第五話:「夢の終わり」
再び目を開けたら、そこは既に空の上だった。先ほどの走馬灯のせいで、時間の感覚が曖昧になっている。けれど、そのまどろみの中で僕はこの漆黒の宙のどこにも、以前レンと共に翔んだ時のような、あの美しさを見出せなかった。一体、あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。ここはどこで、レンはどうなったのか…いや、ここが空の上なら、これはレンの魔法で…
「レン!!」
僕は自身の身体を支える腕の先、そこに在るべきレンの身体へと、死に物狂いで眼を向ける。しかし、僕の眼前に何かがポタリ…と垂れてきた。
「よぉ…気が、付いたか。」
そこにあったのは…途方もなく血に塗れた、レンの姿だった。僕を片手で抱え、その息も絶え絶えの状態で。だが彼は、いつもと変わらない調子で僕の方へと語り掛けてくる。
「大丈夫…か、親友…」
そう言って、もう片方の腕を僕の方へともたげる。紅く染まった魔剣が、今にも地面へ落ちてしまいそうなほど弱弱しく、その手に添えられていた。
「古の魔剣…。ついに、夢が…叶うぞ……」
そこで僕の視界にふと、レンの下半身が映った。いや、正確には「下半身だった」部分が目に入った…。ただただ虚しい風切り音だけが、僕の耳へと押し入ってくる。僕は、ゴッソリと欠けたレンの身体を、呆然と眺める。
「嘘…だって、言ってよ…。ねぇ、お願いだから…」
「しくじっちまって……本当に、すまねぇ…」
「ねぇ、レン…!!」
ただ嘆き、ただひたすら…その喪失を、叫ぶことしかできなかった。僕はどうしようもなく、無力だった。
「今すぐ…今すぐこの剣で神様を呼ぼう! レン、そうすればきっと助かるよ…! こんなの、僕の夢なんかじゃない、現実以下の…最低の悪夢だよ…!」
けれど、それを聞いたレンは、静かに微笑んで答えた。
「それだけは…できねえ、なぁ…。月神に、俺たちの神の存在を悟られ、…からな。もしあいつが、この剣の存在に気付いたら……その瞬間天罰で、二人とも命を落とすだろうよ…。」
「それでも、二人じゃなきゃ…一人だけ神になっても、僕にとって意味なんか無いよ!!」
ガクン、と僕の視界が揺れる。さっきよりも、レンの息切れがひどい。
「ごふっ…あぁ、すまねぇ…。独りに…させ…」
そう言ってレンは少しずつ…少しずつ下へと降りようとするも、既にその身体は限界だった。地面まであと数舜のところで、僕たちは宙から放り出されそのまま草原へと転がり落ちる。闇に染まった草原で僕は、投げ出された勢いそのままに土を巻き込みながら倒れ伏した。
「だめだ…レン!」
急いで立ち上がって、レンを探した。魔剣なんてどうだっていい。僕はただレンと生きていたいその一心で、がむしゃらに草を押しのけ突き進んだ。
「レン! どこにいるの…レン!」
幸い落ちた場所がそう遠くなかったおかげで、すぐに見つかった。けれど
「あぁ……!」
深紅に染まったその身体、自ら動けないその姿からはもう…助からないことは、明白であった。その瞬間、僕の膝が勝手に崩れ落ちる。僕は、レンの方へゆっくりと…その手を伸ばす。どうしようもなく震える手で、レンの頬に触れる。けれど、そこにぬくもりなど微塵もなく、ただひたすらに…冷たさだけが、どこまでも続いていた。
「ゴフッ……。なぁ……覚えて、るか…」
レンが声を絞り出す。
「ダメだよ…レン! 無理に喋らないで…!!」
けれど、弱弱しいその声を聴くたびに…どんどん僕も寒くなっていった。焦点が定まらず移ろうその瞳には、延々と続く闇夜が映っていた。
「俺たちの、夢…。二人ではもう、叶わない…夢……」
「もう、なにも言わないで…! お願いだから……」
「俺からも……お願い、だ。もうあまり…時間が無い…みたい…だ。」
「っ…!」
それを聞いて僕は、口を動かすのをやめた。レンの最期の話を、願いを聞き届けたい、ただその一心で。
「お前が……神になって、この世界を変えるんだ…」
「僕がこの世界を、変えられる……?」
「ああ、変えられる…」
震える声で、レンは確かにそう言った。
「こんな僕に、世界なんて……無理だよ…!」
すると、レンは大きく息を吸って…吐き出した。
そう、レンは
「大丈夫…だよ……」
笑った。
「…は誰よりも、優しい…か、ら……」
「…ぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして僕は現実へと帰還した。
二人で神になるという夢はもう、冷めたから。
独りで帰路へ就く。また蒼い太陽が昇ってきた。この寒さは、いったい何なのだろう。なぜレンは、命を投げ打ってまで…僕を助けたのだろう。あてどなく歩きながら、僕は自分の心を彷徨った。僕が…誰よりも優しい…? ちがう、僕は…一人じゃなにも選べなかっただけの…勇気のない、ただの臆病者だ。僕は…レンとは違う。もうこの世界を変えることはおろか、この現実を見ることすら…できない。ひたすら自責と自問を繰り返し、僕は、現実を逃避した。しかしやがて、それにすら疲れ、不毛な自問自答にも終わりが訪れる。僕は……光など、どこにもないと知った僕は…一筋、涙を零す。
「「居たぞ! 虫けらどもが!!!」」
人々が、松明を片手に僕の方へと走り寄ってきた。その声には怒気…いや殺気が満ち満ちていた。脱走した僕を、彼らはまるで…目の仇と言わんばかりにその後ろ指で刺してくる。それでも僕は、彼らを無視し再びその歩を進めた。このまま歩みを続ければいつか……レンのいる場所へと、辿り着ける気がするから。
すると突然、背後からなにか強い衝撃を受ける。僕は、他人から始めて魔法を受けたようだ。そしてそれを認識した途端、僕の意識は深い深い闇の中へと…沈んでいった。