第23話 サリバン尚美 初めてのOPに手を挙げる
調子に乗って次々投稿しています。誤字、脱字がありましたらご報告ください。
すぐ直します。 よろしくお願いします。
それでは、はじまり、はじまり、、、
"第二外科中村正忠教授(尚美たちの接待から1ヶ月後)"
医学部教授会議 会議室
私はあれから医学部教授会議にこの”水銀血圧計による血圧の目視計測による考察”を関係部署で協力してもらう為、五条商会の結城社長からも水銀血圧計と論文の資料を出席者全員分を用意してもらった。そして私はその血圧計の説明と使い方その数値から分かる疾病についての考察を自分が発見したように報告した。
各教授は目の前の血圧計のカフを腕に巻きゴム球でギュ、ギュ、ギュ、と膨らまし聴診器を耳のあてながらユ~クリ空気抜いて聞き耳を立てた、、、、どよめきが起きた、、誰かが拍手をした、、それから会議室いっぱいの拍手が起きた。医学部部長の山口佐久衛門部長(附属病院院長)が立ち上がり「中村教授よくやってくれた。これを世界で発表すれば我が日帝大医学部の名前も世界中が認めることになるぞ!これはさっそく病院でも採用しなさい患者のカルテに血圧欄をつくり最高値と最低値を書いて疾病と血圧の関係を調べるように、、、、、いや全国の病院と開業医にも各科教授から傘下の全部署にカルテの欄に血圧の数値を全部記入すよう緊急連絡するように、、、、、、、」それを聞いて、これまたとんでもない、、ことになってしまて私は倒れそうになった。本当に鶴の一声とはこの事だと思った、血圧研究会なんてぶっ飛んでしまった。日本中の医者が関わって、これからの患者カルテに記録が残ることになった、、、、、
(この時の決断が日本中に健康ブームを到来させ血圧の高い人は塩分を控えたり
運動をするようになった。日本人の平均寿命が少しだけ間違いなく上がったきっかけとなったのである)尚美パパ
会議が終わると部長の山口佐久衛門がそばに寄ってきて小声で聞いてきた。
「儂の最高血圧は185mmhg 下は134mmhgじゃがこの論文だと”高血圧緊急症と呼ばれる重篤な病気の可能性があります。”と書かれておるが、、最近そういえば胸が痛くなったり、、しびれや、、目もたまに悪くなるんじゃがこれに書いてる高血圧緊急症かも、、よう~知ているもんに診てもらえんじゃろか~~~」
(まちがいなくそうです。すぐに治療しないと死んじゃいます。)尚美パパ
私は血圧値180mmhg以上なんて高い血圧は血管が破裂するから生きていないし、世の中あるわけないと思っていたが、、、ここにいた、、、、
「御意!!」と私は思わず口走ってしまった。最近医局内で流行っていて私が下の者に用事を頼むと皆こう返事するものだからついでてしまった。
「御意!うちの専門医上杉と英国医師サリバン尚美両名を診察に伺わせます、御意!!」
「そうか、そうか、早よう診てもらいたいから、明日の朝、一番に頼む、」
「御意!」、また言ってしまった。癖になりそうな一言だと思った。誰が流行らせたのか知らないがまあ~この世界にあうな~と思った。
明日の朝二人に学部長室にいってもらうか、、、、、
他にも3名の教授が180mmhgをこえているから診てくれないかと泣きそうな顔で頼みこんできた。
この水銀血圧計はあたらめて凄いものだな~と思い世界外科学会ではどうなるかと想像するだけでドキ、ドキしてしまった。来年の6月が楽しみだ。
サリバン尚美が冗談で始めた”御意!”は1ヶ月後位には医学部全科で普通に使われていた。、、、、、恐るべしサリバン尚美
その後、五条商会では大変な騒ぎとなった、、、研究会を通して血圧計の販売をするつもりでいたのがこの会議のあと附属病院分で150台ほか全国の医院や病院もろもろから4~6千台の注文が舞い込んだ、また医師や看護婦の育成に使用するという事で全国の教育機関から毎年4-5百台の通期のオーダーも舞い込んだ。それに使い方を覚えた看護婦や医師しばらくして患者からも健康管理で病院から使いかたを教わり通期に渡り個人からの注文がつづいた、これが世界外科学会で発表されたらどうなるやらと俺と渋沢先生と商工会の人は笑ってもうけの金の事を思っていた。
4月1日
”上野に向かう最終列車”
”薬学部助教授室 城島洋介”
俺のひざの上には現金(3000万円)とペニシリンの製造に関する未来の書籍ほかにも医薬品の成分表あと薬品を扱うのに必要な設備の資料が入ったバックを大事に抱えている。向かいに座っている上杉は気持ちよく舟を漕ぎ始めた。
俺は未来にはあんな便利なものがあるのか驚いた、顕微鏡がそうだ、、、いま使っているのも最新だが単一筒の600倍だ。それが両眼で見ながらレボルバーと呼ばれる台座をまわすことで倍率が変更できる顕微鏡だ、なんと40倍~1500倍だぜ~基礎研究しているものにとって、夢のようなものだそして明るいとっても鮮明だ。もうこれを知ってしまうと今のものにぜったい戻れない、それを2台も寄贈するといってた。他にも液体成分を分離させる機器の遠心分離器、小型だが微生物培養物や細胞培養物を培養および維持するための機器であるインキュベーター液体を効率的に撹拌するために使用するマグネチックスターラー、試験管の底部を高速旋回して内容液を撹拌する実験器具試験管ミキサーあの医院で病気の診断の為に使っていたそうだがもう使わないといってた。あと資料でもらったクリーンベンチ作業台これがあれば空気を清浄にするための仕掛けが必要だが、雑菌が入らない環境ができる。この空気を清潔にろ過するフィルターを考えなければいけないが職人の栗さんに相談してみるか、、、、、
尚美先生は柑橘系にできるアオカビからこの資料の手順でペニシリンの成分は見つかると思うが、そこからが難しいといっていた。安定した効能を維持しそれを長期に保存できる結晶粉末にするには今の時代では難しいといっていた。
4年後に日本は大きな戦争に巻き込まれ、大勢の兵隊さんが死んでいくので何とか2年ぐらいで目途をたて、後の2年で大量生産の設備を整えたいと言っていた。そんなお国の一大事が起きるのであれば頭の切れる学生たちにも参加してもらい若い知恵で何かいい方法が浮かぶかも知れない。貧乏学生の為の給金もこの資金でたまげる程だしてほしいと弟さんが言っていた。たまげる程の給金を貰うと人は一生懸命働くそうだ。足りなくなればすぐ言ってくれまだまだ裏金はあるといっていた。
裏金?、、何の金かな?、、、、、、、
(城島先生~、、気にしない、、気にしない、、)冷や汗をかく結城パパ
後日研究室にこれらの器材を業者に運ばせてくるそうだ。そうだ、、2号棟に使ってない部屋があったな事務にいってあの部屋を使わせてもらおう、このペニシリンができれば誰も文句なんか言うもんか、、、、、、
今夜はこの資料をよみふけってしまうだろな~と思った。、、、、、
楽しみだ、、何が書いてあるのだろう。、、、、、、、
”結城”
夕方姉さんから連絡があり薬学部助教授室、城島洋介先生と上杉先生をつれてペニシリン製造について打ち合わせでこちらにくることになった。食事は途中ですましてくるから前に打ち合わせしていたものを用意しておいてくれといわれた。俺はさっちゃんが作ってくれた夕食もそこそこに、医院の待合にいろんな物を用意をした。
クリーンベンチの簡易図面、使ってない、卓上型遠心分離機、小型インキュベーター、マグネチックスターラー、試験管ミキサー、生物顕微鏡2台、それと試薬が各種、これらは医薬品をつくっていくうえでまちがいなく必要な物だ少し古いが医院で使っていたものだ。あとペニシリン製造に関わる書籍関係ほかに医薬品の成分表など俺にはわからないが用意した。それとクリーンベンチをつくるための当座の費用(1000万円)あと人を使ったりする人件費や必要なものの購入費用に(2000万円)梅毒の治療薬で稼いだ裏金、合計(3000万円)をバックにいれて準備した。
そして3人がやってきて、打ち合わせが始まった、、、、、、、、
二人が帰った後、姉さんはコップ酒をあおり独り言をづ~とつぶやいてた。
「名前はストライクなのに、、ほんとうにド、ストライク、、、ツーストライクまでいったのに、、、、顔は、、顔は大暴球、、、、コンチクショー!!」
”第二外科医局内、症例検討会” 4月ある日
”尚美”
ここに来て数日がたった、全然手術のお声がけがこない、、一応、上杉先生の助手という事になつているので外来を受け持つ事もないし。自分の患者なんか当然いない、ちょっと初日にやりすぎたな~と反省しながら、ぼけ~と今日の当番の先生の話しを聞いていた。
「次に内科からまわされて来た患者、陸奥 亮子さん、44歳 症状は腹痛、背部痛 発熱、吐き気、黄疸、急性胆石症の疑いです。胆のう摘出術を内科からお願いがきています。、どういたしましょうか、」
医局の中は静まりかえったみんな知っていた、彼女は超特急の上級国民だ、夫は陸奥 宗光明治時代を代表する政治家だ。本人は3年前の1897年に亡くなっているが、彼女は鹿鳴館の華と言われるほどとんでもない美人だ。そんな経歴もあるのか失敗は許されない、誰も手を挙げなかった。
私は前に座っていた医局長のかつじの左手を掴むと影武者のように彼の背に隠れながらこれでもか~と彼の左手を高々あげた、、、、、、
「ぼぐが、、ぼぐが、やります~~~がづじが~やります。」とダミ声で叫んだ~
皆は気づいていたが”ペケいち”が付くのを恐れ気づかない振りをした。
当番の先生も無視してそれでは高橋先生お願いします~~~と、、年老いたボスザルが化け猫に捕まってしまったか~というような顔をして言った。
医局長高橋勝次35歳第二外科エース医局のもと親分
、、、かたまって死んでいた、、、、
つづく