仲間達に「下がりなさい」と言った。
「この女……アメリアだったか?お前の名前」
「メ、メアリアですわ!」
「なんだ紛らわしい」
という会話を聞いて、ルクレツィアは吹き出しそうになるのを堪える。何なんだ、この茶番は。名前を覚えられていなかった令嬢は今にも泣き出しそうだ。お労しい。
「が、お前から嫌がらせを受けていると言ってきたんだ」
「……あら」
「と、とぼけないでくださいましっ……わ、わたくしは! 貴方に! ぶ、侮辱されて……っ!」
女……メアリアはよろり、と体のバランスを崩す。そのままキースにもたれかかろうとするが、ヒョイ、と避けられる。
「っあう!?」
避けられるだなんて思いもしなかったのか、メアリアの端正な顔立ちが歪む。性格の悪さが取ってわかるような、歪んだ顔だ。
「な、なんで避けるのですか!?」
「なんで、避けたら駄目なんだ」
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ、と。幾度か続いたあとメアリアはとうとう諦め、またしてもその青い瞳に涙を滲ませる。
「メアリア様……と申したかしら。少々混乱なさっている様子。頭を冷やして出直してらしたら?」
メアリアの顔が羞恥でかぁぁと真っ赤に染まる。遠回しに馬鹿、と言われたようなものだ。そりゃ怒る。
「だ、誰に対してそんな口を聞いてるのよ……!」
「……申し訳ありませんがわたくし、貴方の家名を存じ上げませんの。ですから教えてくださる?それ相応の対応はしますから」
ルクレツィアは公爵令嬢だ。と、同時にこの国の宰相の娘でもあり、さらに王太子の婚約者でもある。王妃やら皇太后やら内親王などを除けばこの国で1番権力を持った貴族の娘はルクレツィアであるはずだった。
「わたくしはメアリア・ポドモアですわ」
「ポドモア家……?はて、聞いたことありませんわね」
「俺もだ」
ポドモア、という家系はルクレツィアとキースの知りうる中ではこの国には存在しないはずだった。2人して首を傾げているとメアリアがとうとう口調を荒げ、2人にまくし立てる。
「いい加減にしなさいよ! ポドモア家って言ったらチェールリ国の宰相家にして3代で公爵に上り詰めた名門じゃない!」
「……はぁ」
チェールリ国とは、ここザクセン帝国の隣に位置し、また属国でもある。あまりにも小さな国のため周りの帝国や王国からは街扱いをされている。
「と申されましても……小国の一宰相の家名などわたくし存じ上げませんわ」
「俺もだな。少なくともチェールリはザクセンが収める国だ。宰相など居ても意味がなく、実質うちの宰相が仕事を行っているであろうな」
「まぁ、では名ばかりの宰相というわけですわね」
「頭はからっぽのな」
散々な言われようである。
メアリアがキースに「ルクレツィアという女から嫌がらせを受けている!」と言ったのはルクレツィアとキースの婚約を破棄させ、自分自身が次期国王の寵愛を得るためであった。一応キースはルクレツィアに、こうしてお窺いを立ててくれたものの、完璧にルクレツィアの味方だ。それ以外の何者でもない。
「ば、馬鹿にしないでくださいまし!そういう貴方こそ何なんですの!? 図々しくキース殿下の婚約者などにおさまり! どうせ顔だけが取り柄の男爵家や子爵家の令嬢でしょう!?」
メアリアの怒りは凄まじい。甘やかされて育ってきたのね、とルクレツィアは思う。だいたい甘やかされた子は思い上がり、つけあがり、自分が一番だと勘違いしてしまうのだ。
メアリアがもし、キースと結婚をすることになればチェールリ国は発展する。王妃の祖国として。
「わたくしはルクレツィア・トルメイン。この国の公爵令嬢にして宰相家長女ですわ。以後、お見知りおきを」
「っな……!?」
「貴方、甘いわねぇ。ちゃんと敵の素性を調べてからいらっしゃいな」
ルクレツィアはふん、と鼻で笑う。その様子さえも周りからは美しくうつる。
「っわたくしを、階段から突き落としたじゃないの!貴方の顔、ばっちり見たわ!そうよね、皆!」
と、どうやら侍女はメアリアのお付きだったらしい。
侍女達はコクコクと頷く。
「あら、おかしな話しね。わたくし貴方とはお会いしたことないのですけれど」
「嘘つかないでちょうだい! わたくしがお父様と王宮を訪れた際、貴方に階段から突き落とされたわ。彼女達も見ているもの」
ええそうですわ、と頷く侍女達を見て、勝ち誇ったように言うメアリア。キースが渋い顔をする。
「そんなことは不可能よ。だってわたくし、王宮に滞在している時はいつもキース様の傍におりますもの。ずっと、よ」
「あぁ。私の愛おしいルクレツィアが王宮まで来ているというのにと一時でも離れるのは惜しい。政務の最中でも私はルクレツィアと共に過ごしている。よってルクレツィアの言葉に偽りはない」
さーっと顔を青くするメアリア。と、同時に怒りがわいてきたようだ。
「なんであんたなのよ……」
憎々しげな呟きは小さすぎてキースとルクレツィアには聞こえない。ルクレツィアは勝ったわ、と思い小さく微笑む。
「メアリア嬢。これ以上は無駄だと思うが。もし君が望むのなら次に私たちが会うのは高等裁判院だな」
高等裁判院。ザクセン帝国で一番の力を持つ裁判所だ。帝国の貴族達が参加し、そこで決定したことは直ちに国中に伝わる。
そこで負けることは、社会的死を意味する。
「……覚えてらっしゃい!」
と、頭の悪そうなセリフを吐きメアリアはスタスタと遠ざかる。
「メアリア様!」
「お待ちくださいっ!」
侍女たちがバタバタと彼女の後を追う。
「メアリア・ポドモア嬢! 次期王妃に対する貴様のこの所業……許されると思うなよ!」
キースが彼女の後ろ姿にそう、言う。
彼女は一瞬その歩みを止めたが、何事も無かったかのように悠然と歩き去る。
「あの方、きっと次期王妃の座を望んだんだわ」
「馬鹿な女だな、ありもしないことで騒ぎ立て、他人を傷付けようとする女など王妃の重責に耐えられるものか」
「ふふふ、きっとキース様の魅力に惹かれたのよ。モテる婚約者を持って大変だわ」
キースは、ルクレツィアをひしと抱きしめる。
ルクレツィアの溢れんばかりの長い金髪をサラサラとかきあげる。
「それを言うのならば君もだろう?この前の夜会で何人の男にダンスに誘われた?」
「あんなのは社交辞令にすぎませんわ。わたくしはキース様一筋ですもの」
「ルクレツィア……」
「ですがキース様はそうは参りません。存じております。王族の役目は、跡継ぎとなる子を多く生むため、大勢の女人と関係を持つこと。いずれ後宮が開くことをわたくしは否定したりはしませんわ」
もちろん、嫉妬にかられて他の令嬢を傷つけるだなんてこともいたしませんわ。とルクレツィアは優美に微笑む。
「ルクレツィア。やはりお前こそが王妃に相応しい淑女だ。改めて私と婚約を結んでくれたことに礼を言う」
「キース様……」
柔らかな音を立てて2人の唇が重なる。
「んっ……」
ルクレツィアの形の良い唇から甘い吐息が漏れ聞こえる。
「ぁ……キース、様っ……こ、こ……外、ですのにっ……ぁ」
「構わぬ。人払いもすませているしな」
キースの指先が、ツー、とルクレツィアの首筋を這う。ルクレツィアはビク、と身を捩らせその青い瞳に涙を浮かべた。
キースはそんなルクレツィアを愛おしそうに見つめる。
「ぁ……キース、様っ……」
「ルクレツィア……どうか、キースと。今は王太子と令嬢という身分を忘れ、ただの愛し合う男と女になろう」
「なら、わたくしのことも……幼き時分の様に、ルカ、と」
ルクレツィアの青い瞳と、キースの熱っぽい視線が絡み合う。キースはふ、と笑い力を抜くと愛おしげに彼女の名前を呼ぶ。
「キース……愛してるわ……」
「私もだ……いや、俺もだよ、ルカ」
ルクレツィア・トルメインと言えば歴史に名を残した、キース王の王妃だ。
キース王は、即位と同時にルクレツィアを王妃に据え、長年手をつけずにいた後宮も解体した。
キース王の寵愛は、真っ直ぐルクレツィア王妃だけに向けられ、2人は5人もの子宝に恵まれる。
ルクレツィアは、キースが戦などで不在だった時分、持ち前の器用さを発揮しザクセンの国民の平和のためにその手腕を奮った。
民からの信用も非常に厚く、その人気ぶりは王陛下が嫉妬するほどであったとか。
ルクレツィアは慈善活動にも熱心で、月に3度の頻度で国中の孤児院や病院を訪れ、ザクセン王宮からルクレツィア王妃に宛てがわれた金を寄付していた。
そんなルクレツィアとキースは、大変仲睦まじく、キースが長男、アレクに王位を譲ったあと離宮で2人仲良くどこにでもいるような夫婦として、末永く暮らしたとか。