第57話 旅順出発準備
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それでは、、はじまり、、、はじまり、、、
1904年5月
鴨緑江渡河作戦
鴨緑江とは前にも述べたが、現在の北朝鮮と中国との国境を流れる河である、それは北朝鮮の脱北者にとって最初の障害である。
そして満州の奉天を目指す日本軍にとっても最初のロシア軍との会戦となった場所でもある。
この作戦にあたったのは第一軍、、司令官は黒木為楨大将、第一級の戦術家だった。
ロシア軍は自軍の兵士が日本軍兵士よりも優秀であると過信したザミハイル・ザスーリチ将軍と24000名の兵力を分散配置した。まったくの無策である。
黒木大将の作戦はきわめて巧みなものでロシア軍の防御線の最右翼の川岸に架設橋材料をいったん集結させて、いかにもその地点から架設の橋をするかのようにみせかけた、その後夜陰に乗じて逆に防御線の最左翼のさらに上流に架設の橋を設置した。それは見事に成功して第一軍の主力はさしたる抵抗も受けずに満州側に渡河したのである。
日本軍はすべての部隊が渡河を終えて一部の師団はさらはロシア軍防御線の後方の方に回らせ、黒木司令官の次の手は各師団が連携してロシア軍の側面攻撃をかけ同時に後方からの攻撃を仕掛けて敵を防御陣地から追い払い川沿いに築かれた堡塁を壊滅させることだった。
これに対してロシア軍は激しく抵抗したが、日本軍の破竹の進撃と速射野砲の砲撃戦には持ちこたえることができなかった。
ロシア軍は全部隊が総崩れとなって潰走し4~5km退却して再編成のもと最後の反撃を試みたが、すかさず三方から包囲されロシア軍は全軍を用いての決戦を避け退却となった。
多くのロシア兵が捕虜となりまた大砲や弾薬などの装備が日本軍の手に渡ったのである。
日本軍の死傷者約1,000名、ロシア軍の死傷者約1,800名
この鴨緑江渡河作戦では日本のサルとバカにして自信過剰になっていたロシア軍はまるで何の策もなく兵を配置していた。それが、何年も前から用意周到に準備してきて河を渡るための船橋に取り組む専門兵士の集団、それと御国の為に身をささげる覚悟がちがっていたのである。
1904年5月
南山の戦い
司令官,奥保鞏大将率いる第二軍は五月中旬に遼東半島に上陸。そして旅順要塞に籠もるロシア軍を北方の主力と分断するために金州攻略に向かった。
偵察によって南山に堅固な防御陣地があることを知った奥は重砲の配備および連合艦隊への支援を要請した。しかし、大本営は重砲は不要と判断さらに艦隊支援の有無に関わらず攻撃するよう訓令した。
五月二十五日に第四師団が金州を占領、翌二十六日早朝から南山への砲撃を開始した。敵軍の砲撃が衰えた午前八時より総攻撃を開始したが、鉄条網や機関銃に阻まれて前進は難航。軍の総予備も投入したが午後になっても損害が続出したため、幕僚は一次撤退を具申した。
しかし奥はこれに応じず攻撃続行を命令。到着した連合艦隊の援護射撃もあり午後八時三十分に南山を占領した。
日本軍、死傷者4300人 ロシア軍死傷者1400人
史実ではこの南山の戦いで第三軍司令官乃木 希典大将の長男、乃木勝典少尉が戦死した。 ロシア軍の銃弾が腹部に命中して軍医の治療をうけるが出血多量で死亡したのである。
損害を聞いた参謀本部は驚愕した一桁間違っての報告ではないのかと、何度も聞きなおすのである。この時にロシアの機関銃の威力をもっと確認がとれれば次の旅順攻略戦で対策をとれたがその原因の検証も対策もなかったのである。
だが歴史は変わった、乃木勝典少尉は第一師団に所属していたのである。彼は銃弾を腹部に受けたが結城がつくった防弾プレートが見事に銃弾を受け止めたのである。勝典少尉はボディブローのパンチに腹を押さえ一度、倒れかけたが右足を出し踏ん張り、小隊を引き連れそのまま敵の塹壕に飛び込みそこを占拠したのである。
そうだこの第一師団は、結城が防弾装備を配備していたのだ(第48話参照)。それにより負傷者はたくさん出たが死亡する兵士は激減した。またこの装備により史実よりも早く南山を占領することができたのである。
そしてこのあと第一師団は第三軍の配下になるのである。
1904年6月
結城
丸の内にある五条商会につては俺は商工会でず~と世話になった鎌田さんと佐藤さんを役員で迎えて、派遣業務と王子での医薬品関連と医療器械それにジ〇ポーと洋食器の輸出について管理を全て任せることにした。俺は業績を聞いて必要があれば指示をだしている。この二人に来月には姉さんと旅順にいくので後の事を任せた。
二人は”防弾チョキとヘルメットはつけて戦場に行ってくださいね”と心配していたが、兵隊じゃないし大丈夫さ
それと結核の治療薬ストレプトマイシンがついにできて今は最初の治験で様子を見ているそうだ。なんでも城島先生のところの研究生の婚約者で経過は非常にいいらしい
姉さんも喜んでいて、”これで多くの患者が救われるよ”と上杉先生と城島先生を誘って自分の好きなすき焼きを食べに行って祝杯をあげたそうだ。
今は戦争中なので国際医学会の発表はもう一年、治験での様子を見てから発表することにした。だが俺は鎌田さんに指示して王子の薬品工場での製造の為の培養器材やその他の機器の準備をお願いした。すでに工場のスペースが足りなくなったが敷地は広く買ってあるため工場を広げた。
それと姉さんが忙しい城島先生をつかって作らせた化粧品関連の専用工場を作る事にした。きっとこの化粧品事業は大きくなるだろう。なんせあの白鳥玲子がとんでもね~、やりかたで売りさばくだろから、今から準備しておくのさ。現在は城島先生の指導で製品のラインナップがほぼできあがったので急いで作らせようと思う。
ライバルの資〇堂はこの時代にもう創業していた。銀座で資〇堂薬局として薬なんかと一緒に輸入品のオーデコロンやカラーバリエーションがあるファンデーションなんかを売っている。
驚いた事にこの時代で資〇堂パーラーとして薬局の一角にソーダファウンテン(ファストフード 店などに置いてあるいろいろな味があるドリンクサービス、自分でグラスを置き適量入れる装置)が設置され自分の好きなソーダー水が飲めるのだ。あとはこの時代めずらしいアイスクリームも店内で食べる事ができたのである。創業者が米国視察で気に入りすぐに取り入れたようだ。今じゃ大ヒットして御夫人達の銀座での休憩ポイントとなっている。
風間発動機には特別な倉庫があり、そこに家にあった死んだ親父のTOYO〇〇のヴェル〇ァイ〇とジー〇社の4WDピックアップ「グ〇ディ〇ーター」あと3輪の軽トラックダ〇〇ツのミ〇ットを移動させた。どれもしばらく使ってなかったので心配してたら、風間社長が車のバッテリーに充電をしてくれて、3台とも生き返った。
俺は風間社長にこの3輪の軽トラックをばらして社員に車の仕組みの教材にしてくれと頼んだ。とくに変速器である。この車は3速だが作るのは4速に再現できるよう勉強してほしいとお願いした。他にもシャフトやブレーキ、車体のフレーム、すべてがまだこの時代めずらしいものである。
風間社長は喜んでみんなでこれで勉強すると言ってくれた。それとTOYO〇〇のヴェル〇ァイ〇は姉さんとこれで旅順に行くので少し派手で目立つからなんか地味なグレイーで他にも汚い色をつけポンコツな感じな車に塗りなおし、四角い白地で赤十字のマークを前面と両サイドに入れてほしいと頼んだ。
そして家にあった車の上に取り付け荷物が積めるルーフキャリアのカゴのタイプを外れないよう取付もお願いした。
1904年6月
銀座資〇堂パーラー
尚美と玲子
尚美
「まじかよ。明治に資〇堂があったのかそれもこんなに近くにあるとは、たまげたわ。」
玲子
「そうよ、ここは薬局店だけど飲食もできるのよ。あのソーダファウンテンにいってグラスに自分の好きなあじのソーダ水が飲めるわよ」
尚美
「げっ、、コーラ味がある、、私はこれ、これよ、、久しぶりコーラなんてもうあったのね、」
玲子
「フフフフ、私はレモンソーダー、それとアイスクリーム2っください」
そして、頼んだ物を受け取り席についた二人
尚美
「”グビグビ”、こりゃ~コーラだわ。うれしい~、結城に教えてあげよ。アイスもおいしい~。」
玲子
「そうでしょう。私なんか2年前にここを見つけたときは、しょっちゅうきてたわよ。ところで話しってな~に。」
尚美
「そうだった、来月には軍の医療部隊で旅順に行かなくちゃいけないの。う~んきっと年末まで帰れないかな。それで後の事についてさ、あんたしかいないじゃん。銀座の”NAOMI”について頼める人は、玲子の事はもう結城が五条商会の役員にしてあるから立場的にはいいんだけどね。」
玲子
「だから、あんなに給料がすごかったの、びっくりしちゃった。バイクを作りに行ったり、お化粧のアドバイザーしたり、街角のイケメンとかにも口をだしたりして毎日好きな事ばかりしているのに。」
尚美
「金の事は気にしなくていいの。ぜ~んぶ結城に任せておけばいいのよ。あいつの頭は商売に向いてんの。」
玲子
「エ~、かわいそう。でも結城君、いい男になったよね~、眼がワイルドでセクシーだよ。私が食べちゃてもいいかな~」
尚美
「あんたが、その気でも結城は違うと思うけど、きっと私と同類と思ってびびってんじゃないの。」
(その通り。俺のバイクと装備を奪った冷血鬼婆と思っています。)ワイルドでセクシーな結城
尚美
「バイクチームにいい男がいないの?…」
玲子
「だめよ、この時代はまだ栄養が足りないから平均身長が低いし相手にならない、それと名前がねぇ~。徳三やら仁三郎に米蔵。この前なんか、あっ、いい男と思って名前を聞いたら米作よ。コシヒカリのほうがまだましよ」
玲子
「ところでさ~、あの月刊誌の街角イケメンのコンテスト今月の終わりに決まるよね。7月10日に授賞式でしょ、そのメンバーからさ~何人かアイドルに育ててみない……結城君もいってたじゃん、戦争が終わったら浅草で劇場を作り娯楽を提供したいってさ。確か日露戦争って来年の春だっけ。夏かなそんくらいで終わるんでしょ。どう思う、尚美」
尚美
「来年の9月だよ。まあ、声くらいはかけようか芸能事務所は年末に帰ってきてからよ。玲子が浅草でいい場所ないか探してきてよ」
玲子
「了解。あ~楽しみ、自分でジ〇〇〇〇事務所のようにかわいい子をたくさん育てられるなんて。フフフ、尚美あんたも喜んでいるでしょ。フフフ、私と同じなんだから」
(あの~、ヤバイお姉さんたち、未成年には手を出さないでくださいネ)心配する保護者代表の結城
1904年7月
旅順要塞を包囲する第三軍につながる軍需品運搬用の軽便鉄道を建設中の第一師団の新兵達
「今日はくそ暑いな。留吉そこの枕木もってきてくれや」
「へい、、若頭この枕木ですね、、いまそっちにもっていきます。」
「ここはシャバじゃないんだ、若頭はやめてくれ、、兄貴でいいよ」
「そうですか、、兄貴の背中の立派な桜の入れ墨が汗で透けて見えますよ、」
「フフフ。そうかい。ああ、姐さんなにしてんのかな~。また一緒にトンカツ食いにいきてな~」
つづく、、、、、