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第31話 静かな灯火の時間

第二層へ続く扉をくぐると、そこは戦場でも試練場でもなかった。


古代文明の居住区――石造りの広間に柔らかい光が満ち、

床には規則正しく敷かれたタイル。

かつて誰かが“暮らしていた”匂いが残っている。


ミナが思わず息を漏らした。


「……ここ、暖かい……

 人が住んでいた家の雰囲気がします……」


リアは剣を下ろし、肩の力を抜く。


「戦闘の気配も結界干渉もありません。

 今は完全に安全だと思います」


ラウルも天井を見上げる。


「不思議だよな……遺跡なのに、寂しい感じがしない。

 むしろ、休んでいけって言われてる気がする」


実際、広間の中央には“焚き火跡”ではなく

淡い光を灯す石製の炉があり、側には古代の壺や食器のようなものまで揃っていた。


ミナは胸の前で手を合わせる。


「たぶんですけど……ここ、

 “旅人が戻ってくる家”みたいな場所だったんじゃないかな……」


リアはその言葉に目を瞬く。


「旅人が帰ってくる家……素敵ですね」


ラウルも笑う。


「なら遠慮なく休ませてもらおう。俺、腰が爆発寸前だ」


そして、自然と4人の動きが始まった。


リア は食器の洗浄と水確保、

ラウル は換気口と見張り位置の確認、

カイル は安全のための魔法結界調整、

ミナ は食事の準備


誰が何をやるか迷うまでもなく、

それぞれが自然に役割へ向かっていた。


「俺、結界張り終わった。敵も魔力障害もゼロだ。安心していい」


「ふーっ……漬水も採れました。古いけど浄化の仕組みがあります」


「通路は一本道だし、見張りも楽だ。交代制でいいな」


「じゃあスープとパンを温めますね!」


ミナが嬉しそうに食事準備をしている姿を見ると、

この旅が“逃げるだけの旅”だった頃が、もう遠く感じた。


やがて、食事の匂いが空間を満たした。


スープは少しとろみがあり、薬草の香りが柔らかい。

カリッと焼いたパンには古代の保存塩が不思議な甘味を引き出している。


リアが一口飲んで目を丸くする。


「……おいしい……! 疲れが全部溶ける味です」


ラウルも感嘆の声を上げる。


「薬草の匂いなのに苦くない。

 これ、ミナさんの味付けか?」


ミナは照れたように笑った。


「全部、遺跡の食材なんです。

 適当に組み合わせただけなんですけど……失敗じゃなくてよかったです」


「成功どころじゃない。これは“救われる味”だ」


そう言うと、ミナは言葉を詰まらせたように笑みを深めた。


「よかった……誰かに“ありがとう、美味しい”って言ってもらえるの……

 久しぶりで……」


リアはそっと手を伸ばし、ミナの手に触れた。


「これからは何度でも言いますよ。

 ミナさんの手料理、私も大好きです」


ラウルも笑って加勢する。


「帰ったら店でも開けるレベルだな」


ミナは照れすぎて俯く。


「やめてください……褒められるの慣れてないんです……」


だが、俯いた頬は確かに幸せの色だった。


食後、全員でゆっくりと火の前に座った。


ラウルが煙のような息を吐きながら言う。


「この旅、いつ楽になるんだよってくらい地獄続きだったけど……

 こういう時間があると続けられるな」


リアも笑う。


「仲間がいるっていいですね。

 “守られる”だけじゃなくて、“守りたい”と思える存在がいるのって」


ミナは静かに頷き、ぽつりとつぶやいた。


「ここに来て……みんなと旅して……

 “生きたい”が“死にたくない”じゃなくなったんです」


カイルは黙って耳を傾けた。


ミナは続ける。


「前は、痛くて苦しくて……誰かに必要とされたいとか、

 誰かを好きになりたいとか、

 そんなの全部贅沢だって諦めてたんです」


リアは言葉を返せず、ただそっと寄り添う。


ラウルは手元の火を見つめている。


ミナは涙をこらえながら笑った。


「でも、今は違います。

 笑いたいし、食べたいし、話したいし、

 みんなと旅を続けたい。

 ――“幸せになりたい”って思うんです」


その言葉は、遺跡の光さえ揺らすほど強かった。


俺はようやく言葉を返す。


「その望みは、正しい」


ミナは目を見開く。


「幸せになりたいと思うことは、誰よりも強い意志だ。

 それがある限り、ミナの未来は奪わせない」


ミナの目に涙が溢れ、しかしその涙は悲しみではなかった。


リアはミナの背を抱き寄せる。

ラウルは気恥ずかしそうに鼻をこする。


この旅はただの使命ではない。


生きたい未来を選び、

笑える明日を掴むための旅。


同じ火を囲み、同じ時間を生きているだけで――

そのことが、どれほどの意味を持つのかを全員が理解していた。


夜は深くなり、交代で見張りにつくことになった。


最初の見張りはカイル。


火のそばで眠りにつくミナ・リア・ラウルを眺めながら、

静かに思う。


――仲間を守る力なら、どれほどでも使ってやる。


禁じられた魔術だろうと、世界が敵になろうと、

価値は一つ。


「この旅は全員で未来に辿りつく旅だ」


それは誓いではなく、決意だった。


遺跡の光が、まるで同意するように揺れる。


静かな焚き火の夜は、

確かな温もりと、小さな幸福を胸に刻み込んだ。


──第32話へ続く。

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