第57話 さざ波のはじまり――静かに染まる声
翌朝。
レミアの空は晴れているのに、空気だけが重かった。
ミナたちは宿の玄関に立っていたが――
昨日と違う。
人々はミナを避けるのでも、崇めるのでもない。
ただ――距離を測っている。
リアが小声で呟く。
「……“判断保留の視線”。
しかし一部、明確な偏りが生まれています。」
ラウルが顔をしかめた。
「偏り……?」
「“迷いのない好意”と“迷いのない拒絶”。
中間が薄れています。」
ミナはその言葉の意味を理解しきれなかったが、
空気の違いなら、肌が覚えている。
(……昨日までは、ただ“見られてる”って感じだったのに。)
今は違う。
――“答えを待たれている”。
そんな視線だった。
◆街角の会話
通りを歩くと、声が耳に届く。
「昨日見た?
あの子、普通に歩いてたわ……!」
「いや、普通じゃない。
“あの子の友達”が来たらしい。」
「友達?
仲間じゃなくて?」
「いや違う……“同じ側”の人間だって噂もある……」
「本物の後ろ盾ってことか……
じゃあ、本当に世界が変わるのか……?」
耳に入る断片。
それは昨日までとは違う。
疑念ではなく、“方向性を探す声”。
リアが淡々と分析したように、
中間層の揺れが加速している。
そしてその揺れを増幅する存在が――
街にすでに動いていた。
◆広場の演説
中央広場。
そこには数十人が集まり、誰かが話していた。
ミナたちが近づくと、声が聞こえた。
「――恐れる必要はない。
彼女は敵ではない。
むしろ、彼女を守ることが我々の未来だ。」
ラウルが驚く。
「おい……あれ……!」
壇上に立っているのは――アリア。
外套を脱ぎ、清潔な服に身を包み、
まるで昔からここにいた市民のように話していた。
アリアの声は柔らかく、穏やかで、説得ではなく肯定に近い響きだった。
「ミナは力を持ってしまった。
それは重荷だ。
でも――責めるべきではない。」
民衆が聞き入る。
反論する者もいない。
アリアは続ける。
「彼女はまだ迷っている。
だからこそ、わたしたちが――
選ぶ前に“支え”になれるはずです。」
ミナの胸がぎゅっと締め付けられる。
(……違う……
“支える”じゃなく――
“囲い込む”言い方……)
カイルが静かに呟く。
「上手い。
民意を誘導しながら、結論を提示していない。」
リアも淡々と補足する。
「“答えを急がせない姿勢”は、強い信頼感を生む。
彼女は心理戦に長けています。」
アリアの声は続く。
「彼女は力を使いたいと思っているわけではありません。
ただ……
必要なとき、誰かを助けたいだけ。」
群衆の間から声が上がった。
「……それなら……守るべきだ!」
「そうだ!
彼女を危険視するのは間違いだ!」
「助けられた者がいるなら、恩を返すべきだ!」
大きな声ではないが、火がついた。
しかし同時に――反対意見も立ち上がる。
「いや!
支配される前に距離をとるべきだ!」
「“優しさ”で近づくなら余計危険だろう!
歴史が証明してる!」
「神でない者が人を救おうとするなど傲慢だ!」
アリアは両陣営を見渡し、微笑む。
誰も怒鳴らず、煽らず、断じない。
ただ――
双方の意見が存在する“空間”を彼女が許している。
それこそが最も危険だった。
ミナの手が震えた。
(……わたしのためじゃない。
この状況そのものが……試されてる。)
カイルが低く言う。
「アリアは“答えを出さない”。
だがその代わり、この街に――
“答えを求め続ける空気”を残す。」
リアが呟く。
「それは支配ではありません。
依存の準備です。」
アリアは演説の最後に、ゆっくりと締めくくった。
「判断を急ぐ必要はありません。
彼女も、私たちも――まだ旅の途中。
だから――」
そして最後だけ、ほんの少し声を強めた。
「“選びましょう”。
恐れではなく――未来で。」
広場に拍手が広がる。
それは熱狂ではない。
しかし……拒絶できない静かな波だった。
ミナはその波を前に、息を飲んだ。
(……アリア。
あなたは……わたしを救おうとしてるんじゃない。
わたしが迷うことで世界を整えようとしてる。)
アリアは壇上から降り、
まるで偶然のようにミナたちへ視線を送った。
目が合う。
そして――微笑んだ。
“狙い通り”に。
──第58話へ続く




