遠くの不安
「ほんに、ここの庭には何かあるのではないのか。」緑青が感心したように言った。「のう、蒼よ。我とてここの庭で雛に逢うた。庭で出逢って婚姻関係になる者の数が、他の宮より絶対的に多いと思うが、どうであろう。」
蒼は、眠い目をこすりながらそれを聞いていた。朝の茶を準備して広間に皆で集まって椅子に座っていたのだが、維心と維月はまだ来ていない。久島はさっさとまだ暗いうちに起き出して結界内をジョギングして来たらしい。元気にすっきりとした顔をして、そこに座っていた。
「ほんに我も嬉しい限りぞ。軍神達はなかなかに縁遠くての。しかし子を成してもらわねば、後に続かぬ。筆頭が婚姻となれば、我も安堵するもの。」
修が面白くなさそうに座っている。そこへ、維心が一人で入って来た。
「おう、維心殿。なんだ、お一人であられるか?」
緑青が言うのに、維心は頷きながら椅子に座った。
「妃はまだ寝ておるのでな。起こすに忍びないゆえ、置いて参った。」
久島がフンと横を向いた。
「面白くも無いわ。どうせ寝ておらぬ口であろう?」
維心はニッと笑った。
「よう分かるの。我は眠らずとも平気であるが、あれは違うからの。」
あっさりと言う維心に、久島はますます面白くなさげに横を向いた。蒼は別のことで感心した。昨日、あれだけ無理な運動をしたのに。
「維心様…オレは昨日、妃の部屋に行ったことまでは覚えておりますが、その後は全く意識がありません。疲れて朝まで死んだように寝ていたと、妃に言われました。」
維心は頷いた。
「鍛え方が違うの。それに維月相手に疲れたどうのは、我には関係ないの。」
蒼は考えただけで疲れた。オレには、きっと神になりきるのは無理なんだ。絶対そうだ。
久島がむきになって言った。
「我だってそれぐらい出来るぞ!朝から結界内を走って来た。次は絶対に断トツで我らが勝つためにの。」
維心は余裕の笑みを浮かべた。
「期待しておるぞ。」と、緑青を見た。「それで、何の話をしておった?子がどうのと聞こえたが。」
緑青が頷いた。
「霧花の嫁ぎ先が決まり申した」緑青は言った。「昨夜、庭で頼光殿と会ったらしく、ずっと時が経つのを忘れて話しておって、気が付くと日が昇って参ったのだそうだ。驚いて霧花が立ち上がって部屋に帰らなければと言うと、頼光殿が、もう遅いゆえ、我が妻に、と。」
維心は眉を寄せた。
「もう遅いゆえとはなんぞ。」
蒼も苦笑した。理由が笑える。だが、確かに神のそれなりの地位の男と、それなりの地位の女が、例え話しているだけでも、二人きりで一晩過ごせばそれで婚姻関係が成立した言われる世の中。日が昇って来たら、確かにもう遅い。
修がふてくされて言った。
「なかなかに美しい皇女であったし、今日辺りゆっくり話をと思うておったのに。」
泰が笑った。
「そう、二兎を追うものは一兎をも得ずと申す。主の縁は、他にあるのであろうて。」
緑青は微笑んだ。
「とにもかくにも、めでたいものよ。我も帰って、雛を妃に迎えた祝いの宴を開く予定であったが、霧花のほうも祝わねばならぬ。頼光殿であれば、何かあって気が使えなくとも霧花を背負って走ってくれそうだしの。安心であるわ。」
昨日の運動会は、思わぬ所で役に立っているらしい。蒼は穏やかに微笑んだ。
霧花は、頼光の横で目を覚ました。
結局一晩中頼光と話し込んでしまって、日が昇って来たのを見て我に返り、慌てて走って戻ろうとした。
すると、頼光が霧花の手を取ってグイと引き寄せて抱き締め、こう言った。
「もう遅い。」霧花は、初めて抱きしめられて、真っ赤になっていた。「我には日が昇って来るのは感じられておった…だが、主なら良い。我が妻に、霧花。」
霧花は、その腕に抱かれていることが、心地よいことに戸惑った。そして、黙って、ただ頷いた。
それからは、頼光に言われるまま、父王に挨拶に行き、大変に祝福されて頼光の宿舎の部屋へと戻って来た。頼光は、とても優しく、やはりその見た目の通り力強い責任感のある軍神だった。日も高い中慌ただしく愛されて、気が付くと、もう日は天の真ん中に来ていたのだった。
頼光が、霧花を見て微笑んだ。
「目覚めたか?」と、霧花の頬を撫でた。「我が王も大変にお喜びくださり、主を連れ帰ることをお許しくだされた。あちらには我の屋敷もあるゆえ。共に参ろうぞ。」
霧花は、急に恥ずかしくなって、布団を引き上げて下を向いて頷いた。
「はい。頼光様…本当にあのように偶然逢うた我などで、良いのでございまするか?」
頼光は笑った。
「おお、あれか。我は主が庭に居るのを上から偶然見つけて、慌てて降りて参ったのだ。あまりに美しい女であったし、他の軍神の目に付くのではないかと気が気でなかったからの。我は常なら、一人で庭を散策したりはせぬ。」
霧花はびっくりして頼光を見上げた。
「では、迷っておった訳ではありませぬのね。」
頼光は頷いた。
「話し掛けようかと迷っておったら、主がこちらへいきなり走って参ったので避け損なってぶつかったのだ。しかしまさか皇女だったとは、あの時まで知りはせなんだ。で、主が誘うてくれたゆえ、共に庭を歩いたのだ。我は最初から、主のことは見染めておったわ。だがの、これほど突然に妻にとは思うておらなんだがの。」
霧花は驚いたが、頼光の顔を見ていると、そんなことを平気で明かすことにも腹が立たなかった。なので、ふふと笑うと、頼光のグリーンの目をじっと見た。
「まあ…騙されてしもうたのですわね。頼光様は、こういうことに慣れていらっしゃるかもだけれど、我はそうではありませぬし…。」
頼光は慌てたように霧花を見返すと、大真面目に首を振った。
「謀ったのではない。それに、我は女っけなどないぞ。我の宮へ来れば分かるが、女がそれは少ないのだ。宮には侍女より侍従が多いほど。王がそれは徹底しておられるゆえな。」
必死にそう言う頼光に、霧花は愛おしさを感じた。ああ、私はこのかたに恋してしまっているのだわ。
「頼光様…」
霧花は、頼光に唇を寄せた。頼光は少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んでその唇を受けた。
「信じてくれぬやもしれぬが、我は真実主を想うておるぞ。」
霧花は頷いた。
「頼光様こそ信じてくださらないかも知れませぬが、我もお慕い申しておりまする…。」
頼光は、霧花を抱き締めた。
二人はまた愛し合ったのだった。
久島は、幸せそうな頼光を少し羨ましげに横に見て、月の宮を後にした。
泰はまた必ず運動会に参加すると言い残して去り、緑青は雛を手に嬉々として飛び立った。
蒼はそんな皆の様子にホッとして庭を見た。
庭では、維心が維月を連れて歩いていた。
月の宮の庭には、縁付ける何かがあるのではないかという緑青の考えを聞き、ならばもっと維月と歩かねばと、寝ていた維月を無理に起こして歩いているのだ。
しかし、龍の宮の庭も、たいがい皆の出会いの場になっているのは、蒼は知っていた。大きな宮の広い庭は、滅多に公式の場で同席しない神の男女にとって、大切な出会いの場であるのは、最近蒼にもわかって来ていた。
なので、きっと月の宮だけが特別な訳ではないのだ。
何をおいても維月でないと、と十六夜は言った。
確かに維心はそうだ。何より勝ちにこだわるはずの闘神である最強の維心が、あの咄嗟の瞬間に勝敗よりも維月を選んだ。別に命に関わる事もない、僅か数秒、ゴールしてからでも維月の所に向かえば良かったのに。維心にその選択肢はなかったのだろう。
その迷いの無さに、蒼は感心しきりだった。
そんな蒼に気付かず、維心は維月を腕に月の宮の庭を歩いていた。最初は寝起きでぼーっとしていた維月も、段々とはっきりしてきたようで、維心を見上げて微笑んでいる。維心は微笑み返しながら、その額に唇を寄せた。
「維月…来た時は具合が悪くてどうなるかと思うたが、良かったことよ。もう、大事ないか?」
維月は思い出して赤くなった。あれは…あまりに維心様がいい男になったからなんて言ったら、呆れるわよね。見た目が何とかとか、維心様に説教されちゃう。
「はい…あの、もう、大丈夫でごさいます。」
維心は怪訝な顔をした。
「…帰りはまた正装をするつもりでおるが…」
維月はびっくりした。このまま帰るのではないの?!
維月の様子に、維心はため息を付いた。
「やはりそうか。あの格好がなんぞ?」
維月はため息を付いた。
「はい…あまりにご立派でしたので、息が詰まって、気が付くとあのように倒れてしまって…。」
維心は維月を連れて自分の対へと歩きながら、驚いた顔をした。
「…あの、甲冑が?」
維月は頷いた。
「はい。」
維心は、黙って考え込みながら部屋へと入った。維月はやっぱり呆れて、何から言おうか悩んでるのかしらと気が気でなかった。
しかし、維心は言った。
「しかし、久島も同じ、正装の甲冑であったの。主はしかし、倒れもせなんだではないか。」
維月は頷いた。
「だって…維心様の方が…。」
維心は眉を寄せた。
「我の方がなんぞ?」
維月は口ごもった。姿がどうのと言われても複雑とか言うしなあ、維心様は…。
維心はぐいと維月を引き寄せた。
「我が問うておるのに。答えよ。」
あまりに強く聞くので、維月はためらった。どうしよう。
「あの…私は維心様のお姿のほうが好きなのですわ。なので常見慣れておると思っていたのに、あまりに好ましいので、息が詰まって胸が苦しくなってしまって…久島様は、確かに凛々しくおありでしたが、私は維心様のお姿も中身も存じておるので、愛情も手伝って、正気ではおられなかったのです。本当に…姿ひとつでこれほどにお騒がせして申し訳ございません…。」
維月は深々と頭を下げた。維心は黙っている。維月は困った…面食いとか十六夜が言うから、維心様、とても美しい神に警戒なさるようになってしまって…。
「我の姿…あやつより、主の好みと申すか。」
維月はおずおずと頷いた。
「あの、お姿だけで選んでおるのではありませぬよ?前にも申し上げましたけれど。」
維心は、維月を引き寄せた。
「わかっておる。だが、主は気を失うほど我の姿が良いのか。」
維月は下を向いた。何だかものすごく恥ずかしいのだけど。
「はい…。」
維心は、不意に笑った。維月はびっくりした。
「そうか。ならば、ハナから我に敵はおらなんだのに。主は我以外の誰にもあのような反応はしなかった。我だけではないか。」
維月は何を今さら、と維心を見た。
「だから申しておりまするのに。維心様だけだと。愛しておりますと、言っておりますでしょう?」
維心は、勝ち誇ったように笑った。
「何と我は何を懸念しておったものか。そうであったな。主は我のものぞ。」
維心は維月を寝台へ押し倒した。維月は慌てて言った。
「まあ維心様!真っ昼間でありまするわ!」
維心はふふんと笑って手を振った。すぐに姿が変わり、維月は息を飲んだ…これはあの正装の維心様!
「さあ、我を見よ。」維心は言った。「我が妃よ、我を乞わずにおられるか?」
維月は観念した。自分の魅力を認識されて迫られては、抗えるはずはない。
「ズルいですわ!」
維月は言って、維心に唇を寄せた。維心は嬉々としてそれを受け、思う通りに維月を愛したのだった。
月の宮には、穏やかな日常が戻って来た。
雛が緑青の妃に落ち着き、桂もホッとしたのか穏やかにしている。和奏はすくすくと素直に育っていた。
悠は蒼の子を無事出産し、それは明人の紗が子を産んでから遅れること三ヶ月目のことだった。
二人ともに女で、蒼はまた嫁ぎ先に悩まねばならぬのかと複雑だったが、顔を見ているとそんなことはどうでもいいような気がしていた。
霧花は頼光とそれは仲睦まじくしているそうで、早々に身籠ったのは男と分かったと報せが来た。
久島は相変わらず維月維月と言ってはいるが、そう本気でもないような感じだった。
維心は余裕を感じさせる対応でそれを軽くいなしている。蒼はそちらも落ち着いて良かったと思っていた。
そうして穏やかにゆるゆると過ぎる時の中で、蒼はなぜか嫌な予感を覚えて落ち着かなかった。
闇の胎動は、近くで始まっていた。
次から時間軸がまた続・迷ったら月に聞けにちょっと追い付いて来ます。重い内容から説明に入るのでもしかしたら最初はとっつきにくいかもしれませんが…。次は「新・迷ったら月に聞け5~転生、月の宮から」です。平行していろいろ書いていたので、こちらを完結するのを忘れていて、慌てて付け足したので大忙しになってしまっていますが、毎日更新をがんばります。7/23




