第149話 名づけられる前に――世界が定義を急ぐ
翌朝。
村は、昨日の出来事を“事件”としては覚えていなかった。
ただ――
**「何かが起きた」**という感覚だけが、空気に残っている。
それで十分だった。
◆呼び名は、支配の始まり
王国・教会・帝国。
それぞれの場所で、同じ議論が始まっていた。
王国・特別会議
机に広げられた報告書の表紙。
《対象群:未分類》
若い官僚が言う。
「……名前が必要です。
管理のために。」
宰相が、低く返す。
「名前を与えた瞬間、
責任が生まれる。」
沈黙。
教会・聖典庁
神官が、迷いながら言葉を選ぶ。
「……奇跡でも、
啓示でもない……
では、何と呼ぶべきか……」
枢機卿が、静かに答える。
「呼ばなければよい。」
それは、教会にとって
最も苦しい選択だった。
帝国・観測局
記録官が、淡々と報告する。
「現象は、
“自律的意思共鳴”に近い。」
影の男が、首を振る。
**「言葉が強すぎる。
それは、
理解したつもりになる表現だ。」**
帝国は、
あえて曖昧さを残すことを選んだ。
◆“通り名”の発生
一方、民間では
すでに呼び名が生まれ始めていた。
「あの剣士……
“止める人”らしい。」
「違う。
“奪わない人”だ。」
「名前は……
知らないままだ。」
名を持たない噂は、
最も制御しにくい。
◆ミナへの圧
ミナは、村の外れで一人座っていた。
自分の力が、
誰かの言葉で形作られていく。
それが、怖かった。
「……名前を付けられたら……
私は……
私じゃなくなる……?」
リアが、静かに答える。
「……可能性はあります。
言葉は、
人を定義しますから。」
セリアが、率直に言う。
「でも、
定義されない存在は、
敵にされやすい。」
ラウルが肩をすくめる。
「どっちに転んでも、
面倒だな。」
◆カイルの選択
カイルは、村を一周見回した。
名もない人々。
名もない暮らし。
だが、選んで生きている。
**「名前は、
俺たちが決める。」**
ミナが顔を上げる。
「……どうやって……?」
**「決めない、
という名前だ。」**
全員が、一瞬黙る。
リアが、ゆっくり頷いた。
「……分類拒否……
“未定義”という定義……」
セリアが、苦笑する。
「世界が一番嫌うやつね。」
ラウルが笑う。
「最高じゃねぇか。」
◆宣言は、静かに
その日。
三勢力に、
同じ内容の文が届く。
**《当該現象および個体は、
いかなる分類・呼称にも
同意しない。
観測は許可するが、
定義は拒否する。》**
王国は、頭を抱え。
教会は、沈黙し。
帝国は、短く笑った。
◆世界は、急ぐ
なぜなら――
定義できないものは、
対処できないからだ。
そして、
対処できないものは、
いつか――
排除の対象になる。
◆焚き火の前
夜。
ミナが、小さく言う。
「……これで……
楽になる……?」
カイルは、即答しなかった。
だが、真っ直ぐ答えた。
「ならない。」
少し間を置いて。
**「でも、
正しい。」**
ミナは、深く息を吸い、
頷いた。
──第150話へ続く




