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運命なら

明人はやはり苦しくて眠れなかった。なので、一人庭へ出て、あの紗が駆け出して来た場所へと自然足が向かった。

月が、十六夜の気配を宿して空に昇っている。明人はそれを見上げた。十六夜の意識は別の所にあるのかもしれない。でも、ああして空に月があるだけで、守られているような気がしてホッとする…。

明人はしばらく、ぼーっとして空を見上げていた。すると近くの茂みで音がした。

「…嘉韻か?」

明人が振り返って聞くと、そこの背の低い木の影から、おずおずと女が出て来た。

「お邪魔をするつもりはなかったのです。眠れなくて、もしかして、またこちらへ来たら、誰かがいらしゃるかもしれないと思って…。」

紗だった。明人は、途端に胸が早鐘のように鳴るのを感じ、その場に固まった。紗が…こんな所に。

「紗殿…。」

紗は、嬉しそうに微笑んだ。

「覚えていてくれたのですか?明人様。とても嬉しゅうございます。」

紗は、ほんのりと赤く染まった頬で言った。明人は頷いた。

「忘れようにも…主のように美しい皇女は、初めて見たので。」

紗は驚いたようで、見る見る真っ赤になった。

「まあ、そのような…。」

紗は戸惑っていた。美しいと言われることはあるが、これほどに嬉しく思ったことはなかった。顔が熱くなって、きっと真っ赤になっていると思うと恥ずかしく、紗は扇で顔を隠して下を向いた。

明人は、紗に近付いた。

「そのように、隠さずに。」明人は必死だった。ここ数週間、ずっと想い続けて来た姿なのだ。これが最後かもしれぬ。よく見ておかねば…。「もっと我に見せよ。」

明人が扇を押さえて顎を持って顔を上げると、月明かりに冴え冴えと、その美しい顔立ちが見えた。優しげで気品漂うその顔立ちは、まさにあの時一目だけ見た姿。明人は、やっと会えたと実感して胸が震えた。なんと美しい…会いたかった。

紗は、恥ずかしげに横を向いた。

「明人様…そのようになさっては、我は困ってしまいまする…。」

明人は、自分の目が潤んで来るのを感じた。これほどに愛おしいものを。手にすることが出来ない。身分が違う…。

「あの折から、我は主を想うて忘れられなかった。今も月を見上げて、主もこれを見ているのかと思うて…なので、こうして会えたこと、我は生涯忘れぬと思う。」

紗は驚いて明人を見た。

「明人様?」

明人の目が潤んでいる。紗は気が付いた。明人は軍神。我は皇女。きっと、このまま慕わしく想っていたとしても、許されることはない。明人様は、それをおっしゃっているのだわ…。

紗も、胸を締め付けられるような気がした。

「我も、きっと忘れませぬ。」紗は涙を浮かべて言った。「明人様、こうしてお会い致しましたこと、我は忘れは致しませぬ。」

明人はたまらず、紗を抱き寄せた。紗はそんなことをされるのは初めてだったので驚いたが、嫌ではなかった。それどころか、とても安心して、とても幸せな気持ちになる…。

きっと、これが慕うという気持ち。紗はそれを知って、悲しくなった。これで明人とはもう会えないのかもしれないのに。

明人の唇が降りて来る。紗はためらったが、黙ってその唇を受けた。

紗は初めて、これが恋なのだと知った。


嘉韻は、実は紗より先に明人を見付けていた。だが、紗が明人の居る方向へ歩いているのを見て、脇に潜んで見守っていた。そして、二人の様子を見て、確めるまでもなく明人の気持ちを知り、何も言わずに引き返したのだった。

険しい道になるやもしれぬが、全く望みがないわけではない。

嘉韻は王に報告し、そして自分の部屋へと戻って、その日は明人に会わなかった。


次の日の朝、嘉韻は明人を訪ねて部屋へ行った。

「明人。」

明人は、もう起きて座っていた。落ち着いたように見えるが、それでも物悲しい感じを受ける。嘉韻は言った。

「昨夜、王とお話をしてな。主に話したい。」

明人は驚いた顔をした。

「王は、どうかされたのか。」

嘉韻は椅子に座った。

「そうではない。どうかしているのは主であろう、明人。」

明人は黙って、下を向いた。

「…王が、何か?」

嘉韻は首を振った。

「我が申した。明人、主、紗殿を本気で想うておるであろう。」

明人は嘉韻を見た。

「気付いていたんだな。そうだ…身分もわきまえず、好きになっちまった。任務も何も手に付かねぇ。昨夜はお祖父様に、これが本物なのか聞きに行ったぐらいだ。」

嘉韻は身を乗り出した。

「どうであった。」

明人はため息を付いた。

「本物だった。だが、どうにもならねぇだろう?オレはただの軍神だ。相手は格の高い宮の皇女。とても無理だ。」

嘉韻は明人から、嘘は感じ取れなかった。だが、諦めていないのも事実。何かの覚悟を感じたのだ。

「…明人、主は昨日、紗殿に想いを告げたのではないか?」

明人は眉を寄せた。

「何で知ってる。」

「あの場に我も居たからだ。」嘉韻は答えた。「明人、早まるでないぞ。もしも紗殿を連れ出したとして、つてもない神の世で、あのように恵まれて育った皇女が長く幸せには生きられぬ。正当な道を探すのだ。」

図星だったようだ。明人は嘉韻に向かって声を荒げた。

「じゃあどうしろってんだ?!槇様は許してはくれない。このままじゃ将維様の妃にされるかもしれねぇのに!」

嘉韻は冷静に手を上げた。

「落ち着け。確かにそうだったが、龍王が、話を白紙に戻した。おそらくもう戻る事はないであろう。」

明人は唖然として立ち尽くした。

「え…そんなことが出来たのか?」

嘉韻は頷いた。

「龍王に出来ぬ事などない。昔から己の意に沿うようにしか動かぬ。反論すれば斬ってしまうゆえの。何でも昨日は維月様のお加減がお悪くて、それどころではなかったのだそうだ。それだけで話を無しにしてしまうのであるから、回りはたまらぬわな。」

明人は、毒気を抜かれたように椅子に座った。では、オレが早く連れ出さねばと思ったのは、何だったんだ。

「…紗も、オレと来てくれると言ってくれたんだ。」明人は言った。「だから、人の世にでも行って、あのように暮らして行こうかと…。」

嘉韻は頷いた。

「そうではないかと思うたわ。明人、道はある。龍王に感謝せねばならぞ。妃候補では無くなった今、槇様も嫁がせ先に悩まれるはず。月の宮は格が龍の宮に並んで高い。月が降りる宮と言われ、最強の月の守りがあるからだ。そこの序列の高い軍神ならば、王のお力があれば、可能性はある。昨夜、我はそれを話したのだ。王はお力添えくださる。」

明人は、あまりのことにしばらく反応出来なかった。紗をめとれるかもしれないのか。

「…本当に?」

嘉韻は頷いた。

「まだ、紗殿が宮へ戻るまで待て。完全に妃候補ではなくなってから、王が、槇様へお話をしてくださる。明人、逃げても良い結果にはならぬ。」

明人は小さく頷いた。確かにそうだ。父がそうだったのだ。いずれは神世に戻らねばならなくなる…子はオレの子だから龍だ。オレのように、不自由はさせたくない…。

明人は、嘉韻に頭を下げた。

「嘉韻…すまない。感謝する。オレなんかのために、こんなことに手を貸してくれて。」

嘉韻は首を振った。

「何を申す。主は我に頭を下げることはない。我らは友であろうが…当然の事をしたまでだ。主だって同じようにしたであろうしの。」

明人は目を潤ませた。神の世に来て数十年、ずっと一緒に来たのだ。嘉韻には助けられてばかり居る。もしも同じような事があれば、必ず嘉韻を助けよう。

しかし、嘉韻が誰かに溺れるなど、明人には想像出来なかった。

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