第77話 試験①:怒りの瞳と向き合う
扉の奥から現れた魔獣は、
先ほど路上で見た個体より遥かに大きかった。
漆黒の毛並み。
硬質化した骨の突起。
そして何より――
目が怒りで濁っている。
ミナの心臓が一瞬だけ跳ねる。
(これは……
話が通じない、そんな目……)
しかし、レクシアの声は揺れない。
「条件は三つ。」
歩みながら、魔力式の板に指を滑らせる。
「一、攻撃は禁止。
二、仲間の介入は禁止。
三、魔獣を“制御ではなく理解”で鎮めること。」
ミナは小さく息を呑む。
カイルの声が背後から届く。
低く、短く、しかし揺るぎなく。
「ミナ。
お前は怖がっていい。」
ミナは振り返らない。
だけど、胸の奥でその言葉に支えられた。
(怖くても……前に進む。)
魔獣が唸り声をあげた。
ガアアァッ――!
咆哮が空気を裂き、地響きのように響く。
観察塔から研究者たちが見下ろす。
「怒り反応値:高。」
「自我層の崩壊か?まだ保っているように見える。」
「対象との魔力共鳴測定開始。」
ミナだけが前へ歩く。
距離が縮まるたびに、魔獣の殺気が強まる。
(怖い……怖い……
でも――)
胸に手を当てる。
“逃げても、私はまた怖くなるだけ。”
一歩、踏み出す。
魔獣の牙が振り上がる。
風が裂けた。
ミナは声を出した。
震えた声じゃない。
届く声。
「……痛かったの?」
魔獣の動きが、一瞬止まる。
ミナはもう一歩。
「怒ってるんじゃない。
苦しくて、助けてって叫んでるんだよね?」
研究者たちがざわつく。
「反応停止……?」
「暴走行動値が……下がっている……?」
「どういう理屈だ?」
レクシアは答えない。
ただ観察するだけ。
魔獣はミナを見た。
牙も爪もまだ構えたまま。
だけど――躊躇いが生まれている。
ミナは胸に手を置き、静かに言った。
「わたし……あなたを怖いって思った。」
魔獣の眼が揺れる。
「でもね。
あなたもわたしを怖いって思ってる。」
沈黙。
呼吸だけが響く。
ミナはゆっくり、ゆっくり手を伸ばした。
「わたしたち、同じなんだよ。」
魔獣の鼻先に、ミナの手が触れた。
その瞬間――魔力波動が爆ぜた。
光。
揺らぎ。
共鳴。
魔獣の瞳から濁りが消え、
怒りがほどけていく。
荒れ狂っていた呼吸が、
やがて子どものように静かになった。
ミナは微笑む。
「大丈夫。
もう一人じゃない。」
魔獣は額をミナの手にそっと押し当てた。
――鎮まった。
観察室に静寂が落ちる。
誰も声を出さない。
ただ、事実が世界に刻まれる。
レクシアがゆっくり歩み寄り、言った。
「……理解だ。」
ミナが顔を上げる。
レクシアの目は研究者ではなく――
認めた者の目。
「君の力は支配でも奇跡でもない。
これは――」
静かに言葉が落ちる。
「“共感魔術(Sympathy)”」
ミナは息をのむ。
レクシアは続けた。
「君は、世界を”恐怖から救う力”を持つ。」
ミナの胸に灯がともる。
嬉しさでも誇りでもない。
“存在が肯定された感覚。”
カイル、リア、ラウルの視線が温かい。
そしてレクシアが宣言した。
「ミナ・シュメール。
試験第一段階――合格。」
魔獣が寄り添ったまま、ミナは静かに答えた。
「……ありがとう。」
──第78話へ続く。




