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第42話 八甲田山雪中行軍

いつも読んでいただいてありがとうございます。



それでは、、、はじまり、、、はじまり、、、


1902年2月のある日


大阪砲兵工廠

工廠長木村弥平


ここは軍で使用する大砲と砲弾を生産している。東京の砲兵工廠では主力小銃である三十年式歩兵銃と銃弾を生産している。 


4月から三十一年式速射砲の増産が決まった、それと砲弾もだ、その為に人員も4月から大幅に増える、、この砲は駐退機を装備しておらず発射の反動で砲車が後退してしまう欠点があった。このため、一度射撃を行い、その着弾地を元に微調整を行うことができずにいたが砲弾の性能や将兵の職人的射撃技術でカバーしている。口径は7.5 cm、射程は野砲が7,800 m、山砲が4,300 mとなっていた。 陸軍の主力砲だ、、、今の日本の風潮は戦争へと向かっている、、そうかついにロシアとの戦争になるのか、、私は増産のための人員配置を部下といっしょに考えた、、




1902年1月23日


第五連隊駐屯地


”尚美”

早朝、大隊長の山口鋠少佐による訓示を聞いて、神成文吉大尉が田代新湯一泊二日の行程の説明を聞いて210名の雪中行軍が始まった、、天候はどんよりとした不吉な雲が少しずつ北から風とともに流れて来た、まだ、雪は降ってこない、、、



先頭には”結城”がいる、、私たちの装備は未来の完璧な冬装備、、二人用テントにシュラフにヒートテックの下着すべて結城の持っている中で一番いいやつを私は使っている、、あいつは文句を言ったが、そんな事は知らん!、、相手にしない、、ところで、、あれ、、山口少佐、なんで持ってきた冬装備をきてないの、、、え~、、あれは陸軍の冬装備じゃん、、死んじゃうよ、、、


着任した時に二人で挨拶はしたけど、、そういえば、説明会の時きていなかったな~、、やばい、あのいやみな神成文吉の奴な~にも上官に伝えてないな~



あ~あ、どうなっても、知らないぞ~、、、



兵士は準備された防寒着をきて4人一組で交代しながらテントなどの器材が入ったソリを引いて行軍は始まった、、、、、順調に進んでいる。途中で少し早めの昼休憩となり、兵士はアルミの折りたたみシートを敷いて濡れないようにしながら駐屯地で渡されたお握りを食べていた。



私は手早く兵士達の様子を見て歩いた、「ちゃんと馬油は塗ってきたか~、、顔や耳にもちゃんと塗れよ~、、、」とアンポタン清水の所にきたら、、、”酒くさかった~”


「てめ~飲むなと言っただろ~」、、と叱ったら、、「親分すんません、どんな味かな~とちょっと飲んだらぶっ倒れてしまいました。、、、」

「あたりめ~だ、、アルコール度40°だぞ、、火がつくわ、、お湯で割って飲むだよ~、、みんなに言っておけよ~」



”結城”


昼食を済ませてまた行軍が始まった、30分ほど歩いているとビュ~ビュ~と風が強くなってきた、、雪も降り始めた、空を見ると北の方から真っ黒な雲がどんどん近づいてきた、、気温もそれに合わせて下がってきた、、士官と神成文吉大尉それに大隊長の山口鋠少佐が集まって協議している、、あ~これも史実通りだな~と見ていた。


大隊長の山口鋠少佐はブルブル震えている、もう帰ろうと言いはじめたが、、神成文吉大尉と士官達は猛反対、結局このまま押し切られて行軍は始まった。



赤い旗が見えてきた、、天候はすでに吹雪はじめた、、、風はさっきよりも激しい、、視界も今はまだ大丈夫だが、、このままいけばあぶない、、、


先頭を歩く兵士に合図を送った、、、、「大隊長!!、、道が、、道がわかりませ~ん、、完全に迷いました~、、」


周りの兵士も大声で騒ぐ、、「大変だ~、、道に迷っちまったぞ、、どうするんだ~、大変だ~」と、200名の兵士がどんどん騒ぐ、、(打合せ済みだ)


あせる士官とブルブル震えている大隊長の山口鋠少佐


そこへ、、、姉さんが登場、、、大声をだして「みんな~落ちつけ~落ちつくんだ!、、結城!、、どこか緊急野営できるとこはないの~」(フフフ、予定通り)



”結城”

「そこだ!、、その林に囲まれた、広い場所だ~、みんな~そこへ急げ~」、4人一組の兵士達は少し笑みを浮かべながらテントの器材を積んだソリを上手に引き予定していた宿営地に集まった、、そして訓練通り25組ずつ右、左に分かれコの字を描くように士官達の3組を端に行かせ角スコップで穴を掘り始めた、ブロックのように雪を切り出し両サイドに積み上げ風に飛ばされないように丈夫なテントからでているロープをアンカーに取付、簡易ハンマーで地面に打ち付けた。他にも補強ロープを用意してあり何本もテントの上に掛けて地面に打ち付けた。そして連絡壕のように各自のテントの前を掘りコの字型の通路もできた。



私と結城は端の方に谷口と清水が手伝いに来て立派な雪のブロックを積んだ穴を作ってくれたそこに結城の最新二人用のテントを張った


すでに周りは暗くなり、ビュウビュウと吹雪いていた、、荷物を置くと私と結城はソリで積んできた予備の防寒着をもって、山口大隊長のテントへ急いだ、

「失礼します」と、、声をかけ中に入ると神成文吉大尉と山口大隊長と士官が1名いた、、簡易コンロを使ってケルトでお湯を沸かしていた、、


「山口少佐これに着替えてください、、冬季装備の話しが上がってないようでしたので」、、といって姉は神成を睨んだ、、


ちっと手を見せてください、、、少し凍傷になりかけていますのでこの馬油塗りますよ~、、あと、、足の指も見せてください、、こちらも凍傷になりかけています。こっちも塗りますよ、、と言って姉さんは血行を良くするため手と足をマッサージをしてあげた、、、、少佐は少し涙くみながらありがとう、、ありがとう、、と感謝していた。


士官が作ったインスタントスープをフフ~しながらうまい、、うまいと飲んでいた、、そして士官に大佐の分として羊毛ハイネックセーターとネルシャツ2枚カシミヤの股引に長袖の下着それと靴下、と予備の着替え分や600ccのミニ湯たんぽやホ〇カイロ、真空パックされた毛布、食料などを渡した。


どんどん気温は下がってきた、完全に周りは真っ白ホワイトアウト状態、雪のブロックや周りの防風林のおかげでテントが飛ばされる様な事はなかった。


俺と姉さんはしばらく休んでから夕食時に、連絡壕に沿って兵士のテントを見て回った、、、10代の兵士が「親分、これ暖かいです、、」とモフモフの毛布にくるまって、簡易コンロを囲んであったかいインスタント食品を食べていた


「いいか~朝まではコンロの火をたやすなよ~順番で起きて火の番をしてそれと換気は必ずしろ~、ミニ湯たんぽも冷めたらすぐお湯を沸かして、入れ替えれよ~いいか~」


外はこんなにすごい嵐のなのに、テントの中はポッカポッカだ、、すでにウオッカのお湯割りとスルメをコンロであぶって一杯やっている兵士も大勢いた、、




そこには、、人間氷になる兵士は一人もいなかった、、、




神成文吉大尉


外はすごい嵐だ、吹雪で何も見えない、、山が、天気が、、こんなに変わるものなのか、、、この装備がなければいったいどうなっていたんだ、、なんであの二人はこの事を予測できたんだ、冬の山なんて大した事はないだろ~と思っていた、、だがこんな吹雪じゃどこをどう歩いているかなんて分からない、、この装備がなければみんな遭難して寒さで死んでいただろう、、、、彼らがこの装備を持って来てくれなければ俺も死んでいた、、、、しかし、この”ちきんらいす”はものすごくうまい、、こんなものどうやって作るんだ、、俺はこの製法が気になり袋をよく読んだ、、賞味期限2029年、、5年間の保証、えっ、、なに!、、これは、、2024年製造、、まさか、、まさか、、122年後、、どういうことだ。


あの二人は、、、、、そうか、、、そういう事か、フフフハハハ、、俺は、、わかった、、これで辻褄があう、こんな話は誰も信じないだろう、、、彼らに感謝しなければ、、この事は一生黙っていよう、、




”二人は我々を助けるために、、未来から来た事を”




翌日はさらにひどい天候だった、昼間なのに全く周りの様子が真白な吹雪でわからない、こんな天候のなか俺と姉さんはまた兵士達のテントを見て回った。



”尚美“

「お~い、、生きているか~、、ウェ~何だ、、酒くせ~、、おいおい、、これでは凍死でなく急性アルコール中毒で死んじまうじゃねえか~、、ほら外の雪かきでもしろ~体を動かせ、、あと、、ちゃんと飯をくえよ~、、水分も多めにとれ、、もう一晩とまるからな~」



次のテントを見ると「なんだ~この人数、、6人もいやがるなにしてんだ~、え~、、(チンコロ)で遊んでいる、、親分も遊ばないかって、、私がやったらお前らスッカラカンになるよ、、やりすぎんじゃねえぞ、、」



そんな感じでどのテントでも将棋や花札をしたりして時間をつぶしていた、、これじゃまるで学生の遠足じゃね~のと姉さんは笑っていた。


”結城”

次の日、、やっと風と雪はやんだ、まだ曇っているがもう大丈夫だ、、全員健康で元気いっぱいだ、テントを撤収してソリに乗せて行軍が始まった、新雪がすごくつもっていたが、少しでかい、かんじきが役に立ち前進することができた、、、俺は周りを見渡した、、田代新湯への道順をしめす赤い旗は見事に飛ばされていた、、、


まわりの景色も雪ですかっり様変わり、、先行して案内する兵士も雪をかき分け進んでいるが止まっては地図を見て進んでは地図を見るという具合、、



俺は時計を見た、、,、、そして、、遠~くから、「パ~ン」と猟銃の音が、、それを聞いた俺は「あっちだ」と指さし進みだした、、10分もするとまた「パ~ン」と猟銃の音が近くに聞こえた。そうだ俺はあのマタギの鎌田親子に頼んでいたんだ田代新湯から、、行軍3日目に教えてもらった宿営地に迎えにきてほしいと、、その際決めた時間に銃を撃ってくれと頼んでいた。こんなでかい山の中、、道なんかない、デカイ音をたてれば合流も簡単さ、、



こうして第五連隊八甲田山雪中行軍遭難事件という悲しい事件は起こらず無事終了した。






その後、、第五連隊が所属する陸軍第八師団は日露戦争で1905年1月黒溝台会戦に援軍として派遣されるがロシア第2軍に包囲され大きな被害をだした。

山口大隊長や神成文吉大尉は戦死、他の士官も戦死か負傷したが連隊では行軍に参加した200名の下士官や兵士は各中隊に分かれていたが奇跡のように全員無事だった。









戦闘が終わるとみんなはお守りを握り感謝をしていた、親分、、ありがとう、

、、、、、弾よけのサインのおかげです、、、








つづく、、、、、


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