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第55話 結城、家電を頼む

いつも読んでいただいてありがとうございます。



それでは、、はじまり、、、はじまり、、、


1904年4月

ハルピン


私の名前はおき 禎介ていすけ、満州軍総司令部参謀、福島安正少将の諜報部に所属する特務機関に協力する民間人だロシア軍の後方輸送路破壊工作に従事していた。


横川省三とともにラマ僧に変装して満州に潜伏しているところをロシア兵に捕獲されてしまい、、、もう終わりだ、、最後は日本人らしくりっぱに死なないといけない、、


私は関わったロシアの将官に毅然とした態度と礼を持って接して裁判にのぞんだ検察官は絞首刑を求刑したが、「どうか軍人に対する礼をもって、銃殺刑に処していただきたい」と横川と共に嘆願した。



当初は絞首刑を予定されていたが日本人二人の態度が立派だったため現地の司令官がロシア皇帝ニコライ2世に請願し、銃殺刑に変更されることになった。


そのような経緯により銃殺刑の判決を聞いた二人は満足そうに笑みを浮かべ、裁判長と法務官に深々と一礼したという



執行当日、死刑執行官は、射撃手に「射撃用意」と命じ、その後「愛をもって撃て」と付け加えた。尊敬すべき二人の日本人が苦しまないように、正しく心臓を狙えということである。



二人は最期に「天皇陛下万歳」と叫びハルピン郊外で処刑されたのである。



このように満州の各地でロシア軍の後方攪乱を指導する諜報部のトップがこの福島安正少将である、彼の経歴がすごい、未開発だった頃のシベリアを馬で単騎横断したのだ。



約1万8千キロを1年4ヶ月をかけて馬で横断し、実地調査を行う。この旅行が一般に「シベリア単騎横断」と呼ばれ当時世界的に注目を浴びた大冒険だったのである。そんな人物が満州軍総司令部参謀にいるわけだ。



特に、満州馬賊を率いて戦った「遼西特別任務班」「満州義軍」の総指揮を行ったことは、一般にあまり知られていない。



満洲義軍は、同じく馬賊を編成した特務機関の「遼西特別任務班」と共に大陸の各地でロシア軍の鉄道の破壊や、物資の略奪を行い、ある程度の成果を挙げた。



ロシア軍の後方で活動する満洲義軍がロシア軍の将兵に与えた心理的ダメージは計り知れない。これらの部隊を満州軍総司令部で指揮を行ったのがこの福島安正少将である



馬賊というと「盗賊団」というイメージが強いが元々は満州人の自衛組織の中の遊撃隊のような存在だった、、それがロシア軍が進行してきて満州人達から搾取するようになり、反発する満州人を弾圧するようになった。 そこへ現地では「花大人ホアターレン」として住民から慕われた。特務機関の花田仲之助少佐がそんな自衛団の馬賊を集め満洲義軍を結成、、遼西特別任務班である日本の特務機関と組んで騎馬の機動力を生かして後方攪乱したのである。



ロシア軍は満州義軍を「露軍眼中のクギ」と称して警戒をしていたのである。








東京の電気事業は東京電灯(株)が家庭への電力供給が始まったのは1887年からである、、それまではろうそくや石油ランプであったが独特のにおいや火災の危険があったため、、無臭で安全であり点火や点滅も自在な電灯は急速に広がる、それにより各家庭に電気の配線がいきわたっていくのである


さらに1905年を過ぎるころから技術革新で大容量水力発電の建設と長距離高圧送電が開始された、それによるコストダウンとサービスが拡大されて電力供給が普及していくのである。


白鳥電気会社


結城

俺は姉さんや玲子さんに頼まれてこの時代に女性の家事がすこしでも楽になるような家電製品ができないか頼まれ玲子さんと、この時代のお父さんがやっている白鳥電気に出向いた。白鳥電気は各家庭の配線工事や電線の敷設工事の事業部と電球や分電盤、コンセントの差し込みや、電気の小物部品の製造事業部がありこの時代の電気に精通した会社で繁盛していた。



いきなりあれもこれもとお願いすることもできないので、アイロンと電気がまを持っていって相談してみた。



お父さんは最初、、”お前は玲子とどういう関係だ、!”といきなり突っ込んできた。、玲子さんがうまく弁解していたけど、、どの時代も親が娘を思う気持ちはいっしょだな~と思った。



まずはアイロンを見せた。この時代衣類のしわを伸ばすために使われていたのは。火熨斗ひのしと言って少しサイズが小さい底の深いフライパンのような形状をしていた。


そこに炭を入れて使っていましたが、それが今の形状のような形に木の持ちてがついて中に炭を入れたものがこの時代に西洋から伝わり使われ初めていました。いずれにしても炭がなければだめでその準備から始まる手間のかかる作業でした。



俺はアイロンを見せながら熱源はニクロム線に電気を流し本体を温め、ダイヤルで温度調整ができて炭を使う手間がいらないと話したら身を乗り出して聞いてくれてこれは素晴らしい、、炭を用意して火をつけて準備しなくてもいいじゃないですか、、構造も簡単そうだ、これは作れますよ、、そう言って喜んでくれた。



同じように電気釜について相談を始めた。このごはんをうまく炊くということは本当に大変な時代だよ羽釜と言ってツバが周りについたお釜をかまどにはめ込み、薪を燃やして炊いていました。火加減が難しいため、当時の主婦はお米が炊き上がるまでかまどから離れられず、不便な思いをしていたのさ、、



これも熱源がニクロム線で炊きたい米の量で炊き上げ時間を調節するダイヤルがありとても便利な電気製品だった。



白鳥社長はそれも絶賛して、、”なんじゃ~これはすごいじゃないですか~、、ごはんは薪で炊くものばかりだと思っていましたよ、、”と驚いていた。、、これも問題ないと言っていて、、さらにアイデアで圧力釜として調理にも用途があるんじゃないかと言ってきた、、


俺はこの白鳥社長はやはりすごい人だと思ってしまった。


「こんな便利なものが主婦の方たちに知っていただければ、、電気を通す家庭も増えますよ、、」と言っていた。


それから俺はその場の思いつきから「小型の発電機を作ってみませんか?」と話してみた。、、発電用のエンジンは風間発動機が用意できるあとはこちらで電気に変えるだけだ。



白鳥社長

「小型の発電機ですか、、、なんに使えますかね、、」


結城

「まず、明かりですよ、照明がつかえます。陸軍は使うでしょ、、陣地の明かりや電信などの動力、、それに白鳥社長電動工具もつくりましょうよ、、モーターはありますよね、、それに丸のこぎりを付けて住宅木材を切ったり、電動ドライバー、、グラインダーで金属も切断できますよ、、どこでも工作機械や建設機械が使えますよ、、そうなると大型の発電機もいるか、、」



ひとりで妄想がひろがる結城であったが、、、白鳥社長もどこにでももっていける発電機についてはよくわかってくれた、、


それから風間発動機が発動機を供給して白鳥社長が発電部分を作った。そして専用の照明器具もいろいろな物を考え工事現場や軍におもしろいように売れたのである。





1904年5月

風間発動機王子工場


僕の名前は五十嵐孝蔵日帝大学の工学部をでてこの会社に入った、、発動機が好きで今は二輪車の発動機の開発メンバーに選ばれた、他に同期の吉田と去年途中採用された。大学の先輩で河野先輩がリーダだった、、この3人でレース用の2輪車を作る事になった、、発動機については詳しいが今回は500ccの発動機の開発だ、ワクワクしてしょうがない



前に五条会長が2輪車の発動機の資料を持って来て少し説明をしていった、、発動機の形状である、、なかなか決まらないところで、気分直しで、建物内は禁煙なので外で3人でタバコを吸っていたら、、外の試験コースを1台のバイクが飛んでもね~スピードで砂ぼこりを上げて走っていた、ちょっと坂のようなところもスピードを上げておもいっきりジャンプした。



とってもきれいなフォームで安心して見てられた。俺達に気付いたのかこっちにやってきたどんなやろ~が運転していたんだろうと思い話をしようとまっていた。



黒いライダージャケットとモトクロスブーツ、それにモトクロス用ヘルメットを被りゴーグルをしてそのカワ〇キKL〇250オフロードバイクを彼らの前に横付けした。


それは白鳥玲子だった、すっかりその全てを自分の物にしていたのである。



(えっ、、うそでしょ、それ、俺の、、俺の、貸しただけだよね~)装備を玲子に取られた結城



ヘルメットを取りゴーグルをはずして自己紹介する彼女を見て、、俺は心臓を一発で撃ち抜かれた、”ズキューン”、とそのとんでもなくかわいい笑顔とえくぼに八重歯、、それとギャップするバイクのテクニック



他の2人もそうだった、、、その日から風間発動機では玲子のファンクラブが静かに広まっていくのである。、、、




(あんたたち、だまされたらだめよ~、中身は35年生きている、妖怪婆だから)自分も妖怪婆の尚美



俺達、3人はビックリした彼女がバイクのレーサーで海外レースに出る為に俺達は集めたれらたチームだった。、、、、



それから玲子ちゃんとみんなから呼ばれて彼女も500ccレースバイクの開発に加わることになったのである。




1904年5月

軍医医学校 校長室 


高橋勝次校長

「サリバン先生これを見て下さい、、陸軍から学生医師の戦地救護所での支援要請がきました、3年生40名を派遣してほしいそうです。どうしますか。」



週3回の授業で来校した尚美

「ついにきたか、そうね、、3年生の優秀な学生を、、成績トップから30人かな、、あと、お世辞やご機嫌どりのうまい先生2~3人に引率させて満州軍の大山元帥率いる陸軍主力部隊の救護部隊に送ってちょうだい、、医学生は使えね~奴ら、何てならないようによく先生と生徒にはよく言っておくのよ、、


それで、成績の悪い残りの10名は5月に編成される旅順要塞攻略部隊、第三軍と一緒に勝次が率いて連れていってちょうだい、、、


私は、か弱いおなご、、だから行かなくてもいいかな、、フフフフ、、」



高橋勝次校長

「グゥム、、ムムム、、なにを、おしゃる、、サリバン先生、、あなたが旭日旗持って要塞のてっぺんに立たないと勝てないじゃないですかぁ~、、、、


先生が睨みをきかせて旭日旗もって敵陣に突っ込めば露助もビビッて逃げ出しますよ、、、ははははは~、、(バッシ~~ン)、、痛て~、、叩かなくてもいいじゃないですか、、 」


尚美

「私だってネ~、、鉄砲の弾が当たれば死んじまうんだよ、、、、勝次が先に10名連れていってちょうだい、、私は8月19日までに行くから、、」



勝次

「あの~~なんで8月19日までなんですか、、、8月19日になんかあるんですか?」


尚美

「あ~、、そうだよ、、その日は死ぬほど忙しいぞ、、勝次もちゃんと準備していけよ、、」


「それと、、陸軍の通行許可証とか身分証明書があったら私の名前でもらっておいてよ。、、偉い人の名前でもらってね、、」


勝次

「了解しました。、、任せてください。」




こうして俺と姉さんは旅順に向かう準備をしていた。、、あとは6月15日に起きる常陸丸事件ひたちまるじけんをどうするかだ、、、、







つづく、、、、



土曜日と日曜日の投稿は休みます。



月曜日に投稿します。お楽しみにしてください。

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