第138話 護衛艦隊その3
日本艦隊の右舷から迫っていたゲーニック・ヘルジンク大尉が指揮するU-21の艦橋では、ヘルジンク艦長が双眼鏡でU-14号のルックナー大尉が、飛行機の攻撃で撃沈されるのをくちびるを噛みしめて見ていた。「くそ~、ルックナーの艦がやられた、あれは、偵察機ではないぞ!」そう言っていたら、前方を監視していた副官が「艦長、左舷11時から日本の駆逐艦がこちら向かってきます!」と報告した。
すばやく双眼鏡で見直した艦長は、こちらに向かう駆逐艦を見つけると「くそ~、見つかってしまったか、艦内に戻れ、緊急潜航だ!」そう言って他の士官と共に素早くハッチに滑り込み、ハンドルを回して閉鎖した。指令所に戻ったヘルジンク艦長は、日本の飛行機の対潜兵器を見て「深度50mまでもぐれ」と潜水による水圧に耐える耐圧船殻規定のぎりぎりまでの深度を指示した。(この当時のUボートは30~50mが限界深度だった。)
U-21号に近づくのは、対潜仕様の磯風型駆逐艦の「雪風」だった。全長約100m カザマ製重油燃焼蒸気タービン機関で、最大速力36ノット(時速63km)12cm単装砲4門艦首近くに対潜用に開発された近未来兵器ヘッジホッグを備え、これは単純に海中投下するそれまでの対潜爆雷とは異なり、発射器より、一度に24個の弾体を投射する、多弾散布型の前投式対潜兵器で、事前の深度調定が必要な爆雷とは異なり接触起爆型のため深度に制約が無く、最大射程は200m程である一発でも命中すれば他の弾頭も誘爆する、24個の弾体は0.2秒の間隔で2発ずつ発射され、直径約40mの円形の範囲に着水して沈降する、初期の対潜迫撃砲というべきものである。起爆も爆雷とは異なり、水圧ではなく接触によって行われる為、撃沈の有無がすぐにわかった。
最大速度で向かっていた「雪風」の艦橋脇の見張り台から、救命胴衣とヘルメットを被った士官が双眼鏡を覗きながら「敵は潜航します!」と艦長の三原 元一少佐に伝えた。それを聞いた三原艦長は近未来技術のアクティブソナーを扱う下士官のそばにいって、「敵の潜水艦の位置を探れ!」と指示しその音をスピーカーに流した。
「カーン、カーン・・ピーン・・カーン、カーン・・ピーン、」と前方へ水中探信儀の音波を放つと「ピーン」と言う高い音で敵潜水艦から、はね返り戻ってくる音の方向から、距離もわかり、下士官は「反応あり、いました! 距離800m」と報告すると「よ~し、そのままカウントしろ距離100mになったら対潜迫撃砲を撃て!」と副官に指示した。
深度計を見ていたヘルジンク艦長は、限界深度50mが近づくと「水平に戻せ」と指示をした、各部署を仕切る耐圧扉を閉めさせ被害に備え「無音潜航!」とスクリューを止めて惰性で航行をはじめた。ヘッドフォンを両耳につけてたソナー員の下士官が「敵艦こちらに近づいてきます!」と艦長に知らせた。
しばらくすると聞きなれない音が艦内に響いた、「カ~ン、カ~ン、カ~ン」と不気味な音に、ベテランのヘルジンク艦長は”これはひょっとして音響探査ではないか?”と不安に思いはじめた、”まさか、西洋の技術のサル真似しか知らない、日本人がまだ理論しかわからない音波について実用化する科学技術をもっているだと!” 、、”絶対にそんな事はない、世界一の最新技術国は我がドイツだけだ!”と思っていたら、ソナー員の下士官が「艦の頭上で多数の着水音!」と叫んだ。それが最後のやりとりだった。
駆逐艦「雪風」の後方100mでは、連続した爆発で水柱が上がっていた。船のスピードを落として、艦橋脇の見張り台から双眼鏡で様子を見ていた三原艦長は演習通りとはいえ、海面に浮かび上がる重油の黒い油膜に生活用品の残骸が浮かび上がり漂っているのを見て、これが戦争だと思い静かに両手を合わせて黙とうをするのだった。
日本艦隊の左舷から迫っていたU-15号のラインハルト・シェア大尉の艦も同じように磯風型駆逐艦の「浜風」によって近未来兵器ヘッジホッグによって沈められていた。こうして、三隻のUボートを沈めて無事にアデン湾を抜けて紅海に入りエジプトのアレクサンドリア港に向かう日本の中東派遣軍だった。
スマトラ島から1000km離れたインド洋に浮かぶ英国領のココス島、ドイツ海軍軽巡洋艦「ケーニヒスベルク」と「エムデン」それにU-9号潜水艦を指揮するオットー・ヴェディゲン大尉とU-18号フランツ・ヒッパー大尉はANZAC軍団の輸送艦隊が、このココス島の近くの通商航路を通過すると推測していた。
それはオーストラリアのドイツ人協力者からの連絡で、艦隊の情報がきており、この海域を通過するタイミングで待ち伏せをしていて輸送艦隊が近づくころ、ドイツ海軍軽巡洋艦「ケーニヒスベルク」と「エムデン」が早朝に、ココス島に近づき英国の電信所や住宅街に砲撃を浴びせたのである、突然のドイツ艦からの砲撃を受けた英国領のココス島、英国守備隊は「二隻のドイツ戦闘艦から、襲撃を受けている至急救援頼む!」緊急電報を発信した。
この時、ANZAC軍団の輸送艦隊はココス島から80km、時間にして2時間の地点を航行中であった。午前6時55分英国巡洋艦「ミノトーア」がそれを受信した。
すぐに、救援に向かうと決断した艦長のアルバート・ホーズ大佐は、追従するオーストラリア巡洋艦「シドニー」「メルボルン」「ブリスベン」と共にココス島の沖にいるドイツ海軍の軽巡洋艦を攻撃する為、輸送艦隊から離脱する事を巡洋戦艦「伊吹」の加藤寛治艦長に電信で連絡してきた、ANZAC軍団の輸送艦隊の護衛を日本艦隊に任せたのである。
これが、ドイツ海軍の狙いだった、輸送艦隊から英国側護衛艦を引っ張り出しその隙に、Uボートで輸送艦に雷撃をするとういう作戦を立てていた。日本艦隊の護衛は知ってはいたが、潜水艦戦術に秀でたヴェディゲン大尉は水中での戦いはこちらが上だと思い、日本海軍を相手にしていなかった。
ドイツ海軍の立てた作戦にはまり、ココス島の救援に全速で向かうホーズ大佐の救援艦隊、その隙をついて輸送艦隊に、気が付いたU-9号潜水艦のヴェディゲン大尉とU-18号ヒッパー大尉はゆっくりと獲物を狙う、狼のように両翼から挟みこむよう近づいていた。
ケーニヒスベルク級型軽巡洋艦 の一番艦である「ケーニヒスベルク」排水量は3,390トン最大速度23ノット(42.6 km/h)、単座砲架に10門の10.5 cm SK L/40砲を装備していた。2門は船首楼の前方に並んで配置され、6門は船体中央に、3門は両側に、2門は船尾に並んで配置されていた。砲の最大仰角は30度で、12,700メートルまでの目標を攻撃することができた。もう一隻はドレスデン級型巡洋艦の1隻の「エムデン」排水量は3,450トン最大速力24.0ノット、装備も同じく10門の10.5 cm SK L/40砲を装備していた。
周囲の海域を警戒していたヘルマン・クリーベル艦長の「ケーニヒスベルク」が、近づく英国と豪州の4隻の巡洋艦に気がついた。すぐに「エムデン」のクルト・ジーヴェルト艦長に発光信号機で知らせて輸送艦隊から、さらに引き離そうとココス島から全速で離れていった。
オーストラリア海軍造船所で、竣工したチャタム級型軽巡洋艦の「シドニー」「メルボルン」「ブリスベン」の3姉妹艦、最新艦で排水量5,400トン最大速度25ノット(46.3 km/h)15.2cm(45口径)単装速射砲8基で、どれもがドイツ艦を上わまる性能だった。
先頭をいくアルバート・ホーズ艦長の英国巡洋艦「ミノトーア」はウェイマス級型巡洋艦の一隻で排水量5,250トン、最大速度は24ノット(44.6 km/h) Mk XI 15.2cm(50口径)単装速射砲8基を装備していたが、竣工から5年以上経過した艦艇であった。
少しづつドイツ艦との距離を縮めていく、英国と豪州の4隻の巡洋艦であったが、突然に英国巡洋艦「ミノトーア」の速度が落ち始めた、艦橋にいたホーズ艦長は伝声管で機関室のトマス・マシューズ機関長に「どうした、速力が落ちているぞ!」と聞くと機関長のマシューズが泣きそうな声で「ボ、ボ、ボイラーが一基、圧力が落ちています、燃料管に不具合が起きたようで~す」と大声で返してきた。
パーソンズ・マリン・スチーム社のパーソンズ式蒸気タービンエンジンの二基あるうち、一基のボイラーに送る重油燃料管が、あろうことか整備不良で詰まってしまったのだ。これにより、速度が約半分の12ノット(22 km/h)以下に落ちてしまい、このままではノロマな標的艦になってしまうピンチだった。
ホーズ艦長は素早く判断して、豪州の最新艦である「シドニー」「メルボルン」「ブリスベン」の3姉妹艦に、発光信号機で状況を知らせ
彼らにドイツ艦の始末を託したのだった。強力な主砲を持つ最新鋭の巡洋艦の上、一隻敵より多い豪州の艦隊、速度が落ちた英国巡洋艦「ミノトーア」を追い越し、艦隊の先頭をいくのは豪州生まれのトマス・グレーブス大佐の「シドニー」二番艦はフレデリック・マリアット大佐の「メルボルン」三番艦はチャールズ・サムソン大佐の「ブリスベン」、この豪州の艦隊、乗り組み員はすべて豪州生まれ、そして生まれて初めての実弾が飛びかう戦闘が待っていた。
つづく、、、、