第147話 ガリポリの戦い
エジプトとのカイロにある、英国中東司令部の会議室では対オスマン帝国作戦の「ダーダネルス海峡制圧作戦」について、英国海軍のサックヴィル・カーデン提督がデカい地図を広げて、日本軍の代表やオーストラリア・ニュージランド軍、フランス軍の海軍将校に自信をもって作戦の説明をしていた。
「この全長38マイル(61キロメートル)のダーダネルス海峡を戦艦の砲撃で制圧しながら、艦隊をマルマラ海まで進出させて、ボスポラス海峡のぞむコンスタンティノープル(現イスタンブール)を艦船の砲撃と上陸作戦で占拠しようとするものであります。」
「日本艦隊とフランス艦隊が協力してくれれば、このダーダネルス海峡の制圧も容易になるでしょう。」
サックヴィル・カーデン提督が提案した計画は、大規模な機雷掃海作戦をしながら、ダーダネルス海峡に沿って艦隊をゆっくりと前進させオスマン軍の沿岸要塞を組織的に破壊しコンスタンティノープルへと侵攻するものだった。
勝利を疑わないフランス海軍のエミール・ゲプラット提督と副官は頷きながら拍手をして賛同の意向をしめした。
日本の中東派遣部隊の最高責任者である乃木希典元帥や副官として乃木閣下に従う秋山真之少将、それに第二艦隊の加藤定吉長官が顔をしかめていた。
「それは、あまりにも無謀な作戦ではないですか、オスマン軍もこの「ダーダネルス海峡」が重要な海上ルートだと認識して両岸の高台に大砲を設置して待ち構えています。そこを戦艦や巡洋艦で38マイルも攻撃を受けながら通り抜ける事には賛成できませんよ。」と秋山少将が答えた。
それを聞いた英国の地中海遠征軍の総司令官であるイアン・ハミルトン大将が
「勇敢な日本軍はなにを怯えているのだ。相手はロシア人よりも低能なオスマン軍だぞ、彼らの大砲の弾が我々にあたるわけがない、それに、こちからの砲撃ですぐに連中は逃げ出すよ、臆病な連中ばかりで統率も取れてない連中ばかりだぞ、よけいな心配だ。」
「怯えてはおりません、無駄に兵を死なせたくないのです、我が国の情報部の調査では、すでにオスマン軍はこちらのコンスタンティノープルへの攻略作戦は知っているようで、ダーダネルス海峡全域に大量の機雷を敷設した他、海峡の両岸に多数の砲台を設置して海峡そのものを要塞化しているそうです。」
「相手が近代化の遅れたオスマン軍だと馬鹿にしてダーダネルス海峡に向かったら狭い海峡では、身動きもできないので、多くの艦艇を失います、ここは確実にガリポリ半島に陸軍を上陸させて、沿岸の要塞砲を潰しながらコンスタンティノープルへ進撃した方が確実です。」
「すでに、ガリポリ半島の上陸作戦は我が海兵隊を指揮する秋山真之少将が計画を立てました、そちらでぜひ検討して頂けないでしょうか。」と落ち着いて乃木希典元帥がダーダネルス海峡の艦隊突破が無謀だと説明した。
英国海軍のサックヴィル・カーデン提督が
「ここは旅順港のロシア軍の最新砲台と違って、オスマンの連中の大砲はひと昔前の装備で砲台も簡易陣地ですよ、いくら数をそろえていても、旧式とはいえ我々の弩級型戦艦の30.5cm砲を撃ち込めばひとたまりもないでしょう。」
「日本海軍の応援はなくても大丈夫ですから、我々がダーダネルス海峡のオスマン軍を蹴散らしますので、その後に輸送艦と御一緒してもらえばよろしいでしょ」と日本軍をバカにしたように話すと、フランス海軍のエミール・ゲプラット提督も
「そうですな、ここはバルチック艦隊のような敵艦隊が出てくるわけでもないので、オスマン軍の陸上砲台陣地へ一方的な砲撃で敵を黙らせる事ができそう
なので、わが国と英国艦隊で十分ですな、日本海軍には敵艦との戦いに備えてもらい、さっさとダーダネルス海峡を制圧しますか、ハハハハ」と日本人を嫌う提督もそれに賛同するのであった。
彼らの言い方にムカついた秋山真之少将が、言い返そうとした時、最高責任者である乃木希典元帥がそれに気が付き右手で静止すると
「わかりました。「ダーダネルス海峡制圧作戦」は英国とフランスとの連合艦隊で突破するという事でよろしいのですね」と最後の確認をすると地中海遠征軍の総司令官であるイアン・ハミルトン大将が
「そうだ! 日本海軍は我々がダーダネルス海峡を制圧したら、マルマラ海に上陸部隊を護衛しながら向かってくれればよろしい、あとは、ボスポラス海峡挟むコンスタンティノープルの占拠に日本の兵士を出してもらえばそれでよろしい」とまるでオスマン軍の事を、未開の部族のような人種と考えていとも簡単にダーダネルス海峡を制覇してコンスタンティノープルに攻め込む気でいた。
1915年2月19日、英仏連合艦隊はガリポリ半島南端及び対岸砲に対して砲撃。ついで25日に第2回攻撃、3月より断続的に対岸砲に対して攻撃をした。
3月18日の朝、攻撃は最高潮に達した連合艦隊は18隻の戦艦と巡洋艦、駆逐艦の隊列からなり、海峡幅が1マイル (1.6 km) のダーダネルス海峡の最も狭い地点への主攻撃を開始した。
掃海艇が海峡沿いに派遣されたが、しかしオスマン帝国守備隊の正確な砲撃を受けると、掃海艇が勝手に撤退をする事態になってしまった。そのため海峡の機雷が無傷のまま残されており、フランス海軍の戦艦ブーヴェが機雷に触れて2分で転覆し、乗組員718名のうちわずか75名しか助からなかった。続いて英国の戦艦イレジスティブルとインフレキシブも機雷にふれてイレジスティブルもすぐに沈没して、乗組員の大半は艦と運命をともにした。インフレキシブルは幾多の砲弾を受けて大きな損害を受け撤退した、さらに英国の戦艦オーシャンはイレジスティブルの乗組員の救出に派遣されたが、オスマン軍の沿岸砲を浴びて動けなくなり、最後は機雷に触れて最終的に沈没してしまったのである。
こうして英仏艦隊は戦艦3隻沈没を含む多数の艦船が大損害をこうむって「ダーダネルス海峡制圧作戦」は大失敗だった。
オスマン側はドイツ帝国から招いたオットー・フォン・ザンデルス中将を軍事顧問とする最精鋭の6個師団よりなる第5軍団が配置され、首都イスタンブールを南から防衛する上でも、非常に重要な地となったダーダネルス海峡全域に大量の機雷を敷設した他、海峡の両岸に多数の砲台を設置して海峡そのものを要塞化していた。
総司令官であるイアン・ハミルトン大将は今回の「ダーダネルス海峡制圧作戦」の失敗はサックヴィル・カーデン提督のせいにして、今回の対オスマン侵攻を強く進めている海軍大臣であったウィンストン・チャーチルと政府に報告をして、日本の情報部通りのオスマン軍防御陣地に大敗した、英国海軍のサックヴィル・カーデン提督は責任を取らされて辞任して後任には副官だったジョン・デ・ロベック提督に交代した。
英国中東司令部の会議室では、地中海遠征軍の総司令官であるイアン・ハミルトン大将と新任の英国海軍のジョン・デ・ロベック提督とフランス海軍のエミール・ゲプラット提督が立ち上がり、日本軍の総司令官である乃木希典元帥に謝罪してから会議を始めたのである。
「乃木閣下が言われたとおり、あのダーダネルス海峡は地獄への通り道だった両岸の高台に設けた砲兵陣地からは、正確に我々を狙って砲撃してきて、掃海艇も逃げ出し全く役に立たなかった。やはり、閣下の言う通りガリポリに上陸して陸軍の力であの陸上砲台を潰していかないと、あの海峡は通れない!」
「そちらの勧めるガリポリ上陸作戦を詳しく聞かせて下さい。」
こうして日本軍の立案した上陸作戦が採用されることになり、史実では上陸した海岸に橋頭堡を確保したがオスマン軍の反撃で塹壕戦となり、それ以上は進むことができずに、戦死負傷者で30万人近い損害を受けて撤退することになった悲惨なガリポリ作戦だったが、この世界では日本の中東派遣軍が活躍するのであった。
つづく、、、




