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05:来襲

 竜は、高い天井の際まである大きな窓枠に収まりきれない程に、巨大だった。

 見えているのは、おそらく体の半分だけ。

 その体を鎧のように覆う鱗の色は、深紅。片方だけ見えている目の色は、黄金だ。


 ――……凄く、綺麗。


 初めて目にする竜という生物に、千瀬は思わず瞬きすら忘れてしまったかのように見入る。

「に……逃げましょう、ミレーヌ!」

「え、ええ」

 竜の姿を目の当たりにした三人の女性達はそんな千瀬を放って慌ててその場から逃げ出すが、それでも千瀬はその場に呆然と立ち尽くしていた。


「――……様! チセ様! どこですか!」


 と、ふいに耳に飛び込んで来た、耳に馴染んだ声に千瀬ははっと我に返る。

「――…あ……ジゼル? こっちよ!」

「――チセ様! 良かった、ご無事でしたか!」

 ほっとした表情で駆け寄って来るジゼルは、普段のメイド服ではなく、式典に合わせた侍女用の礼服に身を包んでいた。今日のジゼルの仕事は式典の為に王宮を訪れた来客の世話だと聞いていたが、騒ぎを聞き付けて自分を探しに来てくれたのだろうか。

「隣の休憩室で賓客にお茶をお出ししていたら、凄い音が聞こえて……」

 何事かと思って他の侍女達とホールを覗いたら、逃げ惑う人々と巨大な竜の姿が視界に飛び込んで来たので、驚いて千瀬を探しに来たのだと言って、ジゼルは千瀬の手を取った。

「ここにいては危険です。逃げましょう、チセ様」

「危険なの? あんなに綺麗なのに」

 思わず問い返した千瀬に、ジゼルは少し情けない表情を浮かべる。

「もう! なに暢気なこと言ってるんですか! あれはきっと火竜です。火竜が吐く息は、大きな森を一瞬で炭に変えてしまう程の高温の炎だと聞きます。 危険に決まってるじゃないですか!」

 だから、とジゼルは千瀬の返事を待たずに手を引く。

 ……そうか。あれはそんなに危険な生き物なのか。

 だが、大きな森を一瞬で消し炭に変えてしまう程の力があるのだとしたら、今ここで逃げ惑っても無駄なような気もするのだが。

 そう思いながらも、ジゼルの必死な様子に促されるままに、その場を離れようと足を踏み出すと同時に。


「―――皆様、どうかお静かに」


 凛と響いた若い男の声に、騒然としていたホールは一瞬にして水を打ったように静まり返った。

 決して大声では無いのに、良く通る声――と言うのだろうか。

 大きな竜とは違い、普通の人間らしいその人物の姿は、ホールを埋め尽くす沢山の人が邪魔をして見えない。

 不思議な力を持っているようなその声の主は、更に言葉を続けた。


「お騒がせしてしまったようで、申し訳ない。―――私は、ドラクーン皇国第一皇子、クラウス・レオナルト・テオ・ドラクーン」


 ドラクーン皇国。

 この世界で唯一、竜を所有する国。


 ということは、今日の式典に参加する為に声の主はあの竜に乗ってこの王宮にやって来た、ということだろうか。――だとしたら、随分と人騒がせな登場の仕方だ。

 そう思ったのはジゼルも同じだったようで、千瀬とジゼルは困惑気味に顔を見合わせ、僅かに首を傾げた。


「――ド……ドラクーン皇国皇帝からは、」


 と、しんと静まり返っていたホールに、もう一つ別の声が響く。

 僅かな震えを伴ったその声は、千瀬も聞き覚えのある声。――この国の第二王子、アドルフの声だった。

「……皇帝からは、体調が優れないので式典には参加できないとのお答えを頂いたが」

 アドルフの言葉に間髪いれず、ええ、と落ち着いた声が返される。

「父の体調が優れないのは事実です。式典へは欠席の旨、既にお伝え済みだということも承知しております」

「では、一体どういった用件でこのような……」

 アドルフの声には、非難の色がありありと浮かんでいる。

 確かに、正式に欠席の返答を寄越した国の皇子が、こんな風に不躾に姿を現したのだ。非礼だと非難されても当然だろう。

 僅かな沈黙の後に、ドラクーン皇国の皇子は静かに切り出す。

「……今日は式典とは別に私個人の用向きで参りました」

「個人の用向き?」

「ええ。――と言っても、一応父の了承は得た上でのことですが」

 そこで一旦言葉を切り、


「―――今、この王宮の上空には我がドラクーン皇国の竜騎士隊が待機している」


 皇子は、アドルフにというよりも、ホールに居る全ての人に聞かせるような調子でそう告げた。

「竜騎士……!?」

「――他にも、竜がいると言うのか」

 たちまち、ホールは騒然とした空気に包まれる。

 尚も、皇子は言葉を続けた。


「私が司令を出せば、この王宮を攻撃するよう命じていますが……逆を言えば、私が命じない限り、危険は及びません」


「――…っ、貴様……! 何が言いたい! 我が国に対する、宣戦布告か!」

 ――宣戦布告。そう取られても当然の皇子の言葉に、

「……チセ様……」

 傍らのジゼルが、不安そうに千瀬の手を握り締める。

「――…大丈夫よ」

 皇子の言葉は一方的な宣戦布告ではなく、何かしらの取引を持ち掛けるような言葉だ。

 勿論、その取引を拒否した場合、その先に待ち受けているのは戦争なのかもしれないが。


「宣戦布告ではありません。私個人の用向きだと言ったでしょう」

「では、その用とは一体どんな用件なんだ」

「……一つ、あなた方に飲んで頂きたい要求がある」


 ――――やっぱり、そう来るんだ。


 この国は、大きくは無いが資源に恵まれ、それなりに裕福な国だ。

 灯りの原料となる輝水晶の他にも、魔法の媒体となる様々な鉱石の大半の原産国は、この国なのだと以前王子達が誇らしげに語っていた。

 この皇子は、戦争を仕掛けない代わりにその資源を差し出せとでも言い出すのだろうか。

 ……しかし、そんな大がかりな話ならば国同士の取引となるのが普通で、皇子個人での用向きというのも妙な話だと思うのだが。本来この世界の住人では無い千瀬にも、それくらいのことは判った。


「要求……?」


 訝しげに問うアドルフに、皇子は「そうだ」と鷹揚に返す。


「――――この王宮で保護されている異世界からの迷い人の身柄を、我がドラクーン皇国に引き渡して頂きたい」


「――チセ様!」

 ――異世界からの迷い人を引き渡せ。

 皇子が告げた言葉に、ジゼルは焦りを滲ませた声で千瀬の名を呼んだ。

「……ジゼル、落ち着いて」

 確かに自分も異世界からの迷い人だが、あのドラクーンの皇子が差し出せと言っているのは、おそらくレイナのことだ。

 レイナは百人中百人が「可愛い」「美しい」と感嘆の声を上げるに違いない美少女だ。皇子は、そんなレイナの評判を聞き付けたのだろう。更に、レイナが三人の王子達の寵愛を一身に受けているという話もその時一緒に聞いたのかもしれない。

 だから、正攻法では王子達がレイナを手放さないだろうと踏んで、こんな風に脅迫めいた手段に出た。

 きっとそうだ。間違いない。


「なっ……貴様、狙いはレイナか!」

 千瀬が頭の中で導き出した結論と同じ答えに、アドルフも辿り着いたのだろう。

「――…レイナは渡さん! 例え戦争になってもだ!」

 そんなアドルフの科白に、そこかしこからレイナへの愛情に対する感嘆の声と、大国ドラクーン皇国の要求を跳ね付けたことに対する懼れの入り混じった声が上がる。

「あ、ああ! 武力でレイナを奪うというのなら、受けて立つぞ!」

「……戦いは避けたいが、レイナを差し出せと言うのなら止むをえまい」

「アドルフ様、セドリック様、アーネスト様……!」

 兄に、そして弟に続けとばかりに上がった二人の王子の言葉に、感極まったように三人の王子達の名を呼ぶレイナ。

 愛する少女を守ろうと、大国の皇子に勇猛果敢に立ち向かう三人の王子達。


 ――だが、一触即発の空気に包まれたホールに響いたのは、



「――…レイナ? ……私が差し出せと言っているのは、そのような名前の迷い人ではないが」



 そんな、皇子の訝しげな言葉だった。


「……は?」

 拍子抜けした。そんな形容がぴたりと当て嵌まる、間の抜けた声を上げたアドルフに、皇子は更にこう続ける。


「――――私が望むのは、チセという名の迷い人だ」


「チ、チセ様……!」

 泣きそうな顔でジゼルが千瀬の腕を掴む。

「え……」



 ちょっと待って。



 チセって――――チセって、私!?

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