第143話 「ジャッカル」
在英国日本国大使館はロンドン、バッキンガム宮殿にほど近いグロブナー・スクエア通り10番地にあり、ヴィクトリア様式の大きな建物を使用していた。
そこの1つのフロアを全て使い、日本海外遠征軍JEF(JapanExpeditionaryForce)の統合作戦司令本部が出来上がっていた。ここで欧州戦線の陸海軍の指揮を取る事になり、すでに優秀な幕僚達が日本から着任していた。
すでに連合艦隊の主力の第一艦隊は、イギリス・スコットランドのオークニー諸島に存在する入り江でメインランド島、ホイ島、バレイ島、サウス・ロンルドシー島などに囲まれ細い水路で外海とつながっている。外部からの侵入を防ぐことのできる天然の良港としイギリス海軍の主力艦隊の母港となっていた。日本の艦隊はそのスカパ・フローの静かな海に雄姿を浮かばせていた。
そして、それを率いてきた東郷平八郎元帥は、艦隊の司令長官加藤友三郎中将を伴い外務省の官僚とバッキンガム宮殿での歓迎セレモニーに出席して、国王のジョージ5世からの盛大な歓迎を受けていた。
当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を、アジアの小国である日本が一方的に破って世界の注目を集め、イギリス海軍が、ナポレオンの派遣したフランス・スペイン連合艦隊を、スペインのトラファルガー岬沖で破ったトラファルガーの海戦、この海戦の勝利によって、ナポレオンの英本土上陸の野望を粉砕した、ネルソン提督にちなんで「東洋のネルソン」と尊敬と敬愛を込めて呼ばれていた東郷元帥に会う為に、大勢の来賓がきていた。
国王の長男のエドワード王子や次男のジョージ、三男のヘンリー王子は顔を赤らめ興奮しながら東郷元帥と握手をして元帥本人から直接、バルチック艦隊との海戦の様子を胸を熱くして聞くのであった。
こうして日本は、思惑通りに日本海外遠征軍(JEF)が英国とフランス、ベルギーを救うために欧州にやってきた事を印象づけるセレモニーとなったのである。
一月の寒いパリの夜 執事の運転する車に乗ってジェルメーヌ夫人はパリの暗部であるサン・ドニ通りに来ていた。昼は閑散としているが、夜になると怪しいネオンが灯り、多くの女性が通りに立って、休暇でやってきた英国兵やフランス兵に声をかけ怪しい店に連れ込み、売春行為で稼いだりするような、その筋の夜の店ばかりの通りだった。そこの一軒の古いバーの前に止まり、車を降りて一人で外套のフードで顔を隠しながら店の中に入ると、薄暗い店の中にはアジア系やアフリカ系のその筋の人間が数人酒を飲んでいた。
カウンターの男が店に入ってきた夫人に気づき顔を向けると、彼女は一言「ジャックにモンモランシーが会いにきたと伝えて!」と言うと、カウンターの男は顔色を変えて駆け足で奥の部屋に向かった。
その後、出て来た男は夫人を奥の部屋に案内をすると、そこにはパリの裏社会でフランス植民地の少女や女を利用して売春や賭博、アヘンなどの薬物を扱う犯罪組織「ジャッカル」のリーダーである、ジャック・ムハンマドとその幹部がテーブルの奥で立ち上がり、ジェルメーヌ夫人に一礼したのである。そして自分が座っていた上座の椅子に夫人を座らせ、テーブルを挟んだ向かい側に立っていた。
モンモランシー公爵家はフランスの領地の他、海運業でも財をなし、フランスの植民地でもいろいろな事業に手を出していたのである。とくに最近は東南アジアのフランスの領地であるインドシナ植民地(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)に広大な土地を持っておりそこでケシ栽培をして、特産の米や香辛料と共に国際間におけるアヘンの統制が始まっても、自分の持ち船でアヘンの密売にも絡んでいたのである。
犯罪組織「ジャッカル」のリーダーであるジャック・ムハンマドは、褐色の肌色で母は娼婦をしていたフランス人で父親はアルジェリア人というハーフで小柄な体格だが、冷酷な顔を立ちをしている、頭は切れて人を殺す事もなんとも思わない残忍な性格であったがモンモランシー公爵がフランス領のアルジェリアの自分の領地で働いていたこの男を見出し、資金をだしてパリや欧州の裏社会にインドシナ産の上等なアヘンを売らせて汚い金を稼いでいたのだった。
アルジェリア人の自分をここまで信頼して、裏家業を任されているジャック・ムハンマドはモンモランシー公爵家には絶対の忠誠を誓っていたのである。
デカい体で凄みのある顔をした幹部のムールード・マムリは懸命に笑顔をつくり、きれいなグラスを持ってくると夫人の前に置き、そのグラスに店一番のワインを注いでいた。この店もジャック・ムハンマド達の為にモンモランシー公爵が用意した犯罪組織「ジャッカル」の隠れ家であった。
強面の男達を前に立たせて、優雅にワインを飲み始めた夫人に誰もしゃべらず夫人からの言葉を静かに待っていた。まさしくそれは貴族の飼い犬のようだった。
ワインを一口飲むとそのグラスを置いて「あなた達にお願いがあってここに来たのよ。」と言ってボスのジャック・ムハンマドにその妖艶な瞳で見つめて話し始めた。
「一人の日本人の女を殺して欲しいの、、あなた達も知っているでしょ、凱旋門近くのアストリア・ホテルで医療活動をしている女医よ!」
そう言って彼の前のテーブルに尚美の顔写真が載っていたフランスの新聞の切り抜きをおいて「この年増の女医を殺して! そうね、、日本とフランスの関係もあるから、あからさまな殺しはしないで、事故に見せかけてよ、冬によくある、あれよ、酔ってセーヌ川にでも落ちて溺れ死んだような朝刊の記事を期待しているわ、フフフ」
そう言って具体的な話しを始めると、ジャック・ムハンマド達とさらに仲間が集まりジェルメーヌ夫人と計画を練り始めた。そこにはフランス領インドシナから来ているアジア人もいたのである。
日本政府は以前から政務官の結城の案で、緊張した国際関係の中で外交交渉をしていくには相手国の情報はどんなことも知っておくべきだと主張して、外交下手な日本において、内閣に直結する海外の情報を集める専門機関の設置を数年前からはじめていた。
結城は公安の服部軍団と呼ばれる忍びの技を代々引き継ぎ、服部半蔵元政に忠誠を誓う一族の子弟で、特に優秀な人材を集めて、スパイの養成学校をつくり語学研修や各国の政治事情、暗殺術に人を騙して情報を取ったり、相手の組織に潜入や盗聴に破壊活動などを公安や陸軍の爆発物の専門家や外務省の海外事情に詳しい専門家の指導で時間をかけて育てていたのである。
すでに二期生までの数十人が英国やフランスに米国、イタリアなどの外務省の海外大使館の職員として派遣されていた。彼らは日本のインテリジェンス・エイジェンシー(Japan Intelligence Agency)世界の情報の収集、分析、評価を行い、国家の安全保障や政策決定に寄与する組織として、日本版CIAであり「JIA」と呼ばれ、1916年から本格的に欧州の西部戦線へ軍を派遣する日本の為にすでに活動を始めていた。
フランスのマルセイユの港に、日本の医療隊への補給物資と共に犬を二匹連れた、髪の長い切れ目の美しい女性が数人の男達と共に船から降りてきた。
その女性のそばに寄り添う、二匹の犬は日本では見た事がないようなデカい胸の外人女性を見ると、とんでもない勢いで尾っぽを振っていたのだった。
つづく、、、




