そのに
5.1Chサラウンドにも負けない臨場感溢れる効果音。俺が普段見ている現実の世界と、なんら変わらないレベルで再現されているCG映像。
どれをとったとしても圧倒的なクオリティを誇っており、俺はただただ日本のゲーム技術の超絶的な進化ぶりに唖然とすることしかできなかった。
今までゲームといえば2D、ゲームといえばコマンド方式、ゲームといえばドットだった俺の感覚から言わせてもらえば、俺の今目の前に映っているのは、もはやゲームと呼べるしろものを遥かに超えていた。俺の中に存在しているありとあらゆるゲームの概要を、根本から否定し、破壊し、一切合切覆してしまうものだったのだ。俺はただただ嘆息を漏らす。
すると、突如俺の思考を現実に引き戻すようにして、我が妹みちるの声がした。
「お兄ちゃん、そろそろ次に行こう。オープニング何周してんのよ?さすがに飽きるでしょ……」
「あ、ああ悪い……」
確かにそうであった。こんなところで驚いてばかりでは、まったくもって先に進めないというものだ。
我ら夕凪兄妹の最終目標はただひとつ。このゲーム「クレイジーキラーズデスマッチ」で優勝することなのだ。
OPのプロモーション映像ごときにいちいち足踏みを踏んでいるようでは、その目標はあまりにも遠すぎる。先に進まなければ。
俺は我に立ち返り、みちるに問いかけた。
「あーっと……ログインだっけか、をするにはどうすればいいんだ?」
「簡単だよ。『ログインしようっ!』って脳内で思い浮かべるだけでいいの。そうイメージするだけで、あとは機械が勝手に神経接続を強化してくれて、電脳世界へひとっ飛びなわけだよ!」
「な、なるほど……」
確かにこのゲームにはコントローラーがあるわけでもなし、ボタンを押してログインするのは無理なんだよな。となると自然に脳内から意識を飛ばすことでログイン……ってマジパねえな。その発想は半端じゃないぞ。サイコキネシスじゃねえかそれ。
しかもみちるのやつ「今よりも神経接続が強化される」って言ったよな?……これ以上神経が接続しても大丈夫なのか。もはやそれゲームの中に取り込まれちゃうまでありそうだな……。何アートオンラインだよそれ。
俺が躊躇いに躊躇って、行こうか行かまいかうんうん唸りをあげていると、「あ」と何か思い出したようにみちるが口を開いた。
「そういえばログインしちゃった後は、意識の接続が強すぎるからこっちで会話することとかはできないからね。話すなら向こうのゲーム世界の中ということになるかな」
「……え、何、そんなにヤバいの?」
「別にヤバいとは思わないけど……まあよりリアリティを追求するためには、限界まで神経をリンクはさせないといけないんじゃない?」
みちるは困ったように、また俺を諭すようにしてそう言った。
まあ……仕方ないなら仕方ないよね。それは仕方ない。どうしようもない。ログインしないには何も始まらないからね、仕方ない。
どうせなら説明書とかもうちょっと詳しく読んでおけば良かったなとか思いつつも、仕方ない。ログインしてしまおうか……。
未だに若干の恐怖は脳内で蟠っているが、ゲームの中にログインできないかぎり、このゲームで優勝することは出来ないのだ。やらないには始まらないということだ。それは宝クジが買わないと当たらないのと同じ原理である。思いたってみると、俺はまだスタートラインにすら立てていないのだった。
そろそろ覚悟を決めよう。
日本のゲームの安全性を信じよう。日本のエンジニアの技術力を信じよう。恐らくもうすでに余裕でログインしてしまった妹を信じよう。
俺は大きくひとつ深呼吸をして、頭にこう思い浮かべた。
『俺をログインさせてくれえっ!』
それからはまさに一瞬の出来事であった。俺が怖いとか何とか思考する時間すら与えられないほどに短い刹那にことは起こった。
俺の意識はみるみるうちに暗闇に吸い込まれていき、脳みそにうんうんと低い駆動音が鳴るだけで、他には何も分からない。真っ暗闇に包まれていた。
そして俺は、恐らく電脳世界に到着した。
✳︎
「ここは……」
俺が目を覚ますと、眼前には切り拓かれた様に広大な大空が広がっていた。濃厚なブルーのインクをベタ塗りしたように真っ青な空には、てんてんと白い雲が浮かんでいる。それにぽかぽかといい天気だ。
寝転がったままの体をガバッと起こすと、俺がとてつもなく広い高原のような場所の中心にいることが分かった。見渡す限りに青々とした草原が広がり、そこにぽつぽつとカラフルな花が可愛らしく咲いている。ときおりその花に蝶々がふらふらとやってきて休憩がてらに蜜を吸っていた。
「どこだよここ」
何となくあてがないわけでもないが、あまりのリアリティだ。これは電脳世界というよりも、もはや現実だ。リアルだ。
すっくと立ち上がってみると、当たり前のごとく俺の足はがっしりと大地を踏みしめていた。きちんと自分の足で立っていた。
そして俺は、目の前にちらちらと映っている手を、確かめるようにしてぎゅっと握りしめてみる。それぞれの指は繊細に、脳みそが出した指令から1秒の誤差もなく見事なまでによく動いた。
俺はゲームの世界に潜り込み、当たり前のようにして自らの体を動かしているのだ。自分の意思で。決して十字キーで移動しているわけではないのだ。
そんなことに感動していると、遠くから俺のことを呼ぶ声がした。
「お兄ちゃん!こっちこっちー!」
声のする方を見やると、そこにはみちるが立っていた。ただ、その格好は異国情緒溢れていて、ファンタジー世界の旅人服のようなものに身を包んでいた。背中には恐らく剣が入っているのであろう、大きな革製の鞘を背負っている。
俺はそれに答えるように軽く手を挙げて、とてとてと妹の方へと草を踏み踏み歩いていった。近づくにつれて鮮明になってくる妹の姿は、とてもよく画になっている。それはまるでファンタジー物語のヒロインのように可憐であった。
コスプレ姿の妹とかどんだけ俺得なんだよ!これだけでもこのゲームをはじめた甲斐があったというものだな!ははは!
「よう。良く似合ってんじゃねえかそれ」
「……え?あ、ああっ……あっありがとう……」
みちるはそう言うと、ほんのりと頬を染めて俯いた。やべえ……可愛すぎるよ。そんな顔されたらお兄ちゃんお前と兄妹であるという一線を越えてしまいそうになっちゃうよ。
俺はみちるから視線を外して、眼下に広大に広がる大自然の世界を見た。高いところから見下ろすと、遠くの方にぽつぽつと町か村のようなものがあるのが見える。
「まさにゲームの世界に入り込んだって感じだな……」
「うん、まあそのままだかんね。実際にゲームの世界に入り込んでるわけだし」
「……これからどうするよ?」
俺の問いかけにみちるは「うーん」と唸っていたが、突然何か思いついたかのようにぽんと手を打った。
「とりあえずは生き残る!」
「へ?」
みちるの発言は何か思いついた顔の割にはあまりに突拍子なものだったので、思わず変な声が漏れ出てしまう。
すると、妹は弁解するかのように身振り手振り解説をはじめた。
「このCKDってゲームはさ、他のゲームと比べて大分極悪仕様に作られてんだよね。一発でも死んだら即退場なのよ。ザオリクとか世界樹の葉とかないからリスポーンが出来ないの。死んだらその日は強制的にログアウトなのよ」
「死んだら終わりなのか、なるほど」
確かにその仕様は良心的とは言えない。ベテランにはとくに何の問題もないのかもしれないが、始めたばかりのビギナーにとっては鬼畜仕様他ならないだろう。
運が悪ければ、ゲームを立ち上げてわずか数分で強制ログアウトなんてこともあるわけであって、あまり俺のような初心者向けに作られたルールではなさそうな気がする。
「とにかくまずは生き残ること。生き残ってれば自然とチャンスも巡ってくるから、まずはお互い死なないことを意識しよう」
「了解した」
みちるは俺の返事に「うむ」と満足げに頷くと、高原を下るようにして歩き始めた。
「まずは町の方を目指してみよう」
俺はみちるについていくようにして、大和撫子のごとく半歩後ろを歩いた。
夕凪兄妹の冒険が、ようやく幕をあげた瞬間であった。