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愛像偏愛―bloody lovers―  作者: 赤井家鴨
第一幕 一週間
5/11

5th day FRIDAY MORNING

挿絵(By みてみん)

元絵:「ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの諷刺画」

「どうやら私は君の言う通り本格的に彼女を愛してしまったようだ」

狭いアトリエの中に二人の人が居た。

一人は椅子に座ってすました顔をする少女、ケリー。もう一人は彼女の絵を描く男、ソル。

 朝早くに魚屋の仕事を終えたソルは家に帰る途中、ばったりと彼女と出会っていた。

二人は特に今日の予定はなく、彼女に依頼されていた肖像画を描く仕事に取り組むことにした。

彼の腕がいいからなのか、画面が小さいおかげなのか少女の肖像画はもうすぐ出来上がりそうである。

そんな時にこの男は先ほどの言葉を、目の前の小さな女の子にぽつりと報告したのだった。

 他人に興味を示さないこの男にとっては驚くも素晴らしい出来事のはずなのに、当の本人からは嬉しそうな表情どころか生気というものが全く感じ取れない。

 少女ケリーはにたりと笑って彼をはやし立てる。

「やっと認めたわね。うんうん。素直が一番よ。

それで、あなたは彼女とどうしたいの? お付き合いするの? プロポーズ?」

 大人の恋に夢見る少女はらんらんと目を輝かせて彼の腕を取る。

急に腕を掴まれて驚いたソルは、彼女の腕を振り払おうとした。

しかし腕はきつく掴まれていて振りほどくことができない。

「いいや、違うんだ。何というか、好きだとは思う。

しかし、お付き合いとかそういうものじゃない。

なんというか、敬愛? 憧れ的なものであって…………いや違う。

見た目で好きだと判断している。私はなんて浅はかな人間なんだ……」

 言い訳を探すソルにケリーは相変わらずニタニタと嬉しそうな目線を送っていた。

彼は照れたように彼女から目をそらして俯く。

「見た目でもいいじゃない、誰だって初めは見た目から始まるものよ。中身はそれからでも大丈夫。でなきゃ、一目惚れなんて存在しないと思うわ」

ケリーはそう簡単に言っているがこの少女は知らない。

愛おしい彼女は殺人鬼なのかもしれない人なのだ。ケリーが姉と慕う女性を殺した殺人鬼。


 前の日の夜、また彼女はこのアトリエに訪れた。

しかも今回は前とは違い両手にベッタリと血を付けて。

中身は最悪だ。とんでもない人だ。

しかしソルの心は悲しいかな、彼女にすっかり鷲掴みにされている様子だ。

完成間際の彼女の肖像画を部屋で一番目立つところに飾ってしまうほどである。

何がどうしてここまで彼を魅了してしまったのか。それはもうすでに彼にも分からなくなっていた。


「私は、彼女とお付き合いをしたいとは思ってはいない。

しかし、仲良くなりたいとは……思っている。どうすればいいんだろうか」

「まずはプレゼントね。好意があるってことを伝えるの。

良い? 女性が好むものをプレゼントするのよ。それで恋に落ちない女の人はいないわ」

 どうやらケリーには上手いように、「お付き合いをしたい」と強制的に変換されているようだ。

「恋はしてもらわなくてもいい。が、確かにプレゼントは良いね。何がいいかな」

小さな恋のカウンセラーは小首をかしげ、うんと悩みながら部屋の中を探り回る。

テーブルの上にはいまだに腐った朝食セットが飾られており、引き出しには使い古された筆や絵の具で埋まっていた。

「……やっぱり、ダイヤモンドとか、宝石かしら」

一通り部屋の中を見回した彼女から出てきた言葉につい呆れ笑いがこぼれ出る。

”宝石”なんてこの男とこの部屋からは程遠い贈り物だ。

「そんなもの、持っていないよ……」

「そうなの? それじゃあ、お花なんてどうかしら。

下のお部屋に立派なお花があったでしょ。それをあげましょう!」

「……あれはダメだよ。姉さんへの贈り物だ」

そう言うも、ソルが姉と呼ぶ彼女は未だに帰ってこない。

彼女が出て行ってからもう四日は立っている。寒さに弱い胡蝶蘭は日に日に弱っていた。

「でも、花のアイディアは良いね。私のお父さんもよくお母さんに花を送っていた」

幸い今日は仕事のお給料が入ったので、花屋で立派な花を買うことが出来るだろう。

ソルは嬉しそうにズボンのポケットから茶封筒を取り出した。そして封筒の上から硬貨を触って枚数を確かめる。

「次はいつ会えるだろうか」

「いっその事、会いに行ったら?」

「会いに行く?」

 なんて大胆な提案だ。普段の彼ならば人に会う恐怖ですぐにでもその案を却下しただろう。

しかもたいして慣れ親しんでいる相手でもなく、疑わしい人物に会いに行けというのだ。

だが今の彼は危機感よりも彼女への会いたい気持ちの方が勝ってしまい、何も抵抗なく素晴らしいアドバイスとして受け止めてしまった。

「正直、君みたいな小さな子に相談なんて自分でも馬鹿な事をしていると思っているよ」

「そうね。でも私はその本当の気持ちを無かったことにする方がもっとおバカさんな事だと思うわ。上手くいくといいわね」

彼は早速、花を選んで来ようと古いコートを着て、少女に見送られながら自分のアトリエを出た。

軽やかな足取りで階段を下り、玄関を勢いよく開ける。

するとそこには呼び鈴を押しかけたロビン警部が立っていた。

二人は鳥のように目を丸く見開いて数秒間、互いの顔を見つめて固まる。


「やあ……ソル。これからお出かけかい?」

最初に口を開いたのはロビンだった。その声を出したと同時に互いの緊張がほどける。

「えぇ……まぁ」

ソルの今までにないほどの元気はあっという間に消えてなくなり、俯き自分の足先を見つめる。

「ベイリーさんなら……」「あぁ、いい。今日はお前に用があってきたんだ」

急な指名にソルはつい「私に?!」と声を上げてしまった。

そしてまた目を大きく見開いてロビンの顔を見る。




 前の日の夜。木曜日があと数分で終わる頃。新しい犠牲者が現れた。

今度の女性は街で有名な大富豪の奥様エリナ。

 彼女の人生はまさしくシンデレラストーリーで、下町の小娘が金持ちに嫁いだと当時は町中大騒ぎしたという。

貧乏しか知らなかった彼女はすぐに金の虜となり旦那に沢山のワガママを毎日のように言っていた。

南の島の珍しい花が見たいと言えば旦那はすぐに取り寄せた。

しかし彼女は次の日には花への興味を無くし、また別の無理な注文をよこす。

ワガママばかりを言う妻エリナに対する旦那の愛情は尽きることはなかった。

それどころか全てのワガママを聞き入れて彼女に彼の愛、全てを注いでいた。

 この日の彼女も無理を言って旦那を一人残しロンドンまでオペラを見に行っていた。

その帰り、随分と上機嫌だった彼女はいつもと変わらぬワガママを運転手に言う。

「久々にまずいお酒が飲みたいわ」

居酒屋より数メートル離れた場所に降りたエリナは、店までの道を曲がった先で襲われた。

帰りの遅い彼女を心配した運転手が迎えに行った時にはすでに重症の状態。首がパックリと開かれていて、呼吸音がヒューヒューと漏れていたという。

殺害方法は今までの女性たちと同じなのだが、傷口が明らかに違う。

腕や足には一つも切り傷はなく、心臓と首を一思いに切り裂かれている。そして傷口を深く掻き回されていた。

 もう一つ違うところがあった。彼女のお気に入りだったダイヤのネックレスがどこにも見つからなかった。この日も確かに身に着けていたというので、警察は盗難目当ての殺人事件であると判断した。

犯人の情報が欲しい。何としてもエリナには生き残ってほしいと誰もが願ったが、病院に担ぎ込まれた彼女はそのまま息を引き取り、かえらぬ人となってしまった。


 彼女の旦那は低い声で言った。

「無能な警察め。お前らがさっさと犯人を捕まえておれば妻エリナは死なずに済んだのに」

そして早朝、町の人々に声を張って言った。

「犯人を見つけて捕まえた者には金でも何でもくれてやる」

 それを聞くや否や一斉に犯人探しが始まった。

あの家の娘が黒いドレスを着て歩いていた。お隣の娘は色白で立派な黒髪をしている。

そんな証拠のない犯人当てクイズや『私が犯人です』という手紙を持ってきた変わり者。

「俺が犯人だ!ジャックリーンだぜ」と警察に自首する男。しかも、捕まえて取り締まりを始めた途端に「やっぱり違います」と言って帰ろうとする訳の分からない輩など。とにかく、このお祭り騒ぎを大いに楽しもうとする迷惑な奴らも現れて、結局のところ情報はおろか証拠も何も見つからなかった。

 ほんの数時間で町のあちらこちらで魔女狩りゴッコだけが過激化し、ようやく警察の上幹部が重い腰を上げたのだった。




「こんなご時世にロンドンでオペラ。さぞ美しい舞を見たのだろうな。なにせ自分の首を捧げちまったんだから」

ロビンがベイリー宅のダイニングテーブルに半分千切られた劇場のチケットを叩きつける。

チケットには白と黒の挿絵と<サロメ>の文字が書かれていた。

「これから出かけるというのに悪いな」

そう言ってはいるが悪びれた様子もない。

ソルはただ「いいえ。大した用ではなかったので」と虚ろな目をして行った。

「三人目の被害者からも何も情報は得られなかった。

分かっているのは黒の長髪。黒の長い服。背丈は普通の女性よりも少し大きいってぐらいだ。性別はわからない。凶器は鋭利な刃物。鈍器などで背後から殴られた跡もなく、身体中にナイフの引っ掻き傷が付いていた。

しかし三人目だけは恨みでもあったのか喉を搔っ切られ、心臓にひと突き、グサリと! 深く深く突き刺して掻き回していた」

ソルは事件現場を想像したのだろうか、ただでさえ血色の悪い彼の顔色は真っ白になり、目の下の筋肉を何度も引きつらせていた。その顔をロビンに見られまいと彼に背を向ける。

「そ、それで……ぼ、僕に一体何の用ですか」

ソファーのサイドテーブルに飾られた家族写真を手に取るロビン。

写真にはベイリー一家の幸せそうな姿が写っている。

「ベイリーのお嬢さん、お前が姉と慕う女性だ。彼女は今どこにいる?」

「分からない……僕たちも探している」

「そうかしこまるな。別に彼女が犯人だとは言っていない。

髪の色は確かダークブラウンだっただろ? ただ、彼女が行方不明になってから事件が発生した。警察の上幹部の人たちが彼女がこの事件と何かしら関係を持っているのではないかと疑い始めているんだ。

この疑いを晴らすため、行方不明になる前の彼女の事を詳しく知りたい。

ちょっとしたことでもいい。教えてくれないかね?」

 本当は、ロビン自身がベイリーの娘を疑っていた。

しかし彼はそれをソルに悟られまいと優しくなだめるような口調で語りかける。

「ベイリーおじさんに直接聞かないの?」

「彼と彼女は親子だ。ちゃんと血の繋がった。娘を庇って下手な嘘を吐くかもしれない。そうしたら彼女を助ける事はだいぶ難しいものになるだろう。でも、お前は嘘をつかないだろ? なぁ?」

 彼はベイリーの娘とソルの関係をよく知っているようで、自信たっぷりにソルに問い詰めた。

そしてその自信を確信的なものとするように、ソルは一瞬ためらったが重い口をゆっくりと開けた。


「月曜日の朝、彼女が急に帰ってきたんだ。黒いコートを着て両手いっぱいに荷物を持ってさ」

 そして彼は彼女が失踪した日の話をしだす。




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