第66話 水面下の会議――世界が動き出す
夜。
レミアから遠く離れた王都の政庁では、
冷たい静寂が支配していた。
広間には三つの紋章が掲げられている。
王国議会
聖教会
帝国大使館
そして、その中央に――
報告書が一冊、静かに置かれていた。
表紙にはこう記されている。
『観察対象:ミナ・シュメール
状況報告 第1〜6段階分析』
議員のひとりが書類を読み上げる。
「……昨日の市場での魔獣制御事件を皮切りに、
彼女に対する民意は“三分”されました。」
「支持、拒絶、観察――か。」
聖教会の司祭が鼻で笑う。
「信仰ではなく噂によって分裂した民衆ほど扱いやすいものはない。」
帝国代表が鋭く返す。
「扱いやすいと考える時点で、君たちは時代遅れだ。
今は“象徴”ひとつで国が動く時代だ。」
司祭の目が細くなる。
「帝国は彼女を利用する気か?」
帝国代表は微笑を浮かべる。
「利用? 違う。
世界の進化を見逃さないだけだ。」
王国議会の議員が机を叩く。
「いずれにせよ、
ミナ・シュメールは“未承認の力”を持つ存在。
このまま自由に動かせば、秩序が崩れる。」
沈黙。
その静けさを破ったのは、王国側の若い補佐官だった。
「――ですが、抑え込めば英雄になります。
排除すれば殉教者。
それは逆効果かと。」
視線が彼へ集まる。
補佐官は静かに続けた。
「今必要なのは“監視”ではなく――
解釈権の奪取です。」
帝国代表が笑う。
「おもしろい。
つまり、彼女を“どう定義するか”が勝負か。」
補佐官は頷く。
「ええ。
力が危険か、希望か。
奇跡か、逸脱か。
――決めるのは“彼女の行動”ではなく、
世界が与える言葉です。」
司祭の目が鋭く光る。
「ならば教会は“恐れ”を。
人は恐怖に従う。」
帝国は肩をすくめる。
「帝国は“可能性”を与える。
人は未来に酔う。」
王国補佐官が締める。
「そして王国は――
“秩序”を保証する。」
報告書が閉じられた。
その瞬間、世界が静かに形を変えた。
彼女の未来を奪い合う座標が、公式に動き始めたのだ。
◆同時刻:調整局
暗い部屋。
机にランプひとつ。
セレンがレミアから届いた監視記録を読み返していた。
ページにはこう記されている。
・能力行使の動機:保護
・自己定義:未確立
・外部評価:不安定/期待/畏怖
・現象分類:従属型ではなく共鳴型
セレンは静かに呟く。
「……やはり違う。
力が“先”ではなく――
意思が先にある。」
背後から声がした。
「面白いか?」
振り返ると、黒衣の人物――
調整局の上位階級と思われる存在が立っていた。
セレンは目を伏せる。
「はい。
世界が“答えを焦っている”ほど、
彼女は未完成だ。」
黒衣の人物は問う。
「彼女は――選ぶか?」
セレンは答えなかった。
代わりに、一行だけ報告書へ書き加えた。
《観察継続:判定不能》
黒衣の人物はそれを見て静かに言う。
「判定不能――か。
ならば、世界が試すだろう。」
そして消えるように去った。
ランプの炎だけが揺れた。
◆レミア:別の影
同じ夜、レミアの外れの小さな研究所。
古い魔導具と、山積みの文献。
その中心に座る研究者がいた。
白衣に乱れた髪。
目の下に宿る影は――不用意な好奇心ではない。
執念。
机にはミナの力を書き写した図面と、古文書。
《支配ではなく共鳴》
《外部魔力反応なし》
《適正枠:未分類》
研究者は震える声で呟いた。
「これは……“遺跡型適性”じゃない……
もっと古い……
原初魔術の……残響……?」
その瞬間、研究者の息が止まる。
鳥肌が走る。
「……まさか――
封印文明以前の系譜……?」
声が震えた。
「――本物が現れた……!」
そして書いた。
《分類:神話級候補》
筆が止まらない。
《接触必要。
観察ではなく――解剖対象として。》
蝋燭が音を立てて消えた。
闇が落ちる。
研究者は笑った。
◆そして――夜明け前の静寂
ミナはその頃、夢も見ずに眠っていた。
世界が彼女の名を議論し、
力を分類し、
未来を奪い合うことなど知らずに。
けれどその寝息は、確かに世界へ影響していた。
ただ――それに気づく者は、まだいない。
──第67話へ続く




