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第53話 尚美と玲子パート3

いつも読んでいただいてありがとうございます。



それでは、、はじまり、、、はじまり、、、


尚美と結城の自宅



尚美

「あなたね~、、私の話しで笑ってばかりだけどさ、、、あんたはどうしてたのよ、、」



玲子

「よく、、聞いてくれた、、そりゃ~大変さ~、、なんたって4歳だよ、、家は古いけど前と同じ山の手の御殿のような家に奉公人がいてさ、、起きてから寝るまでず~と使用人が面倒見てくれる生活だよ、、心は18歳、、何が楽しくて使用人から桃太郎や金太郎それに浦島太郎、、なんで三太郎の話を聞かなきゃいけね~んだよ、、、”つまらね~いいかげんにしろや!”て4歳児が切れちゃってもう~、大変、、一度は死んだと思っていた娘だからさ~、、こっちの親は怒る事もなくてね~言うこと聞いてくれてやっと一人にしてくれたよ。


いつも、いつも、面白くなくてふてくされていたらさ、、なんか4歳児の家庭内暴力児でどっかの施設にでも捨てられたら大変かな~と思い、御先祖の親父に、ひらながも漢字も読み書きできるとこや、仕事で家に来た外人さんに近づいて"Hello nice to meet you.、、マイ、ネーム、、レイコ、シラトリ”なんて、、できる娘を演じていたさ、、


こっちの親はそりゃ~驚いてたね~、この子は天才だ~と近所中に自慢しちゃってそりゃ~大喜びさ、、、


近所のガキどもが遊びにきても、、おはじきや鬼ごっこにかくれんぼなんかできるかよ、近所の悪ガキを集めて新しい遊びで竹ぼうきにまたがり暴走族ごっこや格闘技ごっこ、そして御先祖の母親の財布から盗んだ金で、駄菓子屋でみんなにラムネを買ってやって中のビー玉を取り出し遊び方を教えてやったり


夜なんかも~大変さ、な~にもすることもね~だろ、、親が寝静まったら、、台所で寝酒を飲んでいたよ体が5歳だから一口、二口飲むだけで酔っぱらうし、、そうだった、6歳から隠れてタバコも吸っていたな~



尋常小学校は先生より勉強ができたからね、、もう教えることがないです、、この子は神童なんていわれてね、家で難しい小説を買ってもらい読んでいたり



他にすることがないから、習い事で剣道や柔道、馬術が一番おもしろかったよスピード出して走らせるとバイクみたいですげ~気持ちよかったな~、、



お花をいけたり、茶道だってそんなこと女学校にいってからしてたさ、、それからだよ、15~6歳の女子とや~と遊ぶことができたのは、、、あんたみたいに世間の皆様への貢献はな~もしてないね、、」



尚美

「それで、これから、、どうすんだよ、、何でもできるぞ、、金なら弟の結城に言えばあるからさ、、」




玲子

「やっぱな~、、バイクにも乗りて~し、車も乗りたかったな~、免許も取っていて親父に卒業したらスピードのでる車を買ってもらう予定だったのに、それに、おしゃれもしてみて~けど、あとさ~ホント、、娯楽がないよ、うん、この時代やっと西洋化で便利なものや美味しいものはあるけど、、芝居をみるか歌舞伎に相撲じゃな~つまらね~よ本当に~、



う~ん、、尚美と私でアイドルグループをプロデュースしてみてな~、、せめて、この時代の結婚と子供を育てるのが女の幸せみたいな、女子達にキュートな男子やワイルドな男子、それにダークな男子のグループなんかの推し活に夢中にさせたいね~、、、、、、、



でもさ~、、女は大変なんだよ、家事がさ、、うちは使用人がやっていたけど、、朝は早くおきて、水道がなければ水汲みから始まり、、薪のかまどでご飯を炊いて、、洗濯物はたらいと洗濯板だよ、、それから掃除、、どんだけ時間がかかるんだよ、、それが女の仕事だよ、、


終われば、、今度は昼の支度、、昼からは少し休んで風呂の焚きつけに4時から夕食の準備、、これに赤ん坊でもいたら、、、私だったら死んでしまうよ


幸子ちゃんも大変よね~、こんな、尚美の世話をして家事はどうしているの、えっ、米はとぐだけ、、後はボタンひとつでできる、、


洗濯も集めて入れるだけ、ボタン押して勝手に洗ってくれる、、掃除も掃除機でらくにできるし、、午後は飯くったら昼寝してかりんとう食いながらDVDを見ている。


それで給料もらっている、、、



なんじゃそれは~平成の主婦じゃね~か!~、それで金もらっているのか!、え~、、尚美どうしたって、、ガ~ン、、まじか、まじに平成が終わっちまったか、、、、2019年から令和てのになったのか、、もう私が知っている世界じゃなくなったのか、、、悲しいよ、、」



尚美

「そうだ!、車庫に死んだ親父がもらってきた古い昭和家電がいっぱいあるから、玲子の所で作って売ればいいじゃないか、、確か掃除機に冷蔵庫、洗濯機

電気がま、アイロン、、なんかあったな~、、結城が帰ってきたら相談するか

そうすれば女達の仕事も減って楽になるよ、、、そうだ、、そうしよう、女性達が楽になる家電製品だよ、、玲子、、つくろ~よ。」



こうして、玲子は尚美といっしょになって明治の若い女性たちに結婚しても楽になる家電製品の開発や、オシャレな洋服、お化粧で夢を与えていく仕事をいっしょにすることになった。



それと並行しながら結城も考えていた、この時代の娯楽を提供する町、浅草で自前の興行用ビルを建ていろいろな娯楽を提供すること、、玲子と尚美達が考える明治の男子アイドルもそれに入り芸能事務所を立ち上げる計画が進むことになったのである。、、、




1904年3月

鎌倉由比ヶ浜の結核患者保養所


私の名前は遠藤君江といいます、この保養所には18歳から入所しています今は22歳、、窓からはきれいな海が毎日見えて江の島も近くにみえます。



このあいだ18歳になったばかりの芳子ちゃんが亡くなりました、、芳子ちゃんは15歳でここにきてて3年の間、、妹のように可愛がっていました。しばらく前から喀血がひどくなり、高い熱もでて苦しんでいました、、



それが四日前の夜、「芳子~、、芳子~、、」と泣き叫ぶお母さんの声で目が覚めて、、、ああ~、、やっと芳子ちゃんもこれで楽になれたか~と思いながら布団の中で私は泣いていました。




私には佐野一郎さんという婚約者がいます、彼は2歳年上ですが家が近くて幼馴染です、、、小さい頃からお前は俺の嫁さんだと言ってくれて私が女学校の最終学年で婚約しました。



とってもうれしくて、、お友だちみんなに自慢しちゃいました、、、それが、よくなかったのか、、その夏に喀血しました、、、医者から初期の結核とその時に言われこの保養所に来ました。



一郎さんは絶対俺が直してやると言って通っていた、日帝大の工学部から医学部薬物学に学部変更をしてまた一年生から勉強をはじめました。



毎週休みには来てくれていろいろな話をしてくれます、、私の一番大好きな話は突然外科の医局にやってきたフリーランスの英国籍の女医さんのお話しです



偉そうにしている外科の先生達がその女医さんが廊下を歩いているとみんな立ち止まり御意とかいって挨拶して固まっているという、、どうしたらそうなるの、、おかしくて笑っちゃいました。



それだけでなく手術もうまくてその女医さんが手術した患者はみんな元気になって退院するといっていた。



女の人でもそんなことができるかと思ったら本当ビックリしました。でもその女医さんは軍医医学校に移ってしまい最近は見てないそうだ、、、一度会って見たかった、、、


彼は今、城島先生という恩師といしょに私の病気を治す薬がもうすぐできると言っていた忙しくなりこの2週間きていない、、、2日前から私は少し喀血が始まった、、熱も高くなり下がらない、、体がだるい、、



両親に先生がもって一か月と話していた、、、、、一郎さんに会いたい、、、最後のお別れを言わないと、、”ありがとう”、、、と





薬物部2号棟の研究室


城島先生

「上杉先生どうですか、、この結果ならもう治験でいけるんじゃないですか」


上杉先生

「そうだね、、これは、、いけるよ、、大丈夫だ!、、最初の患者が大事だ、慎重に選ばないといけないな、、」


城島先生

「尚美先生の教えがなければ、、こんな放線菌ほうせんきんから結核を治す薬ができるなんて思いませんよ、、すべて尚美先生のおかげです、、、」


上杉先生

「私だってそうさ、師匠のおかげで教授までなることが出来てペニシリンで多くの命を助けることができた、今や日本中でこの薬を使っている。、すごい人だよこの新薬ストレプトマイシンも師匠がいなければできなかった。感謝しかないよ。」


そうだ、、数ある放線菌ほうせんきんを培養してその養濾液から抽出した成分を調べてついに効能がある放線菌ほうせんきんを見つけその培養を重ねて改良して治療に使える所まできたのである、



すでに小動物での実験も何回もくりかし良好な結果のデータが集まり、、人への適正分量もわかりついに患者に投与しての治験ができるところまできたのだ



その最初の治験患者の選択について相談している上杉先生と城島先生、まわりには研究生や助手が取り囲みその話をきいていた。



そこへ突然、、涙を流しながら土下座する見習いの研究生がいた。




     


      ~~~~~~~~~~~~



初夏を迎えた鎌倉の由比ヶ浜、、気の早い子ども達が海辺で遊んでいた、、丘の上にある結核患者保養所の玄関から、うら若き清楚な女性が両親と一緒に出て来た。



この保養所ができて10年、初めて退所する患者だった、、玄関の近くにはその清楚な女性の若い婚約者が笑顔で彼女をまっていた。、、、、



それ以後この保養所で結核で亡くなる患者は激減したのである、、、



      ~~~~~~~~~~~~







この日世界で初めて結核患者がこの時代で生まれた新薬ストレプトマイシンによって完治したのである。









そんな世紀の薬を作らせた影の立役者、尚美はそんな事も知らず街角のイケてるメンズコンテスト、イケメンコンテストの入賞者達に囲まれて白鳥玲子といしょにへらへらしながら笑顔で記念撮影をしていたのである。






(まあ、、こいつらは、そんな女だよ、、)イケメンの弟、結城








つづく、、、、、







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― 新着の感想 ―
 結核なら吐血(消化器系)ではなく、喀血(呼吸器系)では? 血痰から始まって咳とともに鮮血が出ます。  消化液の影響で暗色に成りがちな吐血と違い絵になるので創作では多用されます。
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