第76話 境界の扉の先へ
扉が開いた瞬間、
空気が変わった。
魔力の流れが体系化された空間。
魔導式照明が一定リズムで脈動し、
壁には古代文字が淡く光を帯びていた。
ミナは思わず囁く。
「……ここ、息をしてるみたい。」
リアが微笑んで頷く。
「蒼紋都市の研究施設は、施設そのものが魔術式で構築されています。
“記録し、解析し、反応する空間”と考えてください。」
ラウルは背筋を伸ばし、眉を上げた。
「つまり、勝手に評価してくる部屋ってことか。」
「要約すれば、そうなりますね。」
カイルは周囲を観察しつつ前へ進む。
「ミナ、気を張りすぎるな。
ここは敵地ではない。」
ミナは頷く。
でも──胸の奥の鼓動は早いままだった。
◆研究院ホール
床に刻まれた巨大な魔導紋。
書庫のような棚が無数に並び、
そこでは老齢の研究者も若い学生も、
静かに書き込み・実験・議論を続けていた。
だが、ミナたちが歩みを進めるにつれ、
その流れが少しずつ変わる。
視線が向く。
低い囁き声が生まれる。
「あれが……対象?」
「レミアの件は報告で読んだ……本当だったのか。」
「あの年齢で……?」
──だが、誰も否定しない。
拒まない。
怯えない。
ただ観察し、情報を積む。
ミナは初めて知った。
「理解されない」ことと
「理解しようとされている」ことは、
まったく別の重さだと。
◆案内者の登場
奥で待っていた人物が一歩前に出た。
白銀の髪。
淡い水晶の瞳。
優雅で冷静な佇まい。
胸元の徽章は──学術院上級顧問。
その人物はミナを見据え、微笑んだ。
「ようこそ。ミナ・シュメール。」
声は落ち着いていたが、
その精度は鋭い測定器のよう。
「私の名はレクシア=ヴァイン。
君の“存在証明”と“定義”を担当する者だ。」
ミナは息を飲む。
(……存在証明……
定義……)
レクシアは続けた。
「まず安心してほしい。
ここでは君は“恐れられる存在”ではない。
“観測すべき現象”でもない。」
ミナが驚いたその瞬間──
レクシアは言い切った。
「君は──交渉相手だ。」
空気が揺れる。
ラウルとリアは一瞬だけ表情を変え、
カイルは当然のように受け止めた。
ミナは小さく尋ねる。
「交渉……相手?」
レクシアは静かに頷く。
「君の行動はすでにひとつの結果を示した。
“人間と魔物、どちらも救う”という選択。
それは理念ではなく──事実だ。」
ミナの胸がじんと熱くなる。
(事実……
わたしが、したこと……)
レクシアは手を胸に添え、言った。
「だから――君自身の意思を確認したい。」
ミナは目を見開く。
(意思……
また……問われるんだ。)
だが今は違う。
逃げる必要も、怯える理由も。
もうない。
ミナはゆっくり息を吸い──
正面から答えた。
「わたしは……
人も魔物も救いたい。
立場で区切られた答えじゃなくて、
“その誰か”を見て決めたい。」
レクシアの目がわずかに細くなる。
それは否定でも評価でもなく──
「確認」
「ならば、ミナ・シュメール。
君には──試験が必要になる。」
ミナは瞬きする。
「試験……?」
レクシアの声は静かだ。
「君の理念を“現実として成立させられるか”。
それを証明するためのものだ。」
その言葉と同時に──
研究院奥の扉が重く開く。
冷気。
魔力。
そして気配。
普通の魔物ではない。
リアが小さく息を呑む。
「……拘束魔獣……」
ラウルの眉が跳ね上がる。
「おいおい、いきなり本気かよ。」
カイルは剣の柄に触れ、しかし抜かない。
レクシアはミナにだけ問いかける。
「ミナ。
言葉ではなく行動で証明しなさい。」
ミナは迷わず歩み出た。
もう、後ろを振り返らない。
胸の奥で言葉が灯る。
──選ぶ。
救う。
わたしの意思で。
魔獣が咆哮し、空気が震えた。
そして──
ミナは手を伸ばす。
──第77話へ続く。




