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第88話 尚美、正岡子規と仲直り


1905年3月


結城

満州での奉天陥落ニュースは即日に日本中を駆け巡りまるで日露戦争が勝利で終わったような騒ぎとなり、連日、提灯行列が街の通りを埋め尽くした。


新聞記事も連日のようにロシア軍の被害の様子を記事にして民衆をあおっていたのである。


俺はすでに西園寺先生に呼ばれて側近の政治家の皆さんには政策秘書として挨拶させてもらい、、先生から皆さんに前から考えていた満州計画の話しをして

もらった。また国の方針や政策についてマスコミをうまく使い民意をうまく操作しないと派手な事ばかり言って民衆を煽る右翼の過激な連中が言っている事が記事になりそれが大変な事件を起こすかもしれないと言って政府や団体の意見を代弁して公表する人、、スポークスマンが必要だとアドバイスした。


なぜかこの時代の政治家はそのような事が苦手なようで外国との交渉も真面目なことばかりいってかけ引きをしないし、誠実そうな姿勢はいいが国を動かすには民意のコントロールも必要だし海外との交渉にもそれなりの交渉術は必要だと話した。


それで、今回は初めての政府発表として俺が代理のスポークスマンとして東京で新聞を出している大手の会社の代表数十人に集まってもらい、この日露戦争での日本の苦しい財政状況について説明をして奉天陥落ニュースで浮かれている状況ではないと話した。


ロシアにはまだまだ国力がありあと一年でも二年も続けられる、奉天が陥落したくらいではロシアは戦争に負けたとは思ってないしこれからも増援をして決戦を挑んできたら大変なことになってしまう、日本には金がなくて借金だらけなのでこの先は鉄砲の弾や大砲の弾が足りなくなって負けるかもしれないと説明した。


ともかくバルチック艦隊と連合艦隊との海上決戦の結果で戦争の終結に向けて交渉するので間違っても戦争の継続を煽るような記事は書かないように各社に指導を仕掛けたのである。


ただし国内にいるロシアのスパイにこの国に戦争継続の為の金がない事は知られないようにと念を押して説明をしたのであった。



        ~~~~~~~~~~~~~~~~~



1904年12月

長野県諏訪湖近くの高台にある小さな病院


白衣を着た一人の若い医師が粗末な部屋の診察室で、日帝大医学部から送られてきた手紙を読んでいた。


読み終えた彼はその手紙をもって木造の廊下を急いで歩き一人の患者の部屋に向かった。そこには病でやせ細り肌も透けるように白くなったうら若き少女が息をハァ~、ハァ~、、させながら額には熱を下げる為に濡らした手ぬぐいがあてられいた。 


脇には今にも泣きそうな母親が心配そうに娘の手を握り、苦しむ娘の顔をじ~と見ていた。


その医師が手紙を母親に渡すと母親はそれを受け取りそれを読み始めた、、読み終えると手紙を持つ手が震えはじめ大粒の涙を流しながら立ち上がり、その若い医師に何度も頭を下げていた。その若い医師の右手には結核治療薬”ストレプトマイシン”の粉末結晶薬の小瓶が握られていたのである。



新潟県の海辺近くにある保養所


海の向こうに佐渡島がよく見える二階の病室に三歳くらいの男の子が、窓から外の景色をつま先立ちでじ~と見ていた。その母親と思われる女性は木造の粗末なベッドに腰かけ六~七歳の娘の長い髪の毛をくしで愛おしそうにといでいた。感染を考えると面会もできない状況だったが余命少ない母親を思い子供たちの父親が先生にわがままを言って僅かな時間だけ最後の面会を許してもらったのだ。そばにはその父親がその様子を忘れないようにじ~と黙って見つめていた。



その時いきなり部屋の引き戸を開けて担当の医師が笑みを浮かべながら手紙を持って来てその父親に渡した。父親はその手紙を読み終え興奮して妻にその内容を話すと妻は両手を顔にあてて泣きだした。、、、その医師の右手にも結核治療薬”ストレプトマイシン”の粉末結晶薬の小瓶が握られていたのである。


こうして全国から”ストレプトマイシン”の事を知った患者や医師からの必死なお願いに日帝大医学部では、医学生もかかわり手紙を精査して全国の治療を待つ患者の中から余命少ない患者を優先して、その患者の家族から同意書をもらったら取り扱いの手紙を付けて”ストレプトマイシン”の粉末結晶薬を次々と発送したのである。




1905年3月

日帝大医学部 上杉教授室


「師匠見てください、こんなに、患者から完治した事に感謝する礼状がきていますよ、、」


「なんか副作用とか言ってくる患者はいなかったの、、」


「いや、ありませんね、年配の体力が落ちてしまった患者は一時は持ち直してもやはり助かりませんでした。それでも患者の家族から感謝の礼状がきていますね、、」


「まあ、藁にもすがる気持ちでいたわけだからそれに答えてあげて感謝したんじゃないの、、」


「長野県の諏訪湖近くの病院からは、娘の命が助かり春からは女学校に通えると母親から感謝の手紙が来ていますし新潟県からは妻が病から回復して毎日子ども達と面会ができるとこれも感謝の手紙がきていますよ、、」


「そうだろうね、、この時代にとっては夢のような薬だよ、それに薬の効果が未来人よりいんだよね~、やっぱりなんでも薬漬けの未来とは違うよ、」


「それより頼んでいた整形外科の新設はどうなっているの、、」


「はい、教授会でも骨折事故は毎日のようにどこかで起きていますので外科だけでは中途半端な治療になるだろうから新設には前向きです。今年の春に独逸で骨折や整復の専門医学の勉強で留学した田代たしろ 義徳よしのり先生が戻りますので田代 先生を教授にしてこの秋にでも整形外科を新設して医局を立ち上げる事になると思います。」


「そう、それはよかったわ、、井上先生には骨接合の手術方法と新しい金属インプラントと骨スクリューについてよく教えておいたから、彼をその先生につけて日本中に広めるようにしてちょうだい、、」


「えっ、先生がそれを手伝うんじゃないんですか、、てっきり、整形の手術ばっかりするもんだからそのつもりかと思いました。」


「バカね、私がそんなでしゃばるような事なんかするもんですか、、」



(いえ、いつもしております、、)その尻ぬぐいをいつもする結城


「それは、清と北大路先生に手技を教えるためよ、もうすっかり二人は覚えたからもう大丈夫よ、でも北大路先生にはレントゲンで病気の診断ができる放射線診断医師になってほしいいけど、」


「えっ、師匠、未来ではそんな医師までいるんですか?、、」


「もちろん、フフフフ、すごいわよ~、CT装置とかMRI装置とか言って人体を輪切りにして内部を撮影して臓器にできた疾病がわかるようになるのよ」


「その画像をみて病気の診断ができるようになるんだから、確定診断がこの時代と比べようがないわね、、ホントに不便で患者の容態を聞いて触診と聴診器で診断するしかないからね、、まあ、それでもX線レントゲン装置ができて多少は楽になったけど、、」


「そんなすごい、未来があるんですね、凄すぎますよ、、」


「あ、、そう言えば俳句の師匠にこのあいだ会いにいって”結核の薬の件で新聞騒ぎを起こして尚美師匠がメチャクチャ怒っていますよ~”と言ったら、小伝馬町にある三重県の松坂町出身の親方がやっている地元の牛肉を使ったすき焼きを私と尚美師匠にごちそうするんで勘弁してください、と言ってましたよどうしますか。」


「な、、ななんと、三重県の松坂の牛肉、まじか~、、この時代にもうあったのか~、、ぜひ、ぜひゴチになりま~す。」


すき焼き大好物の尚美はすっかり松坂牛に魅了されあれだけ正岡子規を嫌っていたが冒険小説の出版料が入り大金をもった正岡子規からの肉のごちそう攻めですっかりご機嫌をなおすのであった。








つづく、、、、



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