第70話 旅順の戦い その7
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今回を前半の終了としてしばらくの間、投稿を休ませてもらいます。、、ネタ切れです、、、
また、、、後半の内容が出来上がりましたら投稿を再開します、、
それでは、、はじまり、、、はじまり、、、
203高地頂上 日本軍防御陣地
歩兵第七連隊加藤中佐と歩兵第二連隊真田中佐
加藤中佐
「エッ、本当にここに第二連隊が残っていただけるのですか、、」
真田中佐
「はい、、もう私の指揮する連隊は大隊規模になりましたから、、このまま下山しても内地からの補充兵がこなければしばらくは戦えないでしょう、、さきほど師団長と乃木司令官には了解を取りました。」
「部下達も死んだ仲間の仇を取るんだと言って下山で再編成する他の連隊の兵士から余った弾薬や手投げ弾をもらって再装備しておりますので、きっとお役にたてますよ。」
加藤中佐
「ありがとうございます。敵はどうも2個連隊規模でこちらに向かっている様なので助かります。、、さっそくですが右翼のほうを任せてもよろしいでしょうか、、」
「任せて下さい、、」そう言って真田中佐と部下は急いで簡易防御陣地を構築するのだった。
機関砲中隊
中村大尉
私は臨時の特別機関砲中隊を率いている、、今回は第三軍の半分にあたる20門の保式機関砲を集めて集中運用をして、この大事な203高地を守ることになった。弾薬は十分に用意してある
この機関砲はフランスのホチキス社の開発したホチキス Mle1897機関銃に陸軍が興味を示し、試験用に4門を購入することとなった。フランスの試験では数千発を連続射撃して、ほとんど異常作動を起こさない信頼性があり問題はなかったが、日本で陸軍技術本部とオチキス社の技師が立ち会った上で射撃試験が行われた。この試験では薬莢の破断等の射撃不良が著しく、連発が不能なほどだった。
これはインド洋など海路を輸送中、温度変化による弾薬変質が原因であると見られた。当時世界最高との評価があっただけに、ホチキス社はこの結果に驚いた。
日本陸軍は、Mle1897機関銃の口径を6.5mmとするようホチキス社に仕様を出しこれを了解してもらい、これは三十年式小銃の実包を使用できるようにしたものであった。これで弾薬の変質問題は回避されて日本陸軍用の仕様となったのである。
機関砲の三脚を立て塹壕の上部から銃口を出しまわりを土嚢で盾のように積み上げ、上部に木材やら丸太などをかぶせさらに土嚢も積んで簡易的な掩体壕のような銃座をつくり敵を待ち構えた。
アレクサンドル・フォーク大佐(ロシア軍203高地奪回の為編成された2個連隊を指揮する)
”予備の兵力として市街の兵舎に待機していたら参謀本部のコンドラチェンコ少将から203高地で日本軍の攻勢が始まったので至急に支援に兵士をだしてほしいと連絡がきた、、急いで副官に指示をして支度をはじめて兵士がそろったのは2時間もしてからである。
まったくほとんどのが兵士がシベリアやウラジオストックから臨時徴兵で集められた兵士達だこの中で字が読めるのは1割もいないのではないか、、まあそれでも数はそろったから急いで向かう事にした。
こうして我々は旅順市街から旅順要塞群の端に位置する203高地まで行軍してきた。、、昼近くにふもとに着いたので双眼鏡で山の頂上をみた私は息がとまってしまった。
そこにはロシアの国旗ではなく、、日本軍の旭日旗が風にひるがえっていたのだ。
その時、、馬にのって伝令兵がやってきて、参謀本部のコンドラチェンコ少将からの伝言でやはり頂上は日本軍に占領されてベドロビッチ少佐が戦死したことを知らされた。
これはもう支援でいくのではなく203高地の奪回作戦となったのである、、すでに頂上の日本軍はベドロビッチ少佐達との戦闘でだいぶ消耗しているはずだから2個連隊で強襲すればうまくいくと言ってきた、支援の砲撃をあと30分したら始めるんのでそれに合わせて突入する事になった。
203高地の中腹まで来たら砲撃が始まった。頂上では散発的に榴弾や直撃弾が激しく爆発音が響いていた、、私は部隊を横に広げた。 横隊戦術での銃剣突撃で頂上までは遮蔽物はなにもないが突撃を邪魔する鉄条網もない一気に突入できればいけるかもしれないと考えていた。
そろそろ砲撃は終わる、、私はサーベルを抜いて右手で高々あげると「突撃~」と叫び、、駆け足で斜面をのぼっていった。
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歩兵第二連隊真田中佐
日がもうすぐ傾きはじめる頃、、私は自分の塹壕から身を乗り出しゆっくりと副官といっしょにロシア兵の遺体が散乱している斜面を歩いていた。、、猛烈な血と臓器の臭い、それに火薬の臭いがして思わずハンカチで鼻をふさいだ。
加藤中佐の指示でぎりぎりまでロシア兵が上がってくるのを待っていた、、彼らも人間だ、こんな斜面を駆け足でのぼってくれば我々の塹壕近くまで来る頃にはへろへろだよ、、そこで一斉射撃でバタバタと倒れ砲兵隊の観測兵よる精密砲撃で5~6人まとめて次々吹っ飛んでいったよ
空中で爆発して散弾をまきちらしては兵士はバタバタたおれ、保式機関砲も活躍してそれを見て死んでいった部下達の恨みを少しでも晴らしたかな~、、、と思いながら眺めていた。
サーベルを握ったまま死んでいる将校がいた、、大佐の階級のようだ、、、、死んでいった、、部下の墓標にそのサーベルをささげようと思い副官に指示して戦利品で持って帰った。 そうだ、、ここに奪回に来たロシア軍の2個連隊は身を守る遮蔽物もない中、精密砲撃と機関砲に自軍のマキシム機関銃それにこの奪回攻撃をみこしての待ち伏せ攻撃だ準備がちがう、、一時間もしないでほぼ壊滅してしまった。、、、うまく逃げたやつもいるだろうが大したことはない、、ざっとみただけでも少佐や士官の階級を付けた連中もたくさん戦死している、、負傷した兵士は我が方の衛生兵が止血処理をして担架で日本の救護所に運ばれていった。
いまは遺体の搬出が元気な兵士も加わり運びだしている。、、ひどい状況だった。今日の一日でこの203高地はどれだけの人間の血を、この大地に吸ったのかまだまだ足りなければ、この高地を奪回にくるロシア兵の血をささげてやると私は思っていた。
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尚美
私と若頭は倒したロシア兵に近寄り死亡を確認した。、まだ少年のような顔をした遺体だった、なんで執拗に衛生兵を狙ったのかさっぱりわからなかったが
これでひと安心だと思い、、”安じ~”を回収して御礼を言ったら、ちょっとバイブして答えてくれた。、きっと、もっとまともに投げろとでも言ってるんだろうと思った。
投げた瞬間、”あちゃ~、、まずい、、外れた~”と思ったらビュ~ンと曲がって首にドンピシャと刺さるなんてさすが~”安じ~”と感謝したほどだった、、
若頭
”やあ~、、ビックリしたぜ、、弾が出なくて奴に狙われた時は本当にもうおしまいかと思ったぜ、、、さすがだよ、、俺は姐さんにこれで2回も助けてもらった。、、何であんなことができるんだ、これはみんなに教えてあげね~と、信じるかな、、いや、、姐さんの事はみんな信じるよ、、今回は、刃物を投げたら、びゅう~、とおもいっきり曲がって相手の首に正確に当たりぶっ殺したなんてすげ~じぇね~かよ、、あ~早くみんなにしゃべりて~”と思っていたのであった。
救護所に戻った尚美と学生の二人
二人は防弾プレートのおかげであざができたくらいで済んだのである。、負傷した兵士も助かりベットに横になっていた。
尚美
「庄吉、、よく点滴の瓶を離さないでいたよね~、、ふつうは自分の体を守って受け身をするでしょうが、、」
「え~、そうなんですか、、なんか、、点滴瓶を割っちゃうと先生の折檻が怖くて自然とそのままいっちゃいました、、まだ鼻血の方がましです~」
「なに~、、わたしゃ、そんなに、ひどい折檻いつしたんだよ~、、」
庄吉と一郎、、声をそろえて
「ほぼ、、毎日です、、」
尚美
「、、、、無言、、、、」
”おめら~がそれだけの事をしてんだよ、、”とは言えなかった。
203高地の陥落後、、一週間ほどで二十八糎榴弾砲の設置が完了した。、、そのあいだロシア軍は夜間に二回、夜襲をかけてきて奪回をめざしたが、再編成した第一師団の各連隊が強固な陣地を構築していたので奪回は失敗に終わったのである、、
ついに旅順艦隊を山越に砲撃する日がきて、頂上には乃木司令官と海軍の連絡担当できていた、、岩村団次郎中佐と伊集院俊大尉が双眼鏡でその様子を見ていた。
次々と港湾にでかい水柱があがる。、、市街にも砲弾が飛んでいき弾薬庫にでもあたったのかすごい轟音とともに火柱があがり細かい爆発が続いた。街は大火事となって煙がもくもくと上がっていた。、敵の戦艦に閃光が光って火柱があがるとみんなで拍手していたのである、、これにより、海軍の念願であった旅順艦隊が壊滅したのであった。それは10月1日だった。
日本軍は史実よりも2ヶ月以上も早く旅順艦隊を壊滅した。、日露戦争の一つの山場を越えたのである。
つづく、、、、