第50話 コスメブランド”NAOMI”
いつも読んでいただいてありがとうございます。
それでは、、はじまり、、、はじまり、、、
1904年2月
日露戦争がはじまると日本海軍は、旅順港のロシア太平洋艦隊との決戦を望んでいたがロシア艦隊は根拠地である旅順港に逃げ込んでしまったのである。
ロシアからのやってくるバルチック艦隊と合流したら日本海軍は勝ち目がない。ゆえに日本海軍はバルチック艦隊がやってくるまでに旅順艦隊を無力化しなければならなかった。
そこで日本海軍が決行したのが、、旅順港閉塞作戦(これは港湾の入り口に大型船舶を沈没させて港内の船舶を内部に閉じ込める海上封鎖のことである。)
これは2月24日、3月27日、5月2日、、第1次から第3次までこの作戦は続けられたが失敗に終わった。
広瀬中佐この人は第2次閉塞作戦に参加した人ですが撤退時、ひとりの部下が見当たらず、沈み行く船で探しまくった。あきらめ撤収するボートに乗り込んださい直撃の砲弾がさく裂して戦死し、、そこには一片の肉の塊があるだけだった、、この小さな肉片を部下が持ち帰り この部下を思い最後まで探し無念のまま亡くなる逸話これが明治天皇と政府が知る事になり最高の栄誉を与えられて埋葬されたのである。この事で広瀬中佐は国民の胸に刻まれることになった。
旅順港閉塞作戦が失敗に終わり、海軍はこの旅順港の占領を陸軍に頼むことになった、、そこで編成されたのが乃木希典中将率いる第三軍が旅順攻略部隊として送られ壮絶な戦いとなった。
1904年1月
風間発動機の風間社長
結城君がこれから120年後の未来からやってきたと聞いた時は、こいつ何言ってんだろ~と思った、、”す、ま、ほ”と言っていたガラスの板に未来の車を見た時はビックリした、、道路に行列をつくるように、、いろいろな車がでかいのから小さいのまで、、18歳になると誰でも車の免許が取れると言っていた、田舎ではおなごも車を持っていてひとり一台が当たり前だと言っていたがほんとうか?、、とっても信じられない、、18歳になるうちの娘が車を運転している事になる、、、そんなバカな~、、、あんな田舎の小作人達が食べる事で精いっぱいなのに、、
一人に一台の車を持っているなんて、、でも、、そんな夢のような、、食べる事にも困らないで、誰でも車を乗り回せる時代が来るかと思ったら少しわくわくしてきた。
それに、何百人も乗れる飛行機が世界中を飛んでいて、誰でも世界中に行けると話していた。、確かに、あそこに写っていたでかい飛行機、あんなのが本当に空を飛べるのか、、、すごい、、すごすぎるだろ、、あれから言っていた通りライト兄弟が空を飛んだ新聞に書いてあった、、結城君の言った通りだった
いまは50ccの発動機を作っている、、これは単気筒発動機だ鋳鉄製のシリンダーにアルミ製のピストンでクランクが一回転するとピストンが上下一往復する、、このときの一往復で発動機の基本動作である「吸気⇒圧縮⇒爆発⇒排気」をする。これを繰り返し発動機は連続して回転動力をチェーンを通してタイヤに伝える、
この発動機付の自転車は構造が簡単なので整備が楽だ単気筒発動機なので溶けた鋳鉄を型に流しシリンダーが簡単に作れる、、 タップスターターのペダルが固く感じるまで踏み込み始動用のゼンマイが巻かれゼンマイの復元力でクランクが回りエンジンがかかる、この仕組みが素晴らしい、、発動機をスタートさせるためクランクでピストンを上下させるのをゼンマイの力でやるわけだから余計な部品が全くいらない、、彼はこれで2輪だけじゃなく3輪も作ってくれといった、それはすでに完成した、、
これならば2輪に乗れなくても安定している。、、それにフレームも少し伸ばしてうしろに荷台のようなスペースをつくったり、後に荷車を繋げられるような細工も作った、、どうせならとそこそこの大きさの純正の荷車も試しに作った見たデモンストレーションでつかえるだろう。
結城はここで将来はでかい鋳鉄のブロックから精密に4個の穴を開けて4気筒の発動機をつくれるようにしたいといっていた。
その為には硬い鋳鉄を削れる工作機械や、鏡のように精密に内部をしあげる研磨機、旋盤や鉄板を加工できるいろいろな機械が必要だといっていた。
米国や英国、独逸の最新工作機器の情報を集めていた、工場の場所はまだ余裕がある、、早く、そんな工作機械で発動機をつくってみたい、、その時が楽しみだ。
1904年1月
銀座のお店、3F事務所
壁に貼った制服を希望する女子校の一覧表を腕を組んで見ている尚美
「チエさん、、ずいぶん採用してもらったわね~、京都と大阪はやはり都会だから早く決まったけど、、地方はまだまだね~」
営業やり手の松原チエさん
「はい、やはり大手の百貨店があるところは動きも早いんですが、、そうじゃないところはまだまだ、、」
尚美
「そうね~、、こうなったらさ~、残りは端から攻めよう、、まず沖縄ね、、だれか~、沖縄いきたい人いる~」
あっち、、こっちから「ハイ、ハイハイ、ハイ、ハ~イ」、、、、
尚美
「フフフ~そうよね~、、みんなそんな遠くにいったことないもんね~、、そうだ比嘉タマエちゃん沖縄じゃなかった、あれ、、母校の私立沖縄高等女学校も希望している生徒さんからきてるじゃん、、、わかったわ~、、タマエちゃんみんなでいってきなさいよ~、、あ~売り子さんはだめよ~私と留守番よ、お店が休めないからね~、、あとはチエさんに任せるから、、みんなで制服のランウェイーでかわいく見せてきてね、、、」
「あっ、、そうだ、タマエちゃ~ん、、お土産は”ちんすこう”お願いね~、、大好きだから~」
比嘉タマエちゃん
「あの~、、その、チン、チンなんとかってなんですか~」
尚美
「やだ~はずかしい、ばかね~、、ちんちんじゃないわよ~、”ちんすこう”あれ?、、まだなかったけ、それじゃ紅いもタルトは、、えっ、知らない! 土産は泡盛しかないって、、い、、、い、いわよそれで、、」(やば~、まだなかったか~そりゃそっか最近まで琉球王国だったじゃん、、)
尚美
「チエさ~ん、城島先生から化粧品についてなんか言ってきた?、、まだ連絡がない、、ちょっ~となにしてんのかしら~、、電話、電話と、、」
「あっ、、城島先生ですか~、、尚美で~す、、化粧品はまだできませんか~えっ、、ほとんどできたんですか!、、やった~、、マスカラがまだできないですって、、かわりに墨汁の墨をぬれ~、、バカヤロ~! それじゃパンダになるだろ~が、、えっパンダってなんだって~、、木村屋の新作かって、、違うえ~!! 中国の熊だよ~、、見たことね~のかよ、、、胸に白く月の印がある熊しか知らない、、そりゃ~月の輪熊だよ、、もいいよ、、きりがねえや~あとから使えるか確認にいくよ、、あと、王子の医薬品工場に作り方指導してきてよ~お願いね~」とお礼もいわずガチャンと電話を切る尚美
松原チエさん
「尚美ねえさん、、化粧品を作っているんですか?、、それもここで売るんですか、、」
尚美
「そうよ、、コスメ、、女学生はコスメよ、、フフフ」
松原チエさん
「うっ、、尚美ねえさんその、”こ、す、め”とは何ですか?、、」
尚美
「えっ、、”コスメ”よ、、化粧品の総称コスメチックの略よ、、この言葉も流行らせるわよ~、、月刊誌”NAOMI”とも連携すんのよ~、、ターゲットは10代と20代よ、、そして、その子達が30代くらいになる10年後に大人の化粧品を作ってぜ~んぶの世代に使わせるのよ、、今この時代の着物をきているババ~なんか、、、おしろいと紅で十分よ、、フフフフ」
「そうだ、、ここに、リップグロスがあるから、、タマエちゃんぬってみる、そこに座って、、はい、、くちびるに、こうやって塗ると、、、出来上がり」
のぞき込む松原チエさん
「ギャ~、、尚美姉さんこれ~すごい、、すごいじゃないですか、、タマエちゃんのくちびるが艶と光沢でプルンプルンしてます~」
集まってきた女子社員
「わ~、、なになに、、こんなの初めて見た、、タマエちゃんきれい、、え~ 尚美ねえさ~ん 私達にもしてくださいよ~、、」
尚美
「これよ~これこれ、、これがコスメよ、女学生のお小遣いで買えるように、ちょっと量を少なめのミニサイズでいろん~なコスメを作るの4階が月刊誌”NAOMI”でしょ、5階が今つかってないからコスメブランド”NAOMI”を立ち上げるのよ、、、フフフフ、、これでファッション、、雑誌、、コスメ、、すべて女性のおしゃれを追及するのよ、、
モダンガールなんてくさい言い方つかちゃだめよ、、、イケてる女子とか、、ファッション女子とか、、オシャレな女子を売りにすんの~、、ところでさ~
チエさんの前に働いていた、高〇屋で化粧品にくわしいひといないかしら、、ぜひ、、うちでさ~、、いっしょにコスメの仕事しないかな~」
松原チエさん
「います、、いますよ、、化粧品関係につよい友人が、、えっ、、誘ってもいいですか、、この会社に入りたがっていたんですよ~喜びます。白鳥玲子て、いいます、、、とっても美人で~す。」
尚美
「えっ~~明治に、、白鳥、、玲子、、な~にそのこじゃれた名前、う~ん、、どこかで聞いたことが、、でも、その名前でもう合格だよ~」
(まったくもう、面接もしないで、名前だけで採用を決める姉さんでした。)英国にいる結城
つづく、、、、、
土曜日と日曜日の投稿はお休みです、、、、
月曜日に投稿します、、、