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第141話 「パリの篤志看護婦」


欧州の前線では戦争が始まって最初のクリスマスの季節がやってきた。 それまでには家に帰れると思っていた若い兵士達はすでに戦死しているか、厳しい塹壕の生活で、寒さに震えながらシラミと戦い”こんなはずじゃなかった。”と暖かい家族との団らんを思い出し”志願なんかしなければよかった。”と悔やんでいた。


凱旋門近くのアストリア・ホテルで医療活動をしている日本医療救援隊のほかにパリには、英国政府派遣の医療隊や米国の医療隊、それにロスチャイルド家支援の病院が開院して戦傷者の治療にあたっていたのである。


日本医療隊はすべての機器、薬品、包帯材料、病衣などは我が国の自前で揃えて患者の食事だけはこの国の食材と調理師に任せていた、その費用も日本政府が払っていたのである。尚美が育てた優秀な外科医達による手術は間断なく行われ、歩行可能なものは仏兵を付けて中庭を散歩させ、1週間に1回は家族に病状を知らせた。演芸会、日本のカラオケコンサートなどの娯楽も行われ看護婦や職員の応接の丁寧さ優しさで病院の世評は鰻登りであった。


戦傷兵の増加と入院患者の残留希望の増加もあって、退院が滞って困惑する事態も発生したのである。取材にきた地元と外国特派員の、すべての外国人が我が国の病院を賞賛した。「一切の設備は日本で準備され、豊富で良く整頓されている。小さな日本人看護婦は自分より倍以上大きな負傷兵を起こし、包帯法は見事なもので実に器用である」と「職員や看護婦は患者の感情を理解し、愛嬌のある微笑で迅速に丁寧に礼儀をわきまえて事に当たる。」「梱包 の空き箱を工夫して棚に重ねて利用し、薬瓶には日本語とラテン語の名札を付け理解し易くしている。」「すごいのは日本の医療技術はすべてヨーロッパを凌駕している事だった。」と賞賛の記事をのせたのである。これにより戦傷者以 外の市民の受診希望が殺到し始め、フランス政府の有力者の紹介状持参者まで来院する有様であった。



「サリバン先生、ちょっと聞いてくださいよ!」といきなり、尚美の部屋に入ってきたのは日帝大附属病院の手術室に勤務していた中島婦長だった。


彼女は今回の医療救援隊に派遣された50名の看護婦を取りまとめる看護部長として、尚美がお願いしてきてもらったのである。他にも手術場の梅ちゃんや千代さんも参加していた。


「エ~、看護部長どうしたの、そんな慌てて、」と何があったのかと思う尚美、「あの一癖も二癖もある御貴族様の婦人団体「篤志 (トクシ)看護婦」達ですよ、看護資格もないくせに、白い看護服を身に着けて、看護助手の真似事だけしてればいいのに!」と怒った顔でいいだした。


「今度は何をしたのよ! あのモンモランシー公爵夫人のジェルメーヌのクソ婆~!」と尚美はいつも問題を起こす上流階級夫人達、戦争で夜会や舞踏会もない今は病院に来て働いている、とでも言わなければ、貴族の交際社会で幅がきかないのである。白い看護服を身に着けて働くフランス人女性「篤志看護婦」いわゆる医療ボランティアである。


それは当時「男子の義勇兵」に相当する意味があり、パリの 社交界に属する上流階級の女性達にとって祖国に協力する一種のステータスとなっていた。


モンモランシー公爵のジェルメーヌ夫人を筆頭にラ・ファイエット伯爵のマドレーヌ夫人それとホルシュタイン男爵のスタール夫人らが、この日本医療隊が開業した時に訪れ、すっかり気に入り社交界の仲間を引き連れ、毎日のように海外医療隊では一番人気の日本医療隊の施設へ手伝いに来るのであった。 病院はすっかり彼女たちの社交の場となってきていた。



「数日前に腹部を負傷した兵士の手術をして、大腸のキズを縫い合わせて、水分だけの食事制限をして腸の傷の回復を待っていたのに、”食事も出なくてかわいそう~”と、言いながらこっそり患者に食べ物を渡していたんですよ!」と事情を説明する看護部長


「ギャ~、なんですって~ そ、そ、それでその患者どうなったのよ~」と患者の心配をする尚美に「そのあと昨日の夜に腹痛で苦しみだし、腸閉そくを引き起こしてまた開腹手術ですよ、患者に事情を聞いたら”腹が減って、我慢できなくて差し入れの菓子を食べた”と白状しまして、”あれほど食べるなと、言われていて食べた自分が一番悪いんです。”と反省しているんですが、誰が差し入れしたか、名前を言わないんですよ!」


「ふん!、ぜったい、あのジェルメーヌのクソ婆~たちですよ!、サリバン先生あの御貴族様の団体なんとか出禁にしてくださいよ~」とはげしい息づかいをしながらまくし立てていた。



温厚で度胸のある元手術場の中島婦長をここまでいらだたせる上流階級夫人達、「篤志看護婦」として協力を申し入れてきた最初の時は大人しくベットメーキングや患者の車椅子を押して散歩に連れて行ったり病人を慰めるとか、食べ物を運んで行って食べさせてやるとかいう手伝いは誠にありがたかったが患者をいじるとか、医者がいるのにもっと薬を飲ました方がいいとか、他の治療法はないのかと、一人で騒ぎ立てたりして、むしろ邪魔になる人がでてきたのである。


それだけでなく、若い兵士が大勢負傷して運ばれてくるので、自分の好みのタイプの患者が来るとつきっきりになり、ベタベタするのだった、今回もそれが原因だった。お気に入りの若い患者が食事もとれないので気を引こうと菓子を差し入れしたのだった。


尚美達は、駐フランス日本大使館の石井菊次郎大使に苦情を申し入れて、「篤志看護婦」をもう出入り禁止にしようとしたが、「事情はわかったが、戦時のことでもあり、せっかく手伝いに来てくれているのに、すげなく断るのも…」と煮え切らない返事だった。つまりこの国の上層部とつながる上流階級の婦人たちと問題を起こしたくなかったのである。


不審者が入らないようにアストリア・ホテルの出入り口で受付をしているフランス兵士にも注意したが、上流階級の「篤志看護婦」が三十 数人いるようだが、次々と友人だの親類だのを連れてきて、正確な数はわからないのである、身分があるだけに、新しい人を連れてきても受付の兵隊は強く言えないのである。こうして日本の医療救援隊の病院は「篤志看護婦」の御貴族夫人達の男あさりと第二の社交場と化してきたのであった。


だがこれらの婦人たちの中には、本当に祖国の為に戦って負傷した兵士を心配して懸命に奉仕する夫人グループもいた。資産家ナルボンヌのアンヌ夫人それに裕福な商家でマツァリーノ氏のジュリエッタ夫人など、普通の家で育った夫人のグループは、英国のナイチンゲールの看護精神に感銘して人の嫌がる看護助手の手伝いをしていた。


御貴族様専用の「篤志看護婦」休憩室、そこのテーブルの上座には厚化粧して金をかけたこじゃれた白い看護服を着た、胸のデカい茶髪のモンモランシー公爵のジェルメーヌ夫人が、ホルシュタイン男爵のスタール夫人が注いでくれたワインを飲みながら「フフフ~、誰なの、508号室の可愛い兵士にお菓子を上げたのは、おかげであのうるさい年増女医と看護部長がまた、メスざるのようにギャーギャー文句を言ってるわよ」


「す、、すみませ~ん、私です、前から、あの子を見ていて口にできるのは毎日水だけで、、栄養は点滴からしか取れないとお腹を空かしていて、ついかわいそうになって、、、」と言ってきたのはジェルメーヌ夫人のご機嫌を取ろうとする一人で、田舎の領地を持つ子爵家のエヴァ夫人


「しょうがないわね~、フフフな~に、あなた、あんな年下の子がタイプなのまあ、あの子も誰からもらったか言わなかったから良かったけど、気をつけなさいよ~」「それにみんなもよ~、毎日戦争の話しばかりで派手な夜会や舞踏会ができないし、ここならいろんな男達がいるから楽しめるのよ、あの年増女医につけこまれないようにうまくやるのよ!」そう言って日本医療隊のアストリア・ホテルでエロい事を企む御貴族「篤志看護婦」たちだった。




こうして尚美たちの誠意による医療行為に対して、自分達の暇つぶしで若い男をイジリに楽しみでやってくる、御貴族熟女夫人たちが邪魔をしてくるのだった。







つづく、、、、




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