03:波乱の前触れ
目の前のテーブルには、「招待状」の文字が記された、美しい透かし模様の入ったカード。
「―――…ああ……」
行きたくない。
心の底から、行きたくない。
王子達に言い寄られなくなって、夜会への誘いもぱたりと止んでいたから、安心しきっていたのに。
「――チセ様。何度見ても文字は消えませんよ」
深い溜め息を吐く千瀬に、招待状を運んできたジゼルは苦笑した。
「それに、今回ばかりはこの国の建国記念式典です。参加拒否は不敬にあたりますよ」
「……判ってるわ」
判っている。王子達に飽きられ、今や自分のこの国での立場は単なる一客人――それも、素性の知れない異世界からの迷い人に過ぎない。
そんな立場で王宮に住まわせて貰っているからには、喜んで招待状を受け取るべきだということも。
だが、嫌なものは嫌なのだ。
「……ジゼル」
「はい、何でしょう?」
「……出来る限り、目立たないドレスにしてね」
どうしても参加しなければならないと言うのなら、せめて目立たない努力をすることくらいは許して欲しい。
そう思いながら告げた言葉に、ジゼルは「そんな」と不満の声を上げた。
「そんな、じゃありません」
「良いじゃないですか、ちょっとくらい派手でも」
「駄目です」
「ほら、綺麗に着飾ってばっちりお化粧もして――髪も、美しく結い上げましょう! 私、今流行りの結い髪の仕方、丁度この前習ったところなんですよ」
「……ジゼル」
軽く咎める色を乗せて名を呼べば、ジゼルは困ったように眉を下げる。
「……だって、チセ様、悔しいじゃないですか。あんなに『チセ以外は目に入らない!』って態度だったのに、あっさり鞍替えされて」
誰のことだと名前こそ出さないが、訊くまでもない。あの、三人の王子達のことを言っているのだろう。
「良いのよ」
「良くありません! ……チセ様が良くても、私が悔しいんです!」
そう言って、ジゼルは両手でエプロンの裾をぎゅっと握る。
千瀬にとっては今の状況の方が心地良いのだが、ジゼルは本当に自分の為に怒ってくれてるのだ。それは痛い程伝わってきたので、千瀬は静かに掛けていた椅子から立ち上がり、固く握られたジゼルの手をそっと取った。
「……ジゼル……」
「……すみません。出過ぎたことを言いました」
「いいの。私の為に怒ってくれたんでしょ?」
「チセ様……」
「――でも、ドレスも化粧も髪型も、とにかく地味にお願いね」
ジゼルの気持ちは嬉しいが、やはりこれだけは譲れない。
釘を刺すことを忘れなかった千瀬に、ジゼルは「はぁい」と不満気な返事を返した。
* * * * *
眩いシャンデリアの光の下を行き交う、美しく着飾った沢山の人達。
こういった場に引っ張り出されるのは初めてのことではない。
三人の王子達に言い寄られていた頃は、ほぼ日常と言っても良かった。
でも――何度足を運んでも、やはり慣れない。
華やかで、眩しい世界。
……華やか過ぎて、眩暈がする。
――と、ホールの入り口に向かって、人々が感嘆の声を上げる。
釣られるように視線を向けると、そこには三人の王子にエスコートされた、黒髪の美少女の姿があった。
緋色のドレスに良く映える、ハーフアップにされた艶やかな黒髪。
今日の式典は、レイナがこの世界に来てから初めての大舞台と言える場だ。
「――何と可愛らしい。美しい王子達と並んでも、引けを取らない美しさだ」
「あの可愛らしい姫君はどなた?」
「何でも、異世界からの迷い人らしい」
「異世界……? そういえば、一度王子達が夢中になっているという異世界の姫にお会いしたことがあるけれど……あんなお顔立ちだったかしら」
「……その話は、」
千瀬の近くで話していた貴族達が、そう言ってちら、と千瀬に視線を走らせる。
「――…………らしい」
「まぁ………は、…………ね」
ひそひそと小声で交わされる会話。
まあ、どんなことを話しているのかは、大体予想が付く。
王子達に飽きられたなんて可哀想に。
でも、相手があの美しい姫ならそれも仕方あるまい。
と言ったところだろう。
――だから、ここには来たく無かったのに。
王子達の興味がレイナに移ったことは事実だし、何と言われようと当人である千瀬は現状に満足しているので痛くも痒くもない。
しかし、それと暇を持て余している貴族達の噂の的にされることを良しとするのとは、また別の話だ。
人目に付かない壁際にでも移動して、気配を殺していよう。
そう決意して、そっとホールの中心に背を向けた、その時。
「―――まあ! チセじゃないの」
ふと背後から投げられた声に、千瀬は内心で嘆息した。
――……やれやれ。
小さく息を吐き出し、出来る限り優雅に振り返る。
動きづらいドレスでも優雅な身のこなしをする術は、この世界に迷い込んで最初の一ヶ月の間で、厳しい礼儀作法の先生に徹底的に叩きこまれた。
今思えば、あの先生は千瀬が将来、三人の王子のうちの誰かの妃になると思っていたのかもしれない。
だからこそあんなに力を入れて礼儀作法を叩きこんだとしたら、王子達の愛情の矛先があっさり変わってしまって拍子抜けしただろうな、などと他人事のように思いながら、ドレスの膝の辺りを両手の指先で摘まみ、軽く膝を折って首を小さく傾ける。この世界で最も一般的な淑女の挨拶だ。
「――…ご機嫌よう、イサベラ様」
「ご機嫌よう」
そう言ってにこりと微笑む目の前の金髪の熟女は、イサベラ妃―――この国の正妃にして、第二王子アドルフの実母だった。
「今日は、どうかなさいましたか?」
「どうもこうも無いわ。あの子達は、チセを一人にして何をやっているの」
「……イサベラ様」
「あんな女にうつつを抜かして。本当に、我が子ながら情けないわ」
見た目にコロッと騙されて。
扇で口元を隠し、忌々しげに吐き捨てる王妃に千瀬は曖昧に苦笑する。
出会った当初から、何故かこの王妃にはやけに好かれていた。
それと同時に、この王妃は何故かレイナのことを酷く嫌っていた。
「……ですが、レイナは私の目から見ても大変可愛らしい姫ですわ」
「あなたはまた、そうやって……。本当に、息子達は見る目が無いわ。あんな女のどこがいいのかしら。顔も、良く見たら底意地が悪そうじゃないの」
……王妃は、決して悪い人ではない。高貴な立場の人でありながら、気取った様子もなく―――王妃をそんな風に形容することは不敬に当たるかもしれないが、何というか、親戚の世話好きの伯母さんを彷彿とさせる。
だが、悪い人では無いのだが――自分が何の悪意も抱いていない相手のことをこうも悪し様に罵られると、やはりどう反応すればいいのか困る。
「大体、ああいうタイプの女は……」
「……イサベラ様」
「――なあに、チセ」
目上の人の会話を遮るのは非礼に当たるが、このままではいつまでもレイナに対する愚痴が続きそうだ。
「喉が渇きませんか? 飲み物を取って参りましょう」
これだけ熱く語っていたのだ。喉も乾いているだろうと予想して提案すれば、王妃は「まあ」と嬉しそうに微笑んだ。
「本当に、チセは気の利く子ね。でも、そんなことは侍従に任せておけばいいのよ」
そう言って、王妃は傍らに控えていた侍従に「私とチセに飲み物を」と命じる。
「いえ、あの……」
王妃は今日の式典の主賓の一人だ。先程から、王妃に話し掛けるタイミングを計っているかのように、ちらちらとこちらに向けられる視線の数も多い。
「飲み物を」と言って一度この場を離れさえすれば、待ってましたとばかりに王妃は多くの貴族達に囲まれることになるだろう。
それに乗じて、自分は壁の花を決め込むつもりだったのに。
逃げる機会を断たれてしまったことで、「ああ……」と思わず情け無い声を上げた、その時。
「――――母上」
とイサベラを呼んだ涼しげな声に、千瀬はぴくりと肩を震わせた。
「――…アドルフ」
声の主は、第二王子、アドルフ。その傍らには、豪奢なドレスに身を包んだレイナの姿がある。
改めて、本当に良く似合っている二人だと感心する。
勿論、レイナは第一王子のアーネストとも、第三王子のセドリックとも、良く似合う。
タイプは違えど、美男美女ってやっぱり並ぶと様になるなあ。そんな風に思いながら、千瀬はじりじりと目立つ三人から距離を取る。これは、逃げ出すチャンスかもしれない。
「……探しましたよ、母上。レイナが是非母上にご挨拶をしたいと」
「王妃様。きちんとご挨拶出来る機会がなかなかありませんでしたので、今日こそはと思いまして」
レイナは容姿を裏切らない可愛らしい声でそう言って、優雅に礼をする。
王妃も、流石に本人を前にして悪口を言うつもりは無いのだろう。ほんの一瞬眉を寄せただけで、
「――私の方こそ、なかなか時間を作れなくてごめんなさいね。改めまして、ようこそ、この国へ。異世界の方」
と、にこやかな笑みを口元に貼り付け、卒の無い言葉を返した。
――…これで、誤解も解けて王妃様がレイナのことを気に入ってくれるといいんだけれど。
内心でそう呟き、千瀬は王妃の従者の一人に「あの」と小声で話し掛ける。
「――…王妃様もお忙しいでしょうから、私はこれで」
「………」
「……あの?」
「……あ、ああ! わ、判りました」
ぼうっとレイナに見蕩れていた従者は、はっと我に返ったように二度頷く。
まあ、見蕩れるのも仕方ないと思う。
今日のレイナは、とびきり美しく、可愛らしいのだから。
内心で苦笑して、王妃様によろしくお伝えください、と言い残し、王子達にも礼をする。
どうせ、自分のことなど見てはいないだろうけれど。
そう思いながら、上げる視線。
瞬間、重なったのは、まるで射抜かれるのではないかと思う程に鋭い少女の眼差しだった。
――――……?
その眼差しに千瀬は思わず立ち去ることも忘れ、目を瞬かせる。
だが、数度瞬きをする間に、レイナの視線は王妃へと戻されてしまい。
……今の、何だったのかな。
しかし、睨まれるような覚えなど何一つ無い。
……久し振りの華やかな場所に疲れているのかもしれない。
そう結論付け、千瀬は壁の花となるべく、ホールの隅へと移動した。
王妃様も、式典が始まるまではホールをぶらぶらと出歩いていたりする。
そんな、色々と自由なお国柄です。
※2012/04/17 一部、改行位置等を修正しました。