第151話 ガリポリの戦いその5
上陸した海兵師団はその日の内にエジェアハトの街へと進撃したが、街にはオスマン兵は誰もいなかった。残った兵士はこの地域を守る第19師団司令部があるキリトバヒルにある要塞へと退却していた。
アンザック海岸では、Aussie兵が周辺を警護する中、日本の工兵隊が海にデカい杭を打ち込み、急ピッチで丈夫な桟橋を沖に向かって何か所も夜通し作っていた。
翌日の朝、完成した桟橋を日本陸軍最強の第七師団と第九師団がオーストラリア・ニュージーランド軍団”ANZAC”の三個師団を引き連れ、整備された砂浜を行進しながらオスマン帝国の首都コンスタンティノープルへと向かって侵攻を始めた。
日本軍の用意周到に驚いたのは随行する、英国中東司令部の情報部に所属するトーマス・エドワード・ロレンス中尉、現地の言葉に精通して軍事用の地図の作成に従事していたが、初めて中東に参戦する日本軍の為に、総司令官であるイアン・ハミルトン大将から任命されて、その語学力を活かし地域の状況にも詳しい彼が日本軍の為に、乃木司令官の中東派遣軍司令部に連絡係として同行していた。
ロレンス中尉が最初に驚いたのは、日本軍が使っていた軍事用の地図であったおおまかな等高線まで、そこには書かれておりどこが高台か低地かが読み取れオスマン軍の部隊配置状況が一目でわかるように記載されていたのだった。それがオスマン軍の移動があると次々と更新されていくのである。
日本人が中東には不慣れだと思い現地を知っているロレンス中尉、彼の持ってきた地図は古い観光用の地図をまとめたものだったので、恥ずかしくてとても日本軍には見せられるようなものではなかった。
オスマン帝国の軍の配置が、朝になると新しい情報が入り更新されていくのでどいう仕組みかなのか日本軍の情報局の秋山二郎大尉に尋ねた。
「秋山大尉殿、どうして貴国の軍は初めてくるこの中東のオスマン帝国のことがこんなによくわかるのでしょうか」
「十字軍の騎士の遠征から関わっている我々より、貴国のほうがとても詳しいです。」
「その地図の情報はいったい何処から入ってくるのでしょうか、我が国の参謀本部でも知っておりません、ぜひ教えて下さい。」
ローレンス中尉が頭をさげると秋山大尉は笑いながら
「半世紀前までは、日本は鎖国制度で他国の事は何も知りませんよ、まして欧州やこの中東の歴史は、ロレンス中尉から教えていただかないと何もわかりません。」
「ただ、我々が昔から学んだ古代中国の軍略家である孫子の兵法という戦略や戦術が書かれた書物があることはご存じですか?」
「いえ、知りません、あの革命が起こった清帝国の軍事に関する教本ですか?」
「そうです、2500年程昔になりますが、当時の戦略家が残した書物ですよ」
「そこには、戦争に関わる故事として『彼を知り己を知れば百戦殆からず』ということわざがあります。」
「これは情報の収集や敵の分析の大切さが大事だと言っています。」
「敵のことを知らずに味方のことだけを分かっている場合には勝ち負けの割合は半々になり」
「敵のことも味方のことも分かっていないようでは、ほぼ負けることを言っています。」
「この世界を巻き込む戦争が始まる少し前に、我が国の政府(結城)から世界的な状況から見て欧州で大きな戦いが始まると予想して、このアジアに近いオスマン帝国が参戦するのではないかと指示があり、我が国と戦う事になった場合に備えて、この国の軍事状況を至急調査するように指示があり調査をはじめました。」
「それをもとに、我が軍はこの国の侵攻作戦を考え立案をして、その準備を半年以上かけてきました。」
「他にも政府からの指示で、詳しくは言えませんが、この国は多民族なので虐げられているアラブ人やクルド人と接触して彼らを味方につけるよう工作しています。」
「オスマン軍やこの国の政府の要職につく彼らの仲間がいるので、軍の情報も入ってきます。それらの情報網から毎晩暗号無線で連絡が我々の情報局に入ってくるのでこのようにオスマン軍の配置がわかるのです。」
説明を聞いてローレンス中尉は衝撃を受けてしまった。
”彼の言う通りだ、我が英国の上層部はオスマン軍の事をバカにして『近代装備を持った一等国が、近代化の遅れた三流国のオスマン国に負けるはずはない』と考え何も策を考えずにこの国を侵攻しようと考えていたが、ダーダネルス海峡では戦艦を沈められ、ガリポリ半島先端のヘレス岬に、一週間前に上陸したはいいが、いっこうに前進できずにいるじゃないか”
”日本政府はオスマン帝国が参戦する前からこの国の軍事情報を調べていたなんて、それも侵攻作戦をすでに立案していたとは、なんということだ! 東洋のサムライ精神とはこのようなことか!"
”いったい、我が英国はオスマン軍の何を知っているんだ!”としきりに反省をしていた。
史実ではのちに『アラビアのロレンス』としてアラブ民族をまとめ上げ、オスマン軍に対してゲリラ戦を仕掛け歴史に名前を残す人物だったトーマス・エドワード・ロレンス中尉、日本の情報部がすでに政府(結城)の指示でアラブ人の独立を日本政府が支援をする事で協力を求めて、彼らからオスマン軍の情報の提供をしてもらっていた、その為、この世界で彼は歴史に残るような活動機会がないまま、戦争が終わると考古学者として人生をすごすのであった。
キリトバヒルにある要塞では、 第19師団司令部のエサト・パシャ師団長がブナカマ村から退却してきたベレン・サート中佐から報告を聞いていた。
「すでに、ブナカマ村近くの海岸から連合国が上陸をしております。」
「連中は強力な装甲車両や兵器を持っており、とても我々の装備では手に負えません!」
「偵察に向かった兵士の話しではエジェアハトの街も敵でいっぱいです。明日にもここへ攻めてきます。」
「くそ~、まずいな、、この要塞の主力の連隊兵士達はヘレン岬で英国兵と戦っているのにどうすればいいんだ!」とエサト・パシャ師団長が撤退してきた連隊長のレフェト・ベレ大佐の方に顔を向けると、それを察し忖度した連隊長の大佐は
「ここは、いったん司令部をダーダネルス海峡対岸のチャナッカレの街に移して、そこから指揮をしてはいかかでしょうか?」と提案すると
その言葉を待っていたかのように
「そうだ! そうしよう、、至急に荷物をまとめろ、司令部の要員はすぐにここから退去する準備をするんだ!」と臆病なエサト・パシャ師団長は副官に叫ぶと主要な参謀要員達は顔を見合わせて安堵するのだった。
こうして逃げ足の速いオスマン軍の第19師団司令部は、ヘレン岬で勇敢に英国兵と戦っている部隊と要塞を守る大隊を残して、その夜のうちに海峡の一番狭い1.3km先のアジア側にあるチャナッカレの街へと逃げ込んだ。そうなるともう統制のなくなった第19師団の兵士達は、上層部が逃げたことを知ると翌日には攻めてきた日本の海兵師団に何の抵抗もしないで、上級の士官が使者となり日本軍に降伏して要塞を明け渡したのである。
レムノス島の地中海遠征軍の総司令官であるイアン・ハミルトン大将は、乃木司令官からその報告を聞くと腰を抜かすほどビックリして
「乃木閣下、失礼ですが何か冗談でも言っているんですか、そちらの海兵隊は確か昨日、上陸したばかりではないでしょうか、」
「それが、どうして敵の拠点であるキリトバヒルの要塞を翌日に占拠するとは、、ジャパニーズジョークですか、」とちょっと不信感になって聞いてくるイアン・ハミルトン大将、、、
乃木閣下は落ち着いて
「へレス岬に上陸した閣下の英軍第29師団の脅威で、キリトバヒルの要塞の主力がそちらに向かい、まともな部隊が要塞にはおらなかったそうです。」
「それと、やはり上陸した英軍に恐れをなして師団司令部が対岸のチャナッカレの街に退去しており、容易に占拠出来ました。」
「すべて、英軍第29師団のおかげです。」と大人の回答をするのだった。
それによってヘレン岬で一週間も前に上陸して攻めあぐねていた英国第29師団にも、レムノス島の地中海遠征軍本部から、『オスマン軍の拠点キリトバヒル要塞を陥落させたので、その一帯のオスマン軍は降伏したから戦闘は中止するように!』と昼過ぎに連絡が入ってきたのである。
それを聞いた英国の士官達は驚いた、一週間も数十m先の塹壕で頑強に抵抗しているオスマン兵が降伏したなんて・・・・・・
「なに~なにをバカな事を言っているんだ!日本軍が上陸してわずか二日でこの一帯を守っていた敵の拠点を一掃しただと、」
「我が大英帝国の最強の兵士が上陸して一週間経っても、この海岸から動けないでいるのに、黄色いサルどもが昨日上陸して、この先のオスマン軍の拠点を陥落させただと!、、どうやったらそんな事ができるんだ!」と怒鳴っているのは英国第29師団、ウィリアム・ハイスランド師団長だった。
大勢の部下が死に物狂いの突撃で、何百人も死傷してやっと少しばかりの上陸地点を確保してオスマン軍と睨みあっていた、、ウィリアム・ハイスランド師団長はそれを信じられずに敵に一番近い塹壕に視察に行くと、敵の狙撃兵に注意して箱型のペリスコープの先端を出して敵の塹壕をしばらく見ていた。
すると大勢のオスマン兵が塹壕から這い出て来て、ヘルメットや軍服の腕に日の丸の国旗をつけた兵士達に小銃を付きつけられて、持っていた小銃を一ヶ所に捨てるように置くと武装解除されて連行されていくのである。
それに気が付いたのか、狙撃兵に怯えていた他の英国兵もみんな塹壕から顔をだしてその様子を見ていた。
そしてオスマン兵の武装解除に来ていた海兵隊第一大隊の鮫島剛志少佐が、塹壕から警戒をしながらビクビクしてこちらを見ている英国兵に気が付くと彼らにむかって笑顔で右手を大きく上げると手招きして
『Tommy、Come on~』(トミー、カモ~ン)と大きく叫んだ。
※イギリスの兵士を日本軍は「トミー (Tommy)」と呼んでいた。
リー・エンフィールド銃を構えて、塹壕から埃だらけの制帽を被り恐る恐る立ち上がり、次々と出てくるイギリス兵に対して、オスマン軍の塹壕近くにいた多くの日本兵は余裕で、笑顔で手を振って彼らを歓迎するのだった。
相手が味方の東洋人だと分かったイギリス兵もみんな笑顔になり、これで自殺のように敵の機関銃の前に突入しなくてもいいかと安堵し、喊声をあげて駆け寄り、盛んに握手をしたり相手の肩を叩いてお互いに喜ぶのだった。
塹壕では英国第29師団、ウィリアム・ハイスランド師団長と副官があきれた顔をして
「い、いったい、日本のサルはどうなってるんだ、、そんなに連中は強いのか・・・・」とその事実をまだ受け止められずにいたのである。
こうして半島に上陸した主力の陸軍第七師団と第九師団が、半島の付け根にある要衝のゲリポリの街の周辺を守る、オスマン軍の精鋭第9師団を各個撃破して陥落させると、半島とオスマン帝国の首都コンスタンティノープルへとつながる街道を、粉塵をあげながら兵員を満載した輸送トラックや八十四式自走トラック砲に一式装甲車が列をなして進んでいくのであった。
つづく、、、、




