第93話 マン島、、後編
1905年6月
マン島TTレース ※TTはTouristTrophyの略称。
世界のバイクレースの中でも知名度の高いレースのひとつ「マン島TTレース」は世界最古の公道ロードレースであると同時に、最も危険なバイクレースとしても知られていた。
マン島TTレースは、公道を使用して行われることで知られ、市街地にある一般道を時速330km以上の猛烈なスピードで駆け抜ける迫力が最大の特徴、しかし日常的に使用される公道を利用したレースであり、コース中には崖の上の道もあるなど危険性が高いこともひとつの特徴となっている。
第1回大会開催以来、現在までにマン島TTレースで死亡したレーサーは240人を超えており、「最も危険なバイクレース」と呼ばれていた。一般参加が可能な走行枠では事故死する一般人も数多く、その走行枠の開放日は「マッドサンデー」とも呼ばれている。
主都ダグラスの大通りに仮設のスタート地点ができていた。近くの空き地にはスタートを待つ英国やヨーロッパの国から集まった二輪メーカーが愛車を並べて整備をしていた。
私達も軽トラックから降ろした、自慢の2気筒水冷500ccエンジンのバイクの整備を五十嵐と吉田は整備をはじめた。前日が練習日だったので初めてこのコースを走ったが、なれてないライダーにとってはこの公道は厳しいだろう、曲がりくねった道、見通しの利かないコーナー、容赦のない地形を走り抜けながら
スピードか命を賭けるかのような場所がいくつもある。
どうも英国二輪メーカーのビック4はずいぶん前からこのコースをライダー達は練習で走りつくしコースの特徴をよく覚えているようなウワサが入ってきた。
そりゃそうよ、なんたって地元の開催よ、いくらでも練習はできるわ、、
私もこのマン島TTレースを走る事が決まってからみっちり日本でイメージトレーニングをしてきたわ、、えっ、どうやってだって、、フフフフ
バイク好きのユウちゃんは有名TVゲーム会社から出ている、このマン島TTレースのリアルなバイクシュミレーションゲームをもっていたので、何度もやって
マン島の道の特徴はバッチリ覚えてきたのよ、、昨日の練習で100年先も変わらないコースを確認してビックリしたわ、道は舗装されてないけどゲームと同じ景色のコースだった。
私は日本から持ってきたデカいテントの中で着ていた洋服を脱いで肌にピッタとした”NAOMI"ブランドのボクサーパンツとスポーツブラになるとその上から日本で特注した”KAZAMA”のチーム名が背中に入った上下ツナギの赤く染めた皮のレーシングジャケットに着替え椅子に座りふくらはぎまであるレーシングブーツをつける
左の胸と右腕の上腕部には白地に赤丸を入れた日本国旗を入れて国籍がわかるようしておいた。 ヨーロッパ大陸からも有名な二輪メーカーが参加していたがすでに決着をつけてきたところばかりだった。
赤いフルフェイスのヘルメットと皮の手袋を持ってテントからでると6月のやさしい日差しと爽やか風に紛れてオイルの臭いが漂っていた。
私は自分のバイクに近づくとそこには人だかりができていた。そばには明子ちゃんもいて二輪メーカーの関係者が質問しくることをオッパイ孝蔵に説明して
その返事をまた英語で返していた。、、どうも水冷エンジンに興味があるようだった。
もう一人の子分吉田が後輪をメンテナンス・スタンドにのせてリアタイヤを浮かしてバイクのセパレーツハンドルを左回り用に角度を調節していた。私は真っ赤に塗った14リッター入る燃料タンクのキャップを開けて中をみるとガソリンが満タンだった。
吉田
「玲子さん、こいつはリッター10kmはいけるんでコースは25kmのコース10周ですからちょうど5周目でピットインしてください、、玲子さんの好きなバナナも用意しておきますから、」
「サンキュー、あとはラップタイムと何位だか、わかるようにボードで書いて知らせてね、、」
この公道レースは2台づつの10秒ごとにスタートする「タイムトライアル」方式のレースだった見た目の順位ではわからないのでメカニックが周回しくるライダーに順位を教えてもらわないとわからないのである。今回は14台がこのレースに参加する、すでにビック4は一組目と二組目の4台に決まっていた。私達のチームは最後の7組目、最初のチームから1分後でスタートだった。
吉田とレースの打ち合わせをしていたら、そこにモンゴメリー伯爵の三男ウィリアムとクロムウェル子爵の次男トーマスがそろってやってきた。
「や~日本の魔女さん、はじめまして、僕はウィリアム・モンゴメリー、トラ〇アンフチームのライダーです。」そう言ってウィリアムが右手をだし握手を求めてきた。
私も右手を出し握手をしようとしたらその手を握手せず右手の甲で侮辱するように弾いた。
そして嫌味な顔を近づけて
「英国は紳士の国でレディーファーストが礼儀だけど、昨夜の君が仲間にした振る舞い許せないね、レディーではなくてまるで野生のメスざるだよ、まあ、このレースで汚いメスざるには屈辱を味合わせてやるから楽しみにしてください、、フフフフ、」
彼の言っている事を理解した私は「ふん、何が紳士だよ、てめ~の思い通りにいくもんか~、恥をかくだけだよ、、思い知らせてやるわ」そう言って返した
「フフフ、、それでは、お手柔らかに、日本のメスざるさん、」
そう言うと二人は自分達のチームへと帰っていったのである。
そして、レースが始まった。一組目のトラ〇アンフとBSA(バーミンガム スモール 〇ームズ)のバイクは空冷500ccのエンジンの轟音を響かせロケットダッシュで土煙を残しスタートした。、、それから60秒後、私ともう一台の順番がやってきたそれは未来では有名なドイツのメーカだったが、この時代の技術では勝負にならなかった、私はフロントタイヤを軽く上げながらウィリー走行で観客を沸かせながら余裕のスタートをきったのである。
左手でクラッチレバーを握り左足でギヤを素早くチェンジして2速でスピードに乗せると3速、4速と上げて右手のアクセルグリップを目いっぱいあげて直線のコースを猛スピードで走らせた、ドイツの有名メーカのバイクは遠くに置き去りとなっていた。
1周目で先行する6組目のチームを抜き去り、2周目、3周目そして5周目に入ると目の前には二組目にスタートしたロイヤルエン〇ィールドとノー〇ン・モーターサイクルがついに視界に入ってきたのである、アクセルグリップを全開にして二人に迫るように走ると向こうも気がついた。
平民のマシュー・ギルフォードが操作するノー〇ンのバイクが私の進路を妨害しはじめた。それを避ける為ギヤダウンしてエンジンブレーキをかけながら脇に寄せていくと皮の頭部保護帽子をかぶりゴーグルをつけたマシューが、赤く充血した目つきで私を見ると右足を上げて私のバイクの左側のカウルからつながるエンジン保護カバーを思いっきり蹴りつけてきたのである。
私と蹴ったマシュー・ギルフォードのバイクは70km近くのスピードだったのでバランスを崩してしまい、彼はカーブ手前の石垣にもろ車体をぶつけ本人はとんでもない高さで吹っ飛んでしまった。
私は蹴られてバランスを崩した時に、素早くエンジンを切って車体を横に滑らせ、公道を飛び出しちょうど石垣のない場所で羊たちがのどかに草をたべている草原に突っ込んでいった。
私は素早く起き上がりバイクを起こして見るとカウルが割れていたが草原がクションになってどうにかバイクは大丈夫だった。痛む足でバイクを押しながら公道にでると低い石垣のむこうに吹っ飛ばされたマシュー・ギルフォードは首が変な向きになって倒れていた。それを無視してエンジンをかけるとバイクは生き返りそのまま走りだした。すぐに主都ダグラスのスタート地点が見えてきてそのまま吉田や五十嵐が手を振る場所にバイクを横付けした。ガソリンの補充と休憩である。
事故現場の方にノー〇ン・モーターサイクルの関係者が車に乗り向かっていった。私は気の毒にと思ったが彼に邪魔を指示した貴族を許せなかった。
明子ちゃんから渡されたブラックコーヒーを飲み干しバナナも食べ終えると痛む足を引きずりガソリンを満タンにしたバイクに跨り先頭を走る貴族3人を追いかけてバイクを走らせた。この事故でだいぶタイムが広げられたが最後の10周目に入ると3人のバイクが見えてきた。
すでにタイムトライアルでは私がトップの成績だったが、こいつらに日本のマシーンの性能を見せつけてやるためにトップでゴールするつもりだった。
ゴールまであと10kmというところで、また二人がせまいコースをふさぐようにして私の進路を妨害してきた。
よほどトラ〇アンフのモンゴメリー伯爵の三男ウィリアムをトップでゴールさせたいようだ、これほどつくすのが貴族の階級世界かと思うとゲス野郎のウィリアムを意地でも蹴散らしてトップでゴールしてやろうと思った。
ゴール手前の蛇行が連続するポイントにきた。この蛇行カーブでこの二人の貴族に勝負をかけた私は最初のコーナーで車体を大きく内側に倒して、さらに座席から内側に大きく腰をひねって片膝を開きアウト・イン・アウトで一台を抜き去り次のカーブでも、同じようなハイテクニックの技で、愛車が自分の体の一部のようにもう一台を抜き去りカーブを抜け出すと目にとまらぬ速さで腰を元に戻し残りの直線先頭を走るウィリアムを追いかけ私はここで秘密兵器のスイッチをいれた。
100%の酸素がキャブレターに噴射され、それを吸い込んだエンジンはとんでもないパワーを生み出し、体がバイクにつかまってないと飛ばされそうなくらいの加速をはじめた。
すでにゴールまであと1kmほどタイムトライアルでは負けても、見た目のトップゴールを決めたつもりでアクセルグリップを最大に回し最速スピードで走るウィリアム、その脇をビュ~ンと赤いバイクが通り過ぎていった。ウィリアムはそのスピードに口を開けたままあぜんと見とれていた。
玲子は最後の100mでフロントタイヤをおもっいきり上げてビクトリーウィリー走行をしてゴールをしたのである。
最終組でスタートして先行するバイクチームを抜き去り、最後の直線でトラ〇アンフを抜き去ったとんでもね~スピードにビックリしながら、一位でゴールした玲子に観衆のみんなは立ち上がりいつまでも拍手をしていたのである。
こうして欧州に”最速の赤い魔女”の伝説が生まれたのである。
つづく、、、、




