第19話 正岡子規
いつも読んでいただいてありがとうございます。
それでははじまり、はじまり。
”結城”
俺は”エドワード卿”といっしょに喫煙ルームにやってきた。そこで彼は自分の会社の腹心”ロバート・マイケル”と傘下にある会社の有力者3名を紹介してくれた。最後に”エドワード卿”の近い親戚にあたる人物、イギリス陸軍近衛師団所属で、いまは駐在武官として大使館勤めをしている”クリストファ・マーク少佐”を紹介してくれた。彼だけ元気のない握手をしてきた。俺は彼の唇にできた小さいしこり手にできた赤い斑点、あずき大のしこりをみて確信した、彼は梅毒にに罹患している。、、、、、
その事は後にまわしてさっそく商売の話しを切り出そうとしたら。”エドワード卿”がテーブルに置いてあった葉巻入れから1本取り出し、葉巻カットをだすと葉巻の先端の丸みを帯びたカーブを少し残すように平にカットした。そしてそれをくわえ至極の一服にマッチで火をつけようとした時 カチャ、”ボッ”と俺は葉巻の先端に火つけてあげた、、、、、
”エドワード卿”は少し驚いたような顔をしながら、咥えた葉巻を近づけて葉巻の先端を真っ赤にして吸い込みその肺を満たした煙をフ~~~と吹き出した。そして身を乗り出して、俺の右手のジ〇ポーを見て”それは何だ~~”と右手を出してきた。
俺は持ってきた5ヶのジ〇ポーを”クリストファ・マーク少佐”以外に渡した。
そして5人は商工会の人と同じ事をはじめた、”ボッ、ボッボッボッボッボッ、ボッボッボッボッボッボッ~~~~~~~~~~~
男の子は火に弱いのである。そして俺は”エドワード卿”に顔を向けていった。
それを売りたいと、、、、、、、、
言い値で売れた。無地は10万個、彫金はそれぞれ1万個の契約が取れた。手付金もだすと言ってくれた。そして見本品を物凄くほしがった。俺はまだ国際特許が取れてないので待ってくれと頼み申請書が通ったら5ヶ進呈するといったらものすごく喜んでくれた。
それとこちらも生産体制が整い納期がはっきりしたら正式な契約をかわすことにした。”エドワード卿”は他に言い値で買うから欧州の販売権利を各国ごとに交させてくれと頼んできた。俺は各国ごとに無駄な交渉もしなくていいのでWin Winだと思い右手を差し出した。
あとはこちらの準備しだいである。やっと五条商会の初売上が決まった。その後は男たちの趣味の話しとなり大いに盛り上がった。そして俺は日本に在住している英国人の男性だけが出入りできる紳士倶楽部の特別会員になれた。証のシルバーバッチをもらった。
英国人はこういう事が好きなのだ。、、そして宴もたけなわお開きとなった。俺は立ち上がり帰ろうとする”クリストファ・マーク少佐”を柱の陰に引っ張っていき、耳もとで直球を投げた「マーク、お前、梅毒だろ!」と彼は驚いた顔をして俺を見つめ頷いた。おれは彼にやさしく囁いた「簡単に直す飲み薬がある。100%完全になおる。どうする。」とそして詳しいことは明日の昼にTELくれとだけ言ってTEL番号のメモを彼のポケットにねじ込んだ。
俺はお開きを待ちわびていた、デービス・サラに子どもがさらわれるように俺の左手を両手でつかまれ客室に引っ張り込まれていった
「oh my god!」と俺は叫んだ!
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”尚美”
私はいま正岡子規先生の診察の為、列車に乗っている。弟の結城は戸籍や土地の件で別行動だ。私の恰好は王子の洋装店で手にいれた。ロングスカートにブラウスである。ヘレン・ケラーのサリバン先生の様なカッコである。
それと診療カバンを膝にのせて、たけの〇里を食べていた、向かいに座って私の顔をジ~ト見ている5~6歳の男の子と背負いかごにいっぱいの山菜を膝にのせたおかあさんが座っていた。あまりにジ~~ト見ているのでたけの〇里を上げようとしたら、「男だべか、おなごだべか?」とホザキ~~ヤガッタ!!となりに座っていたおかさんは素早く右手でこどもの頭を押さえ左手で口をふさいだ。
もう、、遅い
”コンチクショ~~”と思ったが、今日は1日サリバン先生のつもりで行こうと思いやさしい声で「ボク~これたべる~」とお菓子をふたりにあげた。こどもは「うんめ~~~」「すげ~~うんめ~」おかさんも「おいしいです。こんなおいしいお菓子はどこにうっているんですか、」と聞いてきたので「上野のアメヨコ」です。と平気であっけらか~~んと答えた。その通りだからだ、そしたらお母さんは「上野にある雨横屋さんですね、さがしてみます。」と言った。
”一生捜していろ~~”と思ったサリバン尚美だった。
上野駅を降りた、そこは私のしっている上野ではない、どこか知らない田舎の町にもみえた。道は舗装されていないが歩いていくと何となく知っている感覚を覚えた、西郷さんの銅像前までの広い道をあるいて行くとそこで上杉先生が大きく手を振っていた。
上杉先生に診察に伺う前に少し打ち合わせをしたいといって近くの茶屋に入った。かわいいおさげの女の子がお茶をもってきた上杉先生はお団子を二皿たのんでくれた。私はお茶を飲みながら上杉先生に治療の説明を始めた。
結核の治療は完治するまでたいへんな時間がかかると説明した。特に正岡先生は未来の知っている情報で推測すると完治するには4~5ヶ月はかかると私は見立てていた。毎日3~4時間かけてストレプトマイシンを1日1回静脈に点滴して 結核菌の増殖を抑えるイ〇ニア〇ド錠剤 感染症に効果があるク〇ビット錠剤 結核菌の代謝を妨げるピ〇ジ〇ミド錠剤などを毎日服用しなければならない。
その他に治療の効果を観察する為に、塗抹検査(ガラスに喀痰を塗りつけ、染色して顕微鏡で観察)やレントゲン撮影をしなければならい。一番心配なのは突然の容態変化だそれにはやはり近くにいなければいけない、つまり中途半端な治療はできない。家の医院の点滴室を病室に見立てて4~5ヶ月入院してもらわなければいけないということだ。
そうなるとこれが未来の治療方法で私は125年先の人間だという事を正岡先生に話さなければいけないと言って上杉先生の顔をみた。上杉先生は私の顔を見ながら明るい声で答えてくれた。
「何の心配もありませんよ。先生はもっともっと長生きしていろいろな経験をしたいと強く思っています。それが未来の治療だからといってビックリはすると思いますが、土下座をしてでも直してくださいとそして未来のお話しをいっぱい聴かせてほしいとせがむかもしれませんよ。私だって師匠に会えるかと思ったら昨日は眠れませんでしたから。」
そういって団子を食っていた。私も団子を食べたらものすごくうまかった、添加物がない本当の味に満足して二人で上根岸の貸家住むご自宅にむかった。
私はドキドキしながら上杉先生の後についてご自宅におじゃました。そしてゆっくり顔をあげるとイタ~イタイタイタいました。~~~正岡先生~~~~♡
と先生の顔を始めて見た。
教科書通りボーズ頭の眼光するどい正岡子規先生がそこは布団の上だが下に座いすをしいて座っていた。そこへ質素だが品のある着物に結い髪をした娘さんがお茶を持って来てくれた。正岡先生から妹の律さんを紹介してくれた。上杉先生が律さんもそこに座ってくださいと言って先生の横に座らせた。
正岡先生は笑いながら「なに、なに、そんなに大事な話かい、」と興味深々な笑顔で私達を見ていた。上杉先生も場を読み同じく笑顔で返した「そ~うなんですよ~~師匠、こんな面白い話は金をだしても聞かなければなりませんよ~~」いって茶化した。律さんも笑って聞いていた。そして「な~~んと驚かないでくださいね~~師匠、このお嬢さんさは125年後の未来からやってきました。~~~」
上杉先生が、、、、思い~きり、ぶち込んだ。
時間がちょとだけとまった。
正岡先生
「そりゃ~~面白い話だ~なにかいその嬢ちゃんが125年先の未来からきてこの私の死病でも治せるのかい?」
尚美
「はい、治しにきました。」
時間がまたちょとだけとまった。
律さん激おこ
「何!馬鹿な事いってんだよ~ふざんけんじゃないよ!!もう帰っておくれ」
尚美
「先生これを見てください、」
そういって私は高校の時に使っていた教科書を先生には渡した。
先生と律さんはその教科書をまじまじみた。
そこには先生の横顔の写真と
”正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈旧暦慶応3年9月17日〉- 1902年〈明治35年〉9月19日)、日本の俳人、歌人、国語学研究家。子規は筆名で、本名は正岡 常規幼名を處之助といい、後に升と改めた”
先生の死亡日時がはっきりと書かれていた。
二人は固まってしまった。
”尚美”
「自己紹介させて頂きます。私の名前は五条尚美といいます。医師をやっております。それは学校で使用している教科書というものです。
私達はその教科書で過去の偉人たちの業績を勉強をしております。先生は未来でその教科書に掲載されて日本中の子ども達が先生の事を知っています。そして私の父が先生と同じ愛媛松山市の高校をでて大変尊敬していました。その父に何の親孝行もできず1ヶ月前になくなりました。その後~~~~~~渋沢先生や上杉先生に話した天変地異の件~~~~~~~と言う事で弟と2人、こちらの上杉先生や渋沢先生にお世話になっております。
私は父が敬愛しておりました正岡先生のお命を救うことで父への親孝行と考えております。ぜひ私に先生の治療をさせてください。」
そう言ってわたしは頭を下げた。
「そうかい、そうかい、ところで尚美ちゃん、この教科書の写真にある私の顔だが、あたまのトサカはなんだい??」
(それは尚美が授業中にいたずらで書いた、モヒカン頭でやりをもったインディアになっていた。)
”クソ~やっちまったぜ”、サリバン尚美
それから渋沢先生のお宅でやったようにスマートフォンを見せたりして先生や律さんからも信用してもらった。その後に診察をさせてもらい、治療の説明をして3~4ヶ月医院に入院してもらうことを了解していただいた。後は医院の検査しだいだ!!
「尚美ちゃん、おいらのこの病気は本当に~~本当~に治るのかい、、」
「先生がわたしの言うことを聞いて、お薬を毎日に飲んでもらえれば必ずなおります。」
「そうかい、そうかい、本当に、本当に治るだね、、、」そう言って律さんと顔を見合わせていたその目は赤く充血していた、、、、、、
そして正岡子規先生は翌日の昼に上杉先生に付き添われて医院に入院して長期の治療を開始した。
これでいっしょに暮らす家族はさっちゃんも含めて4人になった。
つづく、、、
いつも読んでいただいてありがとうございます。
少し訂正についてご連絡いたします。今まで上杉先生は東京帝国大学医学部の所属となっておりました。
これは現在、国立のトップ大学のこの時代での本当の名称です。物語のなかでこれから医局のとんでもないことを創作していくうえでまずいと思い名称変更をいたします。 日本帝国大學医学部と、略して日帝大医学部に変更いたします。 それとお金の表記はすべて2025年の価値として( )で表記します。
よろしくお願いします。