第73話 世界の応答――立場という名の重み
魔獣事件から一夜。
レミアの街は再び静けさを取り戻している――ように見えた。
しかし、ミナにはわかった。
沈黙は鎮まりではなく、判断待ちの静寂。
宿のロビーには、人が絶えず訪れる。
外からの視線が以前より強い。
好奇でも恐怖でもない。
――観察。
リアは窓越しに通りを見ながら呟いた。
「……昨日の出来事が大きすぎました。
“救った”ではなく、“選んだ”と解釈されたのでしょう。」
ラウルは肩をすくめる。
「そりゃそうだ。
動いたら理由を求められる。
動かなかったら意味を詰められる。」
ミナは自分の手を見た。
(あのとき……怖かった。
でも――止まらなかった。)
そのとき――
扉が再び静かにノックされた。
コン、コン。
昨日と同じ音。
だが訪れた人物は違った。
深い紺の法衣。
白い刺繍。
背筋の伸びた歩み。
――教会高位司祭。
その後ろに二人の神官。
威圧ではなく、“格式”。
司祭は深く頭を下げた。
「ミナ・シュメール。
我らは君の昨日の行いを確認した。」
ミナの胸がわずかに跳ねる。
司祭は続けた。
「我らは“排除”ではなく――“規定”を選ぶ。」
リアが低くつぶやく。
(来た……“定義の奪取”)
司祭は宣言する。
「教会は正式に、君を
《恩寵》と認める。」
宿にいた全員が息を呑んだ。
その言葉は無害に聞こえる。
しかし――本質は違う。
“恩寵”とは教会用語で、
「神の意図により存在し、
信徒の導きを象徴する者」
つまり――
「教会の名のもとに動く存在」
司祭は続ける。
「君の力は神への冒涜ではない。
しかし――野放しにもできない。」
ミナの心に重みが落ちる。
(……わたしを、囲いに入れたいの?)
司祭は柔らかく微笑む。
「だから願う。
選びなさい。
神の翼の下で生きる道を。」
カイルが一歩前に出る。
「強制か?」
司祭はそれを否定する。
「いいえ。
これは“祝福”。
選択の余地を残す慈悲。」
だが――その目にはこう書かれている。
選ばなければ敵に回す。
ミナは息を吸い、口を開く。
しかし――司祭は手を上げ、先に言った。
「返答を急がなくていい。
今日の目的はただひとつ。」
ミナが目を瞬く。
司祭の言葉は静かに、しかし鋭く落とされた。
「――君は、もはや“ひとりの少女”ではない。」
部屋の空気が震えた。
「君の言葉は、行いは、選択は――
“世界の天秤に重みを与えるもの”となった。」
ミナの胸が苦しくなる。
司祭は最後に告げた。
「これが――昨日、君が望んだ立場だ。」
そう言い、司祭たちは去った。
扉が閉まったあと、沈黙が落ちた。
◆沈黙のあとで
ミナはゆっくり座り込み、膝に手を置いた。
(……そうか。
救うって決めることは――
“何かになること”なんだ。)
震えでも後悔でもない。
ただ気づき。
そのとき、カイルが言った。
「ミナ。
立場を持ったから偉いんじゃない。
――立場を持ってなお迷うから、お前は強い。」
ミナの目が揺れる。
リアが微笑む。
「人は完璧な答えより――
迷いながら踏み出す姿に救われます。」
ラウルは不器用に頭を掻いた。
「つまり結論。
――昨日のあれ、よかった。」
ミナは息を吐き、静かに笑った。
そして――小さく呟く。
「わたし……まだ間違えるかもしれない。」
カイルは即答した。
「間違えていい。
その時は――俺たちが止める。」
ミナの胸が温かくなる。
(……ひとりじゃない。)
◆同じ頃:別の場所で
帝国本部。
フェリクスは報告を受け、短く呟いた。
「……やはり。“意思による行動”。
あれが境界か。」
調整局。
セレンは書類に一行だけ付け加えた。
《対象評価:段階③ → “自律”へ移行》
そして――
廃工房の闇。
あの研究者が、乾いた声で笑った。
「面白い。
次は――境界を壊す刺激が必要。」
──第74話へ続く




