第80話 白鳥電気ラジオに挑戦
1904年11月
根岸にある正岡子規の自宅
数社の朝刊を読む正岡子規
”あちゃちゃ~、、すげ~じゃね~か、上杉先生また有名になっちまたな~おいらのせいかな、”
(そうで~す、姉さん激おこですよ~、)漫画を持っていかれた結城
新聞には全紙が一面トップで「労咳治療薬”ストレプトマイシン”ついに完成!」と都合のいい見出しが日本中の朝刊で踊っていた。
そこへ小説担当の島田三郎が原稿を取りに来た。
「先生、、お邪魔するよ、、」とかってに上がり込み書斎の正岡子規の向かいに座る島田、、
「サブちゃん、、おめ~さんに言ったじゃね~かよ、ここだけの話しだぜ、て言っただろ、それを朝刊であんな記事書きやがって、ほれみろよ、日本中大騒ぎだぜ、」そう言って他社の朝刊を投げつける先生
「いや~、すげ~事じゃね~かい、、先生もあんときは労咳であんなにやせて今にも死にそうだったのが、、こんなに元気になってここまで太るもんかね」
「あん時にこの労咳治療薬”ストレプトマイシン”で治したんじゃね~のかい、2~3年前からこの薬あったんじゃね~の、、」
「先生なんか知っていたら教えてくれよ、先生からこの事を教えてもらって記事にしたらすげ~反響でさ、、医学部のガードが固くてこれ以上わからね~のさ」
”ヤバイ、、120年後の未来からきた尚美ちゃんから未来の薬で治してもらったなんてこいつに言えるかよ、、”
「フン!、、おめ~さんにはもうなんもしゃべらね~よ、、」
「エ~、この前は先生からおもしれ話があるぜて言って聞かせてくれた話じゃねのかい、頼むよ、、」
「ぜって~、、もうなんもしゃべらね~、、フン! 」
「しょがねえな~、そうだこの間の先生の海洋冒険小説「おいらは海賊キングになるぞ!」の出版について、大変だぜ来月には第一巻がでるけど、こっちに住んでいて女学校で英語を教えている英国人の先生がよ、毎日この連続小説よんでいてものすげ~気に入っちゃて英語の翻訳を手伝うんで英語版の本の出版してくれって会社に直談判にきたんだぜ、、びっくりよ、、来年には英語版もでて商社を通して海外にでるけど、先生の印税は国内と同じ10%だから了解しておいてくれよ、、」
「へい、へい、、分かりました。、外人さんが読んでもこれは、おもしれ~のかな、、」
”まあどうせ、、尚美ちゃんちの漫画のパクリだからな~、これですこしでも金がはいりゃ~、律との生活も楽になるか~、、”
そう思いながら軽い返事をする正岡子規だった。
全紙が一面トップで「労咳治療薬”ストレプトマイシン”ついに完成!、」これを読んだ、海外からきているマスコミ担当者は日露戦争の記事ばかりであきてきたところへ、またまた二人の日本人医師のとんでもない大発見これを各自国にすぐ電報で連絡して、各国の朝刊の一面に大きくのせたのである。
欧州では”白いペスト”の名で恐れられた病であり「日本でついに”白いペスト”の治療薬を完成させる!」先端科学や医療先進国の独逸や英国などの、欧州や米国の白人達は前の細菌による感染症治療薬の抗生物質ペニシリンのショックから立ち直れないのにかかればほぼ治らないと思っている、海外では結核といわれた感染症を治す薬である、、自分達が作れない薬を、それがまたあの黄色いサルが作った事に強い人種差別主義派の白人達はまた頭を下げてサルから薬をもらわないといけないのか、と苦々しく思っていたのである。
自分が余計なことをしゃべって、そんな世界中でおおごとになってしまったとは思っていない正岡子規は、三郎にせかされながらまだ仕上げていなかった原稿をひたすら書いていたのである。
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白鳥電気
白鳥礼司社長
120年後の未来の家電製品、あれから結城君からこの先の未来についていろいろと教えてもらった。日本はこれからも戦争ばかりして最後は米国や英国などの世界の国を相手にした戦争をして結局負けてしまい国民は大勢死んでしまうそうならないように今は渋沢先生と歴史に介入するつもりだと、、
私にも協力してほしいとお願いしてきた、それはこれから19年後の1923年 9月1日 11時58分に関東大地震で190万人が被災、10万人あまりが死亡あるいは行方不明になる大災害が起きると言っていた。
自然災害はいつ来るかわかっていてもそれを変えることはできないが準備と対策はできると言っていた。その時に正確な被災情報や救援情報が伝える手段がなくて、デマや偽情報で暴動がおきたり朝鮮人やそれに巻き込まれた他県から来た人たちが物騒な自衛団や武装した住民に殺傷される事件があっちこっちで起きて、それから国内では正確な情報を国民に伝える為のラジオ放送が普及したそうだ。
このラジオ放送つまり無線で音声によるニュースや音楽をながしたり、天気も台風や大雨が分かれば注意することができる。災害があればどこが危ないのか
救護所はどことか、他にも娯楽では落語や相撲中継やスポーツ中継もできる、どこにいてもみんなが同じ情報を聞くことができる。
このラジオから始まりTVモニターができていき、あんなガラス板のような映像を出す未来の製品になっていくそうだ。
自宅には昭和家電といっていた冷蔵庫や洗濯機に掃除機なんかが運ばれてきたこれはさっそく社員によってばらし同じ製品を作るために精査している。
ラジオについては無線電話と同じだ、音声を電波に変えて送信してその電波を受信する装置だ、この両方の機能が一台にそろえば無線電話器となって遠くにいる人物との会話ができる装置となる。
今の時代でも作れると彼は言っていた。それは真空管と呼ばれる電気信号の増幅器、電流を増幅したり、スイッチのようにON/OFFしたりすることができるトランジスタ、電気をためるコンデンサに電流を一方向にだけ流すダイオードなどだ結城君の自宅にあった。ホコリがかぶった古い真空管ランプのラジオやアンプと電気関係の雑誌や専門書と封をきっていない鉱石組み立てラジオキット
それと少し再現が難しいが八〇洲無線と書かれたでかい無線器と小型の手に持てるハンディ無線機を数台持ってきた、、これらは結城君が新しい電池をいれて持ってきた。これは見通しのいいところでは2~3kmなら電波が届くと言っていたので社員と試してみたら、ビックリした有線電話よりはっきりと声が聞こえたのである。
さっそく日帝大の工学部をでた連中を集めて特別チームを作ってもっきた資料や見本で再現することにした。
ラジオの送信ができるようになれば結城君は民間での最初のラジオ局を作ってニュースや娯楽の放送を流すといっていた。
私は必ず再現すると約束した。そうだ冷蔵庫と洗濯機に掃除機、そしてこのラジオと無線機で世界をびっくりさせるんだ、、ああ楽しみだ、、
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自宅で満州計画を考えている結城
西園寺 公望、1849年12月7日~1940年11月24日、日本の公家、政治家だ
この人物は現在この日本の衆議院において第一党の立憲政友会の党首だ。内閣総理大臣を二度経験し、辞任後は天皇の側近にあたる元老として、昭和までの
非常に長い期間政治に携わり続け、、鎌倉時代より続く清華家の血を引き、皇室と関わりも深かい、パリのソルボンヌ大学に留学し10年のフランス留学で身につけた外交力は並外れており、自由民権運動には理解があった。
今の日本の風潮は海外列強に対抗しようとするものだが、西洋文化を学んだ西園寺の意向は海外に対抗するのではなく、協調すべきだとする考えで陸軍が軍備の拡大を進めようとした時に反対するなどの姿勢を示しその意志が表れていた。
俺はこの人物と面会してこれから起きる日露戦争の歴史的流れと、ポーツマス条約から始まる満州への国策による展開がいかに不幸な結果がまっているか説明をして米国や資本家それにユダヤ財閥との連携による満州経営で、日本経済の底上げをしていき孤立しない日本を作り上げて、これから進める未来の知識によってつくられる経済と科学力それに医療において日本を先進国でのトップにする計画を話しても大丈夫な人物だと思った。
つまり、この西園寺 公望に俺が未来から来たことを話して歴史の流れを変える仲間になってもらうつもりだ、、
こうして俺の歴史変更計画がまとまったので政界でのトップリーダー西園寺 公望との面会するための段取りを渋沢先生に頼んだ、、、
つづく、、、、