そのさん
我ら夕凪兄妹一行は、てくてくと野原を踏み分け踏み分け歩いていた。分け入っても分け入っても野原である。今の都会化した日本においてはほとんど見受けられることのない、広大に広がる大自然である。たいへんに空気が美味しい。
隣を歩く我が金髪妹みちるちゃんも、楽しそうに意気揚々と足を振り上げ歩いていた。
しかし、考えてみれば彼女との散歩なんてたいへんに久しぶりである。半年間引きこもりをやっていたときはもちろん、それ以前も彼女とこんな風にのほほんと散歩したことなんてほとんどなかった。彼女は引きこもる前も誰からも人気者の引っ張りだこだったわけで、家にいる時間はかなり少なかった。いつでも誰かと遊びに出かけている、今時のおてんば少女だったのだ。
それに彼女は今や中学三年生だ。お年頃なのである。考えたくはないが好きな男の子とかも出来てくる時期だろうし、人間関係に部活に家族に将来にと色々な不安や悩み事も抱えていることだろう。
思春期真っ只中の女の子なのだ、それなりにあたりに過敏にもなるし、感傷的にもなる。なんともタッチーな時期なのだ。
そんな時期には親とか兄妹なんて、ただただ鬱陶しいものでしかないだろうし、それに牙を剥いてしまうこともおかしくはないだろう。兄である俺が若干の拒絶を受けるのも、さぞ当たり前のことであった。
だからこそ今こうして兄妹二人並んで歩いていることは、たいへんに珍しいことであるし、またたいへんに貴重な時間であるような気がした。たとえゲームの中の散歩とは言っても、俺にとってはそれでも十分に幸せなものに感じられる。
彼女が閉じこもっていたとき、俺は胸のそこを抉られるような罪悪感と不安感にかられていた。だって彼女がこれほどまでに苦しんでいるというのに、兄である俺が何もしてやれない、というか何もしてこなかったのだから。俺は今思えば本当に愚かだったと思う。
しかし、そんな気持ちも、彼女とこうして歩いていることで少しだけ救われる。ほんの少しでも彼女の支えになれていると思うだけで、俺の気持ちは十分に楽になった。それはエゴに満ち満ちたただの自己満足に過ぎないことも、もちろん分かりきってはいるが。
「……お兄ちゃん?」
みちるはそう言って、さも不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。
少し考え込み過ぎて、神妙な面持ちになってしまっていたかもしれない。俺は自らの顔を崩すようにして、僅かにゆるんだ笑顔を浮かべる。
「気にすんな」
妹はあっけらかんとした顔で「そ」とだけ気の無い返事をする。そして再びてくてくと歩き出すのだった。
俺たち一行は、今の高原からちょうど見下ろせるところに位置する町を目指すべくして歩いているわけなのだが……でもなんで町を目指してるんだろう?別に食料が足りない!とか水が無い!とかいうわけではないので、これといって町を目指す目的は見当たらない。
「なあ、俺たちってなんで町を目指してるんだ?」
「なんでって……そうね、やっぱRPGといったら町から町を目指して歩いていくものじゃない。強いて言うなら情報収集のためとか」
「なるほどな」
情報収集というのなら、それは一理あるかもしれない。正直今始めたばっかりのビギナーユーザーの俺たちからしてみれば、このCKDの世界は分からないことだらけである。
一意に優勝だけを目標にするといっても、この世界のことを知らなくてはやはり始まらないだろう。
そういう観点からいっても、一度町に出向いておく必要はあるかもな。
俺がふむふむとこれからのことを考えつつ、頷いていると、ふいにみちるが口を開いた。
「伏せて!」
その声は掠れるように小さいものであったが、そこには確かな気迫と切迫の響きが聞き取れた。俺たちの身に何らかの危機が迫っているのだろう。
俺は瞬時に草むらの中にひれ伏して、顔を地面にべたりとつけた。俺の鼻をさすようにして土の香りがぬけていく。
……って、え?何このゲーム嗅覚まで対応してんの?それって凄いとかの域軽く通り越してもはや現実と変わんないだろ……。
今がピンチなことも忘れて、俺はふがふが良いながらこのゲームの凄さを改めて実感していると、斜め前方で同じく伏せ込んでいるみちるが、その体をもぞもぞと動かしていた。よく見ると、彼女の右腕は背中に掛けられた太刀の柄を握っている。
そうして彼女の体勢はみるみるうちに、獲物を狙う獣のように攻撃的になっていく。
俺もほふく前進でゆっくりと進んでいき、妹の隣に近づいた。少しだけ顔をあげて、草むらの隙から彼女の視線が捉えているものを探し出す。するとそこには、大学生のような若い二人組の男が歩いていた。俺たちと同じようにゲーム内独自のエキゾチックな格好に身を包んでおり、二人とも腰に剣をぶら下げている。
「どうするつもりなんだ?」
俺は男たちにバレないよう小さい声で問いかける。
「殺す」
みちるは鋭くそう言い放つと、突然クラウチングスタートの如く地面を蹴り上げた。ばさばさっと土埃がまって、俺の目に入った。痛い。
痛い目をゴシゴシ擦りつつ、みちるの行方を追っていると、彼女は疾風迅雷の如く駆け出していた。さっきまで背負っていた大太刀はすでに鞘から抜き取られていて、彼女の小さな両手がぎゅっと握りしめている。
そして、「うらああああああっ!」と獅子のような雄叫びをあげながら、彼女は豪快に空高く舞い上がった。彼女の姿は、まさに勇ましい女戦士そのものであった。
彼女の攻撃に気づいた大学生らも、とっさに防御の体勢を取るのだが、時すでに遅し。彼女の大太刀は彼らの喉元を喰らうように掻っ切り、あたりに豪快な血飛沫をあげた。
たった一太刀にして、彼らはあっけなく成敗されたのであった。俗に言うところのワンパンというやつである。
「まじかよおっ!」っとか「うえーっ」とか声にならないような叫びをあげている彼らの頭上には『you lose』の文字が浮かび上がっていた。そして間も無くして彼らの体も、崩れさるようにして消え果てるのだった。
いやはや大勝利である。
「すげえな、お前……」
「べっ、別に大したことないっての!」
みちるはそう言うと、恥ずかしそうに頬を上気させながら、とてとてとこちらに歩み寄ってきた。彼女の頭上にはもちろんのごとく『you win!』の文字が輝いている。さすがですみちるさん!
クレイジーキラーズデスマッチにおいての初戦は、彼女の大活躍により二人抜きという大勝利に終わった。まあ彼女の活躍っていうか、俺は本当に何もしてないんだけどね!
「てかレベル上がったね!」
みちるはしゃきーん!っと背中の鞘に手元の大太刀を収めながら言った。
そう言えばそうか。このクレイジーキラーズデスマッチなるゲームはPVPだっけ?を採用してるんだったな。このゲームの敵は実際のプレイヤーなわけなんだから、さっきの男たちが経験値を落とすのも当たり前ということか。
「おお、良かったじゃねえか」
「ああ、うん……ってなんで他人事なの!?」
「他人事って……まあ他人事だろ。お前のレベルが上がったのは確かに今後助かるけどもやっぱ俺関係ないし」
「何言ってんの?お兄ちゃんのレベルも私と同じペースで上がるんだよ……私たちは経験値も体力ゲージも武器も防具も道具も、ぜーんぶ共有してるんだよ!運命共同体なんだよ!」
みちるはふんすーっと鼻息を荒くしながら興奮気味に話す。
運命共同体……か。彼女の話だと、ようは俺が死んだらあいつも死にそうなわけだし、その逆も然りなわけだ。後者については中々あり得ない気もするけど、前者については十分にあり得る。俺がヘマをこいたらみちるにもめっちゃ迷惑なわけだな……。
普段何においても個人プレーを重視している俺から言わせてもらえば、この仕様は鬼畜以外のなにものでもないだろう。集団行動とか一致団結とか連携プレーとかめちゃくちゃ苦手なんだよ……。
俺は迷惑をかけるのもかけられるのも嫌いだ。そんなことに一々面倒くさい気を使うくらいだったら、全部一人で背負いこんじまう方がよっぽど楽だ。ミスをしても悪いのは自分だし、逆に自分以外にペースを乱されることはなくなるわけであって、一人でいる方が圧倒的に気が休まる。
そういう観点から、俺は友達をなるべく作らないようにしているのだ。別にコミュニケーション能力が低いとか性格が悪いとかそういうわけではない。断じてない。いや、ほんとに。マジで。
「みんなで頑張る」とか「みんなと一緒に」とか……そのみんなっていったい誰だよ。曖昧なみんなという定義は、集団の中に存在する各々個人の責任感を減らすだけだ。そして次第に無くしてしまう。
「○○ちゃんもやってなかったから」「○○も今日サボるらしいぜ」と、みんなの中に存在する誰かに責任を当て擦って、自分はみんなという不確定な共同体の中に身を隠すのだ。みんなという集団においては、自然と自分の存在はちっぽけになっていく。
自分じゃなくても、誰かがやってくれる。その虚無の存在でしかない誰かさんに誰もが頼りきり、やがてその集団は意味をなさなくなるのだ。
結局最後は責任感のある誰かが、悪気もなしに押し付けあった仕事をひとりで背負いこんて、何とか形になるように完遂させる。そしてその後に誰もがこう言うのだ「やっぱりみんなで頑張って良かったね!」と。みんなって、誰だ。
そしてその活動をさらに輝かしい思い出として焼き付けようと、誰もが無意味の涙を流し、肩を叩き合い、お互いの存在もしない努力を賞賛し合う。これがもし、誰もが言うところの「青春」なのだとしたら、俺はそんなものいらない。そんなのは唾棄すべき悪習にすぎないだろ。
……って今はそんなこと全然関係ないね!もう、何急に熱くなって脳内語りなんてはじめてるのかしら俺くんったら!ほんとめんどくさいんだから!
まあ、組まなければいけないものは仕方があるまい。みちるに迷惑をかけないようにも、精一杯誠心誠意努力しなければならない。お兄ちゃん的になるべく格好悪いところはみせたくないのだ。
……というか思ったのだが、みちるが頑張ってくれれば俺は何もしなくても強くなっていくわけなので、ある意味神システムかもしれないぞこれ?
「まあ、頑張ろうぜ、運命共同体」
俺がそう言うと、彼女は無言でニヤッと笑って、俺の差し出した拳にグッと拳を押し付け返してきた。
あー、お兄ちゃん頑張んないとな……。マジで……。