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送別

その日、宮では蓮史、明也、長賀、そして数人の龍の宮から来ていた軍神達の、送別の宴が開かれていた。

明日には、将維と維月は龍の宮へ戻るので、それに付いて共にここを出るからだ。

明人は、ここ数十年の間のことに想いを馳せた。龍の軍神達が眩しく見えて、早く追い付かねばと必死に訓練に明け暮れたあの頃。軍に入った当初、どれほどに助けられたか。

それが、気が付くと自分の気はどんどんと満ち、技術が上がり、序列が逆転していた。それでも、最初からずっと訓練に付き合ってくれた、この軍神達を自分より下などと思ったことはなかった。

しかし、生まれながら神の世に居た彼らには、龍の宮に家族もいる。親が健在な者もいた。戻って欲しいと思うのは親心であるし、戻ると言うのを止めることも出来ない。

明人は、寂しい気持ちでその席に座っていた。

「ほんに、ようやってくれた。」蒼は言った。「主らがここの軍を作ってくれたのだ。これで神世にも軍であると認められるものが出来た。礼を申す。」

蓮史が慌てて言った。

「もったいないことでございます。我ら、ただ必死に皆で話し合い、進めて参っただけのこと。お役に立てたのでしたら、幸いでございます。」

蒼は頷いた。

「いつか主らが退役することになった時には、オレの領内に住んでもらっても良い。いつなり、戻れば良いぞ。」

三人は、深々と頭を下げた。

「は!是非にそのようにとお願い申し上げまする。」

月の宮は、穏やかで過ごしやすい。気が清涼で澄んでおり、何より邪気がない。月の浄化がひっきりなしに働いているこの結界内で慣れた者達は、皆ここへ戻って来たがる。それは、年齢が上がるほどそうのようで、一度龍の宮へ戻った者でも、退役すると、余生をここで暮らしたいと言うものは多かった。

将維が笑った。

「我も、実はそれを考えておるのだ。」蒼が驚いて将維を見ると、将維は言った。「父上から譲位されて王位に就き、その座を退く時には、必ずここで住もうと思うておる。我の友もここに居るしの。」

蒼は納得した。将維の仲の良い友は、炎嘉の前世の最後の息子、炎託であるのだ。炎託はここで客員教授として軍の指南をしている。しかし、蒼は眉をひそめた。

「だが将維、確か龍王は死ぬまで龍王ではなかったか?」

将維はため息を付いた。

「そう言うでない。我だって、少しは夢を見ても良いであろうが。」

将維は興をそがれた顔をした。だが、すぐに機嫌を直して連れ帰る軍神達と話している。蒼は苦笑して、そんな将維を見ていたのだった。


将維を見ていたのは、蒼だけではなかった。

雛もまた、軍の宴なのでこの宴に出ることは出来なかったが、影からそっと見ていた。将維が居て、そして嘉韻が居る。二人共に大変に美しい顔立ちだった。しかし将維は特に、話してみても、その声にも話し方にも、雛は惹かれてならなかった。茶会の時の、お優しかった様が忘れられない…。将維の誰よりも威厳のある様子にも、雛はただ見とれた。将維様が、あのように女を連れて、庭を歩かれるなどないのだという。もしかして将維様も、我を気に入ってくださったのでは…。

嘉韻は、昼間に見た時不機嫌に横を向いているだけであったが、今は、仲間の軍神達と笑いながら話している。その笑顔がまた、雛の胸を高鳴らせた。でも、あのかたは見ているだけで良いから…。

雛が思ってふと横を見ると、侍女達が雛と同じように影に隠れて軍神達を見ていた。雛は心が痛んだ…彼女達は、ずっとあの方達を見ていることが出来る。でも、自分はそれは出来ない…。

雛は、決心した。茶会であれほどに親しく話してくださった、将維様に想いを打ち明けてみよう。お姉様は己から言ってはならぬと言っておられたけれど、待っている時間が、我にはない。将維様は、明日には帰ってしまわれるのだもの。もしかして、そのまま共に連れ帰ってくださるかもしれない。お姉様がこのような大きな宮へ嫁がれたのだから、望みがないわけではない。

雛は決心を胸に、将維が席を立つのを、ただじっと待ったのだった。


しばらくして宴も闌の頃、将維は、ふと庭の方を見やった。そして、傍の蒼に何か言ったかと思うと、すっと席を立って、庭の方へと出て行った。雛はそれを待っていた。自分もそっと柱の影から出ると、気配を隠して、その後を追って庭へと出た。

月は出ているが、月に気配はない。

そんな月明かりの中、一人で迷いなくすっすと足を進めて行く将維を追って、雛はそっと後ろを付いて行った。将維はまるで何かを追うように、立ち止まることもなく、ただ庭の奥へと進んで行く。

宮から見えない所まで来た所で、雛は突然に将維を呼び止めた。

「将維様!」

将維は驚いたように振り返ると、雛を見た。

「…雛殿。何用か?なぜにこのような場所におる。」

将維は怪訝な顔をして雛を見た。明らかに不機嫌で、茶会の時とは全く雰囲気が違った。

それでも雛は、これより他に機はないと己を奮い立たせて、将維の前に進み出た。

「…お話がございますので、追って参りました。お時間を頂けないでしょうか。」

将維はあからさまに眉を寄せた。

「今は時が悪い。またにせよ。」

将維は踵を返そうとした。雛は必死に将維の袖を引いてそれを留めた。

「僅かな時でございます。」

将維は、スッと雛の手を袖から払うと、眉を寄せたまま言った。

「申せ。」

早くしろと言わんばかりだ。雛は、その様子に戸惑った。あの折りはあれほどににこやかにしてくだされたのに…。

「あの…将維様には、まだ妃が居られぬとお聞きしておりまする。その様なお話はまだおありではないのでしょうか。」

将維は首を振った。

「ない。そんな気はないゆえ。」

雛は、急かすような様子に焦りながら、思いきって言った。

「我は、将維様をお慕い申し上げておりまする。願わくば、妃の一人にでも加えては頂けないものかと望んでおります。」

将維は驚いたような顔をしたが、すぐに首を振った。

「まだ妃は要らぬ。主だからではなく、誰も迎えるつもりはない。主、女の身でそこまではっきりものを申すのは良い事だと思う。しかし我は主を妃に迎えるつもりはない。」と、気遣わしげに庭の奥のほうを見た。「ではの。我は急いでおる。」

「あ…将維様…!」

将維は、こちらを振り返りもせず庭の奥へと歩き去って行く。雛はまだ諦め切れず、気配を消したままその後を追った。


かなり奥へと来た所で、向こう側に滝が見えた。そこまで来て、将維は足を止めた。雛も足を止め、岩陰に隠れた。鼓動が早鐘のようになっている…いつ出て行こうか、なんと言えば良いのかと間合いを計っている時、将維の声が何かを呼んだ。

「維月。」

雛は、その名を覚えていた。龍王妃…将維様の、あのお優しい母上ではなかったか。だが、将維は名で呼んだ。雛が戸惑っていると、向こうから維月の姿が見えた。驚いているようだ。

「まあ将維…どうしたの?宴に出ているのではなかった?」

将維は答えた。

「主の姿を見たゆえ。追って参った。」と、将維は維月に歩み寄った。「主こそどうしたのだ。このように奥まで参るなど、珍しいのではないか?」

維月は苦笑した。

「明日には龍の宮へ帰るから。ここの滝でも見ておこうと思ったのよ。今回は里帰りも短い間だったでしょう?」

将維は維月の手を取ると、自分に引き寄せた。

「そう、明日には帰る…なので、我もこうして過ごしたいと思うた。」

維月は困ったように将維を見た。

「まあ将維…いくら血が繋がっていないからって、母よ?父上が良いと言わなければダメと言ったでしょう。」

将維は維月を抱き締めて首を振った。

「そのようにつれないことを申すな。我とて生きておるのだ。何も感じぬ訳ではない。父上だって何度も許して下さったほどなのだから…きっと、咎めはせぬ。」

維月はため息を付いた。

「本当に…仕方のない将維だこと…。」

将維は維月に口付けた。深く強く、そしていつまでも口づけている様に、雛は驚いて立ち尽くした。どう見ても親子ではない。確かに歳も変わらない…いや、将維のほうが上に見えるほど。将維はとても愛情深く維月を見つめ、他には何も見えていないようだった。段々と激しく、将維は唇を首筋にまで落として、維月をしっかりと抱き締めて離す様子もない。

血が繋がらないと言っていた…思えば茶会の席でも、将維は維月にばかり構っていて、自分に話し掛けて来たのは、蒼が話した後…。では、あれは社交辞令であったのか。

雛は無理矢理二人から目を逸らすと、ガクガクと震える足を引きずるようにして宮のほうへと戻って行った。

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