第146話 「ジャッカル」その4
ジェルメーヌ夫人に頼まれて田舎の領地を持つ子爵家のエヴァ夫人が、薄化粧をして粗末な服を着た黒髪の年若いインドシナ人の娘ホン・ミンを伴い、門番をしているフランス兵に、怪しまれないように、いつものように笑顔でお辞儀をしてアストリア・ホテルの中に連れ込んだ。
汚いものを見るようにエヴァ夫人がホールの待合室の椅子に、彼女を座らせると「あの診察室からもうすぐ、あなたと同じ黒髪の背の高い白衣を着た女医が出てくるから、お友だちの病気の事を話してその場所に連れていくのよ、そうすれば女医があなたのお友だちを治してくれるかもしれないから、一生懸命に頼みなさいよ。」そう教えるとインドシナ人の娘ホン・ミンはエヴァ夫人を見て頷き返した。
エヴァ夫人はジェルメーヌ夫人の依頼を無事にこなし、彼女をアストリア・ホテルのホールに残していつものように負傷兵の介護に向かった。椅子に座り診察室から出てくる尚美をホン・ミンはじ~と待っていた。
最初の冬の西部戦線では大きな戦いもなく、たまに気晴らしの敵の砲撃や狙撃で運ばれてくる兵士以外は、有力者の紹介状を持っくる患者を尚美達は診察していた。最後の患者の診察を終えて、部屋から白衣を着て出てきた尚美にホン・ミンは駆け寄っていった。
「オネガイデス、、トモダチ、グアイワルイ、、ミテクダサイ、、オネガイシマス」と尚美の腕を掴みホン・ミンはフランス人に騙されていっしょに、この国に連れてこられたグエン・リーの病気の治療をお願いした。
「え~、、あなた、だれなの、どうやってここに、、」と驚く尚美だったが、彼女の着ている物や容姿からすぐにアジア人だと思いその様子から、夜の店で働く女性だと気がついた。尚美の腕を掴み何度も頭を下げて、涙を流して友達を診察してくれと頼んでくる彼女に尚美は
「わかったわ、友達を診てあげるから、あなたの名前を教えてちょうだい」と優しく聞くと
「ワタシ、ナマエ、、ホン・ミン、、トモダチハ、グエン・リー」
「ホン・ミンちゃんと言うのね、それじゃミンちゃん、、リーさんの病気はどんな様子なの、」
「ネツガアル、、カラダニ、アカイシコリ、カミガヌケル、、、」
”やばい、まずい症状だわ~、すぐに治療してあげないと、、、”
「今、往診の準備をしてくるからすぐにそこに連れていきなさい!」そう言うと尚美は診察室に戻り、救急バックに必要な物を詰めこみコートを着て出てくると、ホン・ミンが道案内をして、いっしょにサン・ドニ通りにある売春宿へと向かった。
アストリア・ホテルの玄関では、通りかかった犬好きの御夫人にかまってもらい、愛嬌を振る舞いながら、そのデカい胸に前足の肉球でモミモミして尾っぽを振っていた赤虎は、急いで出て来た尚美とホン・ミンに気がつくと『あれ~、お姉ちゃんどこにいくの~、、おいらもつれてって~』とばかりに、その後をついていった。さらにその後を汐音や竜二と黒虎の忍び軍団が、カザマのワゴン車でゆっくりとつけていくのである。
サン・ドニ通りの大きな酒場に着き中にはいると、昼は誰もいない、デカいホールに女性達の面倒をみているインドシナ人の子分ホアン・ヴァンが尚美に気がつき、頭を下げて出てきた。
「具合の悪いこの子の友達はどこにいるのよ、すぐに部屋に案内しなさい」
尚美にそう言われてホアン・ヴァンが二階の部屋に案内するとそこには、粗末なベットに横たわり熱で汗をかき肩で息をして苦しむグエン・リーがそこにいた。
それを見て”どこの国でも同じね、弱い女達が悪い奴らに食い物にされて捨てられるのよ!”と思いながら、尚美は医療バックから聴診器を出して彼女を起こして彼女の胸の音を聞いてから、首元を触診してリンパ腺の腫れ具合や脱毛を見て、女性達の面倒をみているホアン・ヴァンにむかって
「なんでもっと早く病院へ連れていかないのよ~、彼女は梅毒よ、それもこうなるまで、、ほっとくなんて!」
「すぐに、治療します!」そう言って、医療バックから簡易処置キットを取り出し、それを広げてグエン・リーの上半身を裸にさせて、膿んでいる梅毒性バラ疹を丁寧に消毒液がついた綿球で消毒をしてから、小さく切ったガーゼに抗菌剤チューブからプチョとつけて次々貼っていった。正面も背中もたくさんできていたが見逃しがないかよく確認してバンソウコを上から張って下腹部や下肢にも見逃しがないようにくまなく処置した。
次にペニシリンの結晶剤が入ったバイアル瓶を取り出し、生理食塩水の入ったガラス瓶から適量をシリンジで吸い取ると、それをバイエル瓶に入れてペニシリンの結晶剤が溶解するよう、それを片手でよく振りそれを慎重にシリンジに吸い取ると寝かせたグエン・リーの腕の静脈に針をさして、ゆっくりと中身を注入していった。後ではホン・ミンとホアン・ヴァンがだまってそれを見ていた。
処置が終わると、補給品で送られてきた、結城が前線の兵士の為に開発した、この世界のアルミ缶で高カロリーが取れる”甘いお汁粉”が入った缶のキャップを開けて、弱っているグエン・リーに飲ませると「アマイ、、オイシイ、、」と言いながら渡した解熱剤といしょっに、ゆっくりと全部飲み干した。
尚美は振り返ると
「今は緊急処置として静脈に直接、お薬を入れたけど、次は毎食後この抗生物質を飲ませて下さい、それとこれは解熱剤です。」と言ってホアン・ヴァンに薬を渡した。
「ア、アリガトウゴザイマス、、ミンナ、コノ、ビョウキニカカリ、クルシンデ、シンデイッタ、コノ、ビョウキハ、ナオルノデスカ」
「治ります!すぐに元気になりますよ、栄養のあるものを彼女に食べさせてください、また様子を見にきますから、心配しないでください。」と笑顔で言うと
「ホントウデスカ!、アアアア~、、ヨカッタ~、アリガトウゴザイマス、アリガトウゴザイマ」と何度も尚美に感謝して、連れてこられた多くのインドシナの少女達がこの病気をうつされ苦しみながら死んで行くのを見ている事しかできなかったホアン・ヴァンは泣きながら尚美に感謝して、ある決意をしたのである。
その時、突然に部屋の扉が開きジェルメーヌ夫人とジャック・ムハンマドそれに二人の子分が入ってきた。
「まあ~、よかった、人気のある子だからまた稼がせる事ができるわ、でも先生には悪いけど、あなたは二度と診療は無理ね、、フフフフフ、明日の朝にはセーヌ河のどこかで浮かんでいるかしら、、新聞の記事が楽しみよ、、フフフ」
いきなりガラの悪い連中に囲まれ、嫌いなジェルメーヌ夫人に飛んでもない事を言われた尚美
「なによ~、それはどういう事~、、それにジェルメーヌのクソ婆~なんであんたが、ここにいるのよ。」
「ここは、私のお店よ、私は古くから続くモンモランシー家の跡取り娘、公爵家の血を引き継ぐ者よ、主人は跡継ぎの為の生まれのいい種馬よ、祖父の時代からパリの裏家業に関係しているの。ここにいる連中も私が植民地から拾ってきた優秀な番犬よ」
「あなたの事は許せないのよ!、私とサイモンとの関係を軍の上層部にバラしたでしょ、それで、サイモンは危険な戦場に送られて死んでしまったのよ」
「あなたが余計な事を言わなければ、サイモンは死ななくてもよかったのに~だから、あなたにも死んでもらうのよ、フフフフフ」
事情が分かった尚美は
「あ~、なんだそれは、クソ婆~のてめ~が年下の男に発情して勝手に不貞をしておきながら、公爵家との不倫の責任を取らされてあの、馬鹿サイモンは戦死したんだろう~よ、てめが~、みんな悪いんだよ!」と久しぶりのヤンキー尚美に変身して言い返す。
ヒグマとも立ち向かうその迫力と強い目力に、ジェルメーヌ夫人の番犬たちはちょっとビビりながら、それぞれ懐からナイフを取り出しそれを尚美に突き立てるようにしながら、ジェルメーヌ夫人の指示で一階の酒場のホールに降りて来た。
階段を降りると広いホールにはいつの間に入ったのか、赤虎と黒虎がそろって、鼻の上部分を引きつらせ鼻筋のあたりにしわを寄せ口を開け、鋭い犬歯や歯茎を見せて『てめら~、お姉ちゃんに、なんかしたら許さね~』と「ウーウー」という低い声での唸り、眉間が寄って危険な目つきで睨んでいた。
「ギャ~、ボス、この犬です!、ムールード兄貴が咬まれた犬です、あれ~二匹もいやがる。」と怯えるアキーム
隣にいた尚美は「あれ~、やっぱりアカとクロじゃないの、なんであんたら”オッパイ好きなゲス兄弟犬”がパリにいるのよ~」と呑気に言うと、
近くのテーブルの椅子に座っていた汐音が「尚美お姉さま、お久しぶりで~す、助けにきました大丈夫ですか~」と可愛く手を振っていた。
その酒場の隅には、すでに忍びの部下の望月虎之助や百地竜二によって、フロアーにいた足を咬まれた幹部のムールードと数人の部下達が後手に縛られ前かがみの姿勢になって、固まっていた。
「エ~、、汐音ちゃん、汐音ちゃんだよね~どうしてあなたもパリにいるのよ~」と驚く尚美
「てめら~、いったい何者だ~」とボスのジャック・ムハンマドが目を吊り上げて聞いてきた。
「あっ、尚美お姉さま、五条長官からお姉さまを守ってほしいと頼まれました~」と二人がボスのジャックの質問を無視すると、
「てめ~、聞いてんのかよ~」と再び聞いてくるジャック
「あんたこそ~、何をしているかわかっているの~、そこの尚美姉さんに手を出したら国際問題よ、わかってんの、私達は日本政府の公安警察よ、すぐに解放しなさいよ、て言うか、お姉さま~もうめんどくさいから、こいつら殺っちゃってもイイかな~ 」と言いながら、両刃のクナイを取り出し右手で見せつける汐音
すでに尚美にナイフを突き立てて脅している、ボスのジャック・ムハンマドと子分のアキームとハッサン、その後ろにジェルメーヌ夫人とインドシナ人の子分ホアン・ヴァンが立っていた。
二匹の忍犬を挟みお互い睨み合う、汐音達と尚美を人質にとる犯罪組織「ジャッカル」のメンバーであったが、ジェルメーヌ夫人が
「ごちゃ、ごちゃ、うるさいわね~、何が国際問題よ、この女さえ死んでしまえばどうでもいいわよ」と言いながら隠し持っていた2連の”モデル95・ダブル・デリンジャー”(手のひらに収まる程度の小ささで御夫人達の護身用拳銃)を取りだしそれを、尚美の頭に向けて撃鉄を上げて引き金を引こうとした。
それを見た瞬間、夫人の後ろに立っていたインドシナ人の子分ホアン・ヴァンが持っていたナイフを握りながら体ごと体重を乗せて、夫人の右上腹部を思いっきり刺したのである。
「ギャ~」と悲鳴を上げながらバランスを崩した夫人は、右手で持っていた”デリンジャー”の銃口の向きが変わり、ボスのジャックの顔の方向になった瞬間に引き金が引かれて、その額に41口径の弾丸が近距離から放たれた。
「バ~ン」とデカい拳銃の音と共に額を撃ち抜かれ白目になって即死したジャックと肝臓を刺されてその場に倒れて、傷口から血を出しているジェルメーヌ夫人、すぐに尚美が駆け寄り持っていたハンカチで傷口を押さえるが、すでに夫人は出血性のショック状態になりかけていて止血している尚美の腕を握り
「まだ、、死にたくない、、助けて、、て、、た、、助け、、て」と涙を流しながら顔面が蒼白になり、目を開けたまま光を失ったのである。
呆然と立っているとインドシナ人の子分ホアン・ヴァンは、婦人に向かって「イママデ、シンデイッタ、、オンナタチノ、、ウラミダ~、、」と尚美に聞かせるように話した。
こうして植民地から連れて来た女達を粗末に扱う夫人は刺され、ボスも死んでしまいあぜんと立ちすくんでいる子分のアキームとハッサンは汐音達に確保されると大人しくなり、夫人の両目を手で撫でるようにまぶたを閉じ両手を胸の前に組んで、尚美は立ち上がり両手で拝みながら、「馬鹿な女、、、」と言うと、後の事を汐音達に任せて”ゲス兄弟犬”に守られてアストリア・ホテルへ戻ったのである。
その後、フランス警察では公爵に気を使い「ジャッカル」での内輪揉めで起きた事件として処理され、ジェルメーヌ夫人は急な病で死亡したことになった。
刺したインドシナ人ホアン・ヴァンは裁判ですぐに処刑となり、他の子分は違法のアヘンの販売や数多くの犯罪で有罪となり刑務所に長期の留置になったのである。
事情を知っていて常識のあるジェルメーヌ夫人の夫は、植民地から連れてこられた女性達にそれなりの金を渡して祖国に帰したのであるが病気のグエン・リーは尚美が友人のホン・ミンと共に引取り病院でしっかりと病気を治して、日本から来た補給船に乗せて、帰国の途中にインドシナの故郷へと送り届けてもらったのである。
つづく、、、、




