第50話 影の三歩先を歩く者
ミナの力が街に溢れた翌日。
レミアは表向き平静を保っていたが――空気には確かな変化があった。
人々はミナを見る目を変えた。
恐れ、期待、好奇心、そして――距離。
だがその視線よりも冷たいものが、背後にあった。
――監視。
リアが囁く。
「見られています。昨日からずっと……」
ラウルは露骨に不機嫌だ。
「帝国か、それとも教会か王国か……」
カイルは淡々と答える。
「三勢力全部だ。だが――」
視線を街角の影に向ける。
「“一番深いのは帝国だ”。」
ミナはそっと袖を握った。
「……昨日の、銀の髪の子?」
カイルは答えず、ただ視線を逸らさずにいた。
◆遭遇
夕刻。
宿へ戻る途中、裏路地に差し掛かったときだった。
風が止まった。
音が消えた。
そして――ただ立っていた。
昨日影に消えた少女。
銀髪。
琥珀色の瞳。
年齢はミナとそう変わらない。
だが――雰囲気だけが異質。
“人を観察するためだけに存在しているような視線”。
彼女は言った。
「接触開始。
対象:ミナ・シュメール。」
ラウルが即座に前へ出る。
「は?なんだこいつ――」
少女は瞬きもせず、ラウルを見た。
「排除対象ではない。
脅威ランク:D。判断――軽視。」
「……は?」
リアが短く息を呑む。
「今の……魔術解析……?対象を“評価”している……?」
少女はリアにも視線を向ける。
「観察完了。
脅威ランク:C+。
理由:分析力、精神抵抗値高。
処理必要性――保留。」
リアは無意識に息を止めた。
彼女は最後に――カイルを見る。
そして初めて、表情が揺れた。
たった0.2秒。
「――判定不能。」
カイルは薄く笑った。
「判定できなくて残念か?」
少女は答えた。
「違う。
判定不能対象は唯一例。
帝国認定分類――“観測外存在”。」
ラウル「……それ昨日ヴァルターが言ってたやつじゃねぇ?」
少女はようやくミナに視線を戻す。
そして、淡々と宣言した。
「本題。
わたしは帝国暗部――
《第零観測局》所属、
コード:アウローラ。」
ミナは喉が乾いたように声を絞り出す。
「……帝国軍……じゃないの?」
「軍ではない。
政治でも宗教でもない。
“世界律者候補”が現れた場合のみ動く部署。」
カイルが低く問う。
「――お前の目的は何だ。」
アウローラは答えた。
「観察と試験。
そして――提案。」
ミナの胸が締めつけられる。
「提案……?」
アウローラは一歩近づいた。
近い。息が触れる距離。
しかしミナは逃げなかった。
少女はまるでページをめくるように言う。
「あなたは昨日、世界に触れた。
それは“偶然”ではなく、“段階”。」
ミナ「……段階?」
「世界律者の資格は三段階。
昨日の現象は――第一段階《世界と感応》。
次は第二段階、《世界への干渉》。」
ミナは息を呑む。
「干渉って……世界を変えちゃうってこと……?」
アウローラは首を傾げる。
「違う。
“変えられるという事実を認識する段階”。
理解は破壊より先に来る。」
カイルが伏せた声で言う。
「帝国は……それを利用したいのか。」
アウローラは瞬きもせず答える。
「帝国には三意見がある。」
静かに指を三本立てた。
1つめ。
「制御派」――少女を『道具』として管理。
2つめ。
「共存派」――少女を個として尊重し、協力体制を築く。
3つめ。
「排除派」――潜在危険の芽を摘むことこそ世界安定。
ミナの顔が強張る。
「……排除……」
アウローラの声は変わらない。
「わたしは第三ではない。
しかし――第二でもない。」
ミナ「じゃあ……あなたは……」
ほんの一瞬だけ、アウローラのまつげが揺れた。
「――“選択派”。」
「選択……?」
「あなたが望む未来が、世界にもたらす影響。
利益か、破滅か。
それを見極める。」
アウローラは手を伸ばした。
触れる気配も、敵意もない。
ただ――試すように。
「ミナ・シュメール。
問う。」
声が静かで残酷なほど優しい。
「あなたは世界を書き換える力を得たとき――
何を消し、何を残す?
誰を救い、誰を切り捨てる?
どの未来を“正しい”とする?」
ミナは震えた。
恐怖ではない。
答えられる未来が、まだ自分に無いことへの責任の重さ。
沈黙が続く。
そして――ミナはゆっくり顔を上げた。
震えながら。そのまま。
「……わたしは……」
アウローラの瞳が深くミナを映す。
ミナの言葉はまだ未完成。
けれど、その意志だけは確かだった。
「――答えられるようになるまで、歩きます。」
アウローラの瞳が、ほんのわずか揺れた。
そしてひと言。
「――確認。」
背を向け、影へ歩き出す。
「次は“試験”。
逃げてもいい。
戦ってもいい。
拒否してもいい。
ただし――忘れないこと。」
振り返らずに告げた。
「世界はもう、あなたの答えを待っている。」
そして彼女は消えた。
風だけが残る。
ミナはゆっくり息を吐いた。
「……怖い……でも……」
カイルがそっと横に立つ。
ミナは微笑んだ。
「選びたい。
わたしの答えを。」
世界は、確かに動いている。
──第51話へ続く




