第29話 眠る文明の入口
聖域の森を抜けたあと、夜明け前の空気を切り裂く冷気のなかを走り続けた。
地面はところどころ崩れ、霧の幕が背後に広がり、まるで森そのものが怒りと悔しさで追ってくるようだった。
だが、やがて木々が裂け、視界の奥に――石造りの巨大なアーチが見えた。
「……ここが遺跡……?」
ミナが息を震わせながら呟く。
声はかすれていたけれど、その瞳の奥に、恐怖と希望がない交ぜになった光が宿っていた。
ラウルが肩で息をしながらも、強く頷く。
「間違いない。封印文明より古い時代、
“聖域以前の文明”の遺跡だ。森の干渉は届かない……はずだ」
俺は最後尾に視線を向ける。
追手はいない。しかし、森の魔力がうねってこちらをにらみつけている気配は消していなかった。
導師を倒しても、封印勢力を退けても――
森そのものが「ミナを取り戻す」ために動き始めている。
すぐに中へ入る必要があった。
「行け。ここが境界だ」
全員がアーチを潜った瞬間、
背中にまとわりついていた殺意の気配が溶けるように消えた。
風の音が止まり、霧が消え、空気が変わる。
ミナは驚愕したように胸に手を当てる。
「さっきまで息をするのも苦しかったのに……
ここ……苦しくない……」
森の暴威が、一切及ばない。
リアも周囲を見渡し、剣を下げた。
「敵の気配がありません……どこか別の世界に来たみたい」
遺跡の内部は薄暗いのに、不思議と恐怖より静けさが勝った。
壁ではなく石碑、天井ではなく古代の巨大な柱が立ち並び、そこかしこに淡い光が漂っている。
カイル(俺)は魔力に指先を触れて確認する。
「攻撃性の魔力はない。ただ……」
視線を奥へ向けた。
「“反応を待っている”気配がある。
ここは眠っていたものが、誰かを待っていた場所だ」
ミナは震えながら壁の光をそっと撫でるように触れた。
その瞬間、淡い青白い光が波のように遺跡全体を駆け巡った。
まるで遺跡が、眠りからゆっくり覚めるように。
ミナは慌てて両手を引っ込める。
「ご、ごめんなさいっ! なにか起こしちゃいました!?」
リア「もしかして罠を作動させたとか……?」
ラウル「爆発とか……砂に沈むとか……!? やめてくれよ……!」
俺は手を上げて制した。
「大丈夫だ。罠じゃない。これは――“歓迎”だ」
ミナがぱちぱちと瞬きをする。
「わ、わたしが触れたから歓迎……?
じゃあ、この遺跡は……敵じゃないの?」
攻撃の意思も殺意も確かにない。
ただ、いま遺跡が反応したのは ミナにだけ。
カイル「この遺跡は、ミナに用がある。
だが“好意”か“利用”かはまだ分からない」
ミナの喉が小さく鳴り、手が震えた。
リアはすぐに寄り添って支える。
「大丈夫です。何があっても、ミナさんを遺跡の好きにはさせません」
ラウルも冗談めかして肩を竦める。
「ここまで来たんだ。ミナさんの未来を勝手に奪うなら俺が殴る」
その言葉にミナはようやく笑った。
「……ありがとう。
怖いけど……みんながいてくれるなら……すこしだけ、楽しみです」
小さな勇気を握りしめたような笑顔だった。
遺跡の入口を抜けた先に広がったのは、
巨大な“回廊”。
天井の高さは城の大広間の倍以上、
壁に埋め込まれた光の粒子がゆっくりと流れている。
リアは息を呑んだまま、壁の文様を見つめる。
「こんなに美しい建造物……森の外にこんな世界があったなんて」
ラウル「魔力の巡りもすごい……これだけの技術、どうやって……」
ミナはまるで絵本の世界に迷い込んだように目を輝かせている。
「ここを作った人たち……どんな人だったんだろう……」
――それは、俺も気になっていた。
封印文明より古い。
にも関わらず、構造も魔術体系も今見たことのないもの。
ここには、
“この世界の歴史の始まり”が眠っている。
奥へ進むほど、遺跡はゆっくり光を明るくしていった。
まるで、
「目覚めた。入ってきていい」
と告げているように。
ミナは歩きながら、そっと俺に問いかけた。
「カイルさん……
この遺跡は、わたしに何を見せようとしているんでしょう?」
「それはまだ分からない。
だが一つだけ確かに言えるのは――」
ミナは息を呑んで俺の言葉を待った。
「――必要なのは“従うこと”じゃない。
理解することだ」
ミナの瞳に確かな強さが宿る。
「じゃあ、わたし、ちゃんと見ます。
逃げずに。
自分の未来を奪った世界のことも、
守ってくれた人のことも、
わたしが生きたいって思った理由も――
全部ちゃんと見たいです」
リアが感嘆の声を漏らす。
「ミナさん……強くなりましたね」
ラウルも小さく笑う。
「こっちが勇気分けてもらってるくらいだよ」
ミナは嬉しそうに頬を赤く染めた。
俺は静かに返す。
「強くなったんじゃない。“強さに気づいた”だけだ」
遺跡の光が、まるで肯定するように揺れた。
ただ――
その光の奥に、かすかな“警告”の気配もあった。
ミナの未来が“まだ決まっていないこと”
だからこそ、この遺跡はミナに「選択」を迫る可能性がある。
それが、祝福か残酷かは分からない。
だが――
どんな未来でも、ミナの手を離すつもりはない。
俺たちは遺跡のさらに奥へと足を踏み入れた。
ここから、古代文明の真実に触れる旅が始まる。
──第30話へ続く。




