第67話 見えない手――守る者たち
朝。
レミアの空は薄曇り。
けれど街の空気は昨日とは違っていた。
――静かすぎる。
宿の一階、食堂。
ミナは椅子に座り、少し遅い朝食を口にしていた。
パン、温かいスープ、焼いたチーズ。
昨日と同じはずの味が、どこか違って感じる。
(美味しいのに……心が落ち着かない。)
ミナは胸のざわつきの正体が掴めずにいた。
そこへ――
コトン。
マグを置く音。
カイルが隣に座った。
「眠れたか。」
「うん……たぶん。」
ミナは答えたが、カイルはその声音の揺れに気づいていた。
彼は視線を外に向け、低く言う。
「――外で動きがある。」
ミナが顔をあげる。
リアが書類を手に食堂へ入ってくる。
表情はいつも通り穏やかだが、目だけが鋭い。
「監視数が増えています。
昨日は半径十メートルで三方向から。
今日は半径五メートル以内で――七方向。」
ラウルがパンを片手に眉を寄せる。
「増えすぎだろ。
昨日の騒ぎだけじゃ説明つかねぇ。」
リアは軽く頷き、机にいくつかの封筒を置いた。
どれも違う封蝋。
王国派
教会派
支持団体
帝国系
そして、送り主不明の黒封蝋。
ミナの表情が強張る。
「これ……全部、わたしに……?」
リアが答えるより先に、カイルが短く言った。
「――触るな。」
ミナが驚く。
(触るな? どうして――)
リアが封筒を示しながら説明する。
「誘い、勧誘、命令、忠告。
目的は違っても書いていることはひとつです。」
ミナは飲み込んだ。
(……“選んでほしい”。)
ラウルは椅子に深く座り込み、吐き捨てた。
「まだ答え出してねぇってのに、勝手に争うとか……」
けれどカイルだけは違う反応をしていた。
静かに背もたれにもたれ、呟く。
「違う。
やつらは“答えを奪ろうとしている”。」
ミナは息を止めた。
(奪う……?)
リアが続ける。
「ミナ。
あなたが決める前に、
“あなたの意思を代弁する形”で
陣営を作り始めています。」
「え……?」
「あなたがまだ口にしてない言葉を、
“あなたが言ったこと”にして動かそうとしている。」
ミナの胸が冷たくなった。
(まだ何も……
何一つ、答えてないのに……)
カイルが視線だけでミナを見る。
「――だから、警戒する。」
ミナは戸惑いながら尋ねた。
「……わたし、そんなに危険?」
カイルは即答しなかった。
代わりに――
その手を、そっとミナの手の上に置いた。
「危険じゃない。」
目はまっすぐ。
声は揺れない。
「――力を奪おうとする世界が、危険だ。」
ミナの胸に何か熱いものが走る。
リアも言葉を添えた。
「私たちが先に気づけたのは幸運です。
これ以上踏み込まれる前に、動く必要があります。」
ラウルが立ち上がる。
「で、どうする?
拠点移すか?」
リアは否定する。
「いいえ。
逃げれば“追われる象徴”になります。
それが一番悪い。」
カイルが結論を言う。
「今日から――
守りに入るんじゃない。
逆だ。」
ミナがゆっくり聞き返す。
「逆……?」
カイルは静かに言った。
「――こちらが“世界を観察する”。」
その言葉は、宣言でも挑発でもなかった。
ただ――立場の転換。
ミナは息を吸い、小さく答える。
「……うん。
逃げたくない。
知りたい。
何が起きてるのか。」
カイルは頷き、短く微笑む。
「それでいい。」
リアは封筒を集め、ひとつひとつ整理し始めた。
ラウルは窓の外を見て言う。
「……どの陣営が先に動くか……賭けるか?」
リアが冷静に即答する。
「帝国です。
次に教会。
最後に王国。」
「理由は?」
「帝国だけは――
“話し合いで済む可能性”をまだ残している。」
ミナは小さく息を飲む。
(話し合い……じゃない選択肢があるの?)
だが口にはしなかった。
世界はもう――
ミナが追われる側ではなく、
“選択する側になる未来”に向かっている。
──第68話へ続く




