第四話:「魔剣」
深淵にてうごめく、無数の影あり。
〝幻夢郷を知っているか?〟
〝ああ知っているとも〟
知ってる、知ってる、知っている
と、囁き声が、さざ波のごとく伝播していく。
〝今こそあの忌々しい月神と人間共の巣窟を、根絶やしにする時ではないか…? 〟
そうとも、そうとも、そうだとも
暗闇の中で無数の目がとめどなく蠢めき、互いを見つめ合っている。
やがて彼らの瞳の中でらんらんと、激しい憎しみが渦巻きだす。次の瞬間、彼らは一斉に蒼黒の空へと咆哮を上げた。それを聞いた人非ざる者たちは、それでも歩を進めた。その彼方にいた人間たちは皆その歩を止め、なにかの凶兆かと恐怖した。
そしてその慟哭にも似た叫びは、この世界を支配する月神「ナイア」の耳にも届いた。
「おやぁ? 負け犬どもが騒がしいけど、また性懲りもなく僕に戦いを挑むつもりなのかねぇ…?」
そう言って無貌の神は、楽しげに身体をくゆらせるのであった。
禁断の大地に入ってから、もうそこそこの時間が経過した。にもかかわらず、目に入るのは息を潜めたくなるような漆黒だけで、光り物なんて一向に現れない。
「ねえレン…、本当にこっちで合ってるの?」
「安心しろ、俺にはわかる。伝説の剣は、着実に俺たちの方へ近づいて来ている!」
「そうかなぁ…。僕には2人して着実に、道に迷ってるって事しか分からないけど…」
なぜだか自信気なレンに、僕は少し不安を覚えた。この森に入ってから、なにか言い得ない不穏さ、あえて言うなれば…なにか胸騒ぎがするのだ。そしてさっきから、ずっとどこかから見られている気さえする…。そうこうして、しばらく歩いていると、ふとレンが立ち止まった。
「なぁ、もしかして、あそこにあるの…」
「どうかしたの、レン?」
僕は暗闇の中へ目を凝らした。すると、先方にゴロゴロと転がっている岩群…その中でもひときわ大きい岩山に…細長い剣のようなものが、うっすらと突き刺さっているのが見えた。
「ね、ねぇレン…あれって、もしかして」
「ああ、間違いない! 古の…」
レンがその名を口にしようとした瞬間…森中に甲高い叫び声が、いや、咆哮がこだました。
「なんだ?! この騒がしい鳴き声は…?」
「やばいよ、レン! 早く剣を引き抜いて逃げよ…」
すると突如、僕らの目の前にナニかが、黒い茂みから飛び出てきた。そして、それを皮切りに木々の隙間からとめどなく、獣の群れが雪崩れるように押し寄せてきた。その終わりは、一向に訪れず、僕とレンはその群れに巻き込まれないように、必死で周囲の木々にしがみ付いた。
「一体全体、何なんだこいつらは! こんな生き物、見たことも聞いたことも無いぞ…!」
「僕も無いよ! けど、なんだか彼ら…あまりにも醜いと言うか、悍ましいと言うか…」
そいつらは、一見犬のような図体をしていたが、一部が明らかに犬のそれとは一致しなかった。ヌラヌラとした灰色の体色、眼は無く本来口に当たる所からはえんじ色の無数の触手が、走行の向かい風になびいて卑しげに揺らめいている。僕らはそれを眺めるだけでやり過ごしたかったが、そういう訳にもいかなかった。いつこの勢いのまま獣の群れが、あの剣を破壊してもおかしくなかったからだ。僕とレンは互いに顔を見合わせて、同時に頷いた。
「レン! 二人であの魔剣の突き刺さってる岩まで、一緒に飛び移ろう! もうそれしかないよ!」
「いや、大丈夫だ。俺が取ってくるから、そこで待っとけ!」
「駄目だよ! レンにだけそんな、危ない橋を渡らせるわけには…」
「安心しろって! 今の俺には魔法がある。サッと取って、サッと帰ってくるからよ!」
そう言ってレンはその手を、掴んでいた木から離した。
「レン、待ってよ! 僕も…」
そしてレンの後を追って、僕も下へ降りようとする。が、僕が岩に飛び乗った瞬間
魔犬の群れが一斉にこちらを振り向いた。
〝臭う…臭うぞ。薄汚い、邪神の臭いが…! 〟
〝殺せ、食い殺せ…! 〟
〝今すぐ邪神を食い殺せ!! 〟
僕は突然の出来事に困惑した。
僕が邪神? 僕はただの虫けらで、レンの親友で、人ですら無い、ただの…
それに神になるのはレンであって、僕じゃ…
〝グルァァァァァァ!〟
瞬く間に、化け物共が一斉にこちらへと牙をむく。けれど僕はその場から一歩も動けなかった。いや、動かなかった。僕の方に化け物の注意が向けばレンが安心して剣を抜ける。僕はそっと目を閉じる。走馬灯が目まぐるしく僕の頭の中を駆け回る。あまり良い思い出は無かったかもしれない。だけど…最期にレンのことを考えると少しだけ、空っぽの心に光を見出せた。これでレンの夢が叶うのなら、僕はもう…
「やめろぉぉぉぉ!!」