第60話 静かなる歩み――“中立者”の訪問者
戦いの余韻が消えた部屋に、静けさが戻る。
しかしそれは休息ではなく、嵐の後の“止まった空気”だった。
ミナは深く息を吸い、胸にまだ残る鼓動をそっと抑える。
(……止められた。
わたしが望まない戦いを、わたし自身で。)
カイルは剣を収めながらミナに視線を向ける。
「無理はするな。
今のは“力”じゃない。
“意思”だ。」
リアも頷く。
「精神抵抗値、意志力、共鳴現象……
どれも一段階進行しています。」
ラウルは床に散らばった武具を見て、肩をすくめた。
「連中、今日のこと引きずるぞ。
王国は。“納得してない沈黙”ほど危ねぇものはない。」
そのとき――
――コツ、コツ、コツ。
階段を上がる規則正しい足音が響いた。
兵士の靴音ではない。
軽く、落ち着きがある。
恐怖も焦りも感じない。
まるで――状況を把握した上で歩いている者の音。
カイルが入口へ視線を向ける。
「誰だ。」
返事はすぐに来た。
「敵ではない。
少なくとも――今は。」
そして扉が静かに開く。
◆中立者、現る
入ってきた人物は――フードを深く被った青年だった。
年齢はカイルより少し下か、同じぐらい。
しかし佇まいは、
若さとも経験とも違う、奇妙な落ち着きを帯びている。
フードを取ると、淡い灰色の髪がこぼれ落ちた。
瞳は落ち着き払った琥珀色。
敵意はない。
だが――無感情ではない。
リアが息を呑む。
「……魔力反応がない……?
人間……?」
青年は静かに微笑む。
「魔力の有無で存在を測れるほど、世界は単純ではないよ。」
その言葉にミナの胸がざわつく。
(……この感覚……
“見られている”んじゃない。
“数えられている”。)
カイルが短く問う。
「所属は。」
青年は一歩前に出て、簡潔に名乗った。
「第三勢力――“調整局”。
階位:観察官。
名は――
セレン・ユグド。」
リアが目を見開いた。
「調整局……!?
存在が噂されるだけで、実在報告のない……!」
セレンは落ち着いた声で続ける。
「世界が暴走しそうなとき、
均衡が崩れる前に現れる。
それが我々だ。
どの国にも属さず、誰の正義にも従わない。」
ラウルが呆れた顔をする。
「……要するに、高みの見物の連中ってことか?」
セレンは否定しない。
ただ淡々と言う。
「見物と言われても構わない。
我々の役割は“干渉せず、ただ見届けること”。
――最後の瞬間までは。」
カイルの目が鋭くなる。
「“最後”?」
セレンは視線をミナへ向ける。
その瞳には恐怖も期待もなかった。
あるのはただ――確認する意志。
「ミナ・シュメール。」
名を呼ばれた瞬間、空気が静かに収束する。
セレンは問いかけた。
「君は――世界を変えたいのか。」
ミナは息を呑む。
(この質問……何度も向き合ってきた。
でも、今は――)
ミナはゆっくり答える。
「まだ……わからない。
でも……」
胸に手を置く。
震えはもう、恐怖ではなかった。
「変わってしまう未来を、ただ見ているだけではいたくない。」
セレンは、ほんのわずか、微笑んだ。
それは優しさでも肯定でもない。
ただ――期待値の変化。
「十分だ。」
そして告げた。
「調整局は君を“観察対象A”として正式登録する。」
リアが息を詰める。
それは世界がミナを認めた証でもあり――
同時に、“世界が見守りに入った”警告だった。
セレンはそれ以上説明せず、
背を向けて出口へ歩く。
扉を開く直前、少しだけ振り返った。
「――アリアの言葉に縛られるな。
判断はいつだって“結果”ではなく――
選んだ過程が価値になる。」
ミナの瞳が揺れる。
セレンは最後に、たったひとつだけ言葉を残した。
「君が歩く限り、世界は動き続ける。」
扉が閉まる。
残された空気が、静かに変わる。
カイルが低く呟いた。
「……本格的に世界が見てるな。」
ミナは小さく息を吐き――
前を向いた。
──第61話へ続く




